小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 斗星,北天にあり(安東愛李)鳴神 響一(2018)

【あらすじ】

 奥州藤原氏の祖安倍氏の流れを汲み、鎌倉時代には十三(とさ)湊を始め、日本海から蝦夷への海運を一手に握って繁栄を極めた安東氏。室町時代に入ると津軽に残った総領家の湊家と、秋田に南下して勢力を求めた檜山安東家に分かれ、戦国の世に入ると両家が分裂して対峙することになった。

 

 檜山安東家の総領、舜季は湊家との対立、そして蠣崎(かきざき:後の松前氏)と蝦夷との和解などの心労もあり、40歳の若さで亡くなってしまった。15歳で檜山安東家の家督を継ぐことになった安東愛季は、かつて栄華を誇った安東家の再興を決意をする。しかし領土にあった湊は流砂によって遠浅の浜となり、船が停泊できず寂れてしまった。一方肥沃の田は他家に奪われ、安東家の民は租税に苦しみ、満足な食事もできない状態になっていた。

 

 領内に家臣の兄で宗右衛門という学者が隠遁していると聞き、愛季はその屋敷に向かう。まるで諸葛孔明の 「三顧の礼」のように愛季との接触をさける宗右衛門。ようやく面会が許されるも、宗右衛門はかつて疫病を防止するために行なった自らの施策によって、村民全員を焼死に至らしめた禍根を抱いていた。以後世捨人となったと主張するが、愛李はだからこそ治世に生かして欲しいと嘆願する。

 

 愛李は湊を再興して領地を富ませたいと考え、かつて能代湊を造った清水治郎兵衛に能代の再興を依頼する。治郎兵衛は街作りから黒松による防風林の育成など困難な点を挙げるが、それでも断固として湊の建設を貫こうとする愛李の覚悟に打たれ、のちに能代湊を北日本最大の港湾都市に育て上げる。

 

 愛季が男鹿半島を探索すると、半島を支配する豪族相川弾正の娘、采女(うねの)と出会う。采女は領地に侵入した不審者を曇りなき眼で、じっかりと愛李を見据える。その姿に心惹かれながらも父相川弾正に案内を受け、安東家にゆかりの深い父は臣従を誓い、能代湊は徐々に繁栄を取り戻していく。

 

  *安東愛季ウィキペディアより)

 

 それでも東からは南部家が、北からは南部家から独立した大浦(津軽)為信が侵攻し、付近の豪族も揺らいでいた。北方は比内地方の浅利氏を弟の勝頼を使って討ち果たすが、その浅利勝頼も大浦家に内応しているとして、家臣の蠣崎慶広を使い浅利勝頼を謀殺して家中を固めようとする。大浦為信との膠着状態を打破するために、名門の浪岡御所・北畠顕村に、わずか7歳の自分の娘を嫁がせる決断をする愛李。しかし北畠顕村も大浦為信に攻められて、顕村は娘とともに愛李の元に逃げてくる。

 

 南方は庄内の名門、砂越家から嫁を貰い敵対する大宝寺家を牽制するが、大宝寺家は男鹿半島の相川弾正と手を結び、相川弾正は安東家に叛旗を翻す。娘の采女(うねの)は既に亡くなっていたが、一夜の契りを交わったことで双子の兄妹が生まれていた。戦いによって弾正と自分の息子は戦死し、双子の妹は実の父を知らないままに兄の仇として愛李を殺害しようとする。対して采女の面影を残す娘を解き放つ愛李。しかしその時受けた傷は思いのほか重く、角館の戸沢氏との闘いの中、49歳で亡くなる。

 

【感想】

 作者は違うが、安部龍太郎作の 「十三湊の海鳴り」の続編のような作品。鎌倉時代未期に十三湊を中心として日本海から蝦夷への交易を支配し、北条得宗家に影響を及ぼすほどの権勢を誇っていた。ところが安東家が2家に分裂したことと、当時支配していた湊が流砂のために船の停泊ができなくなったこともあり、安東家の勢威も徐々に衰えていった。

 西に面する海の交易が衰退するだけでなく、北は大浦(津軽)、東は南部、そして南は庄内を支配する大宝寺家と敵国に囲まれる中、安東家では年若い少年に代替わりが行われる。その事は即ち、戦国の世では自国経営の危機を意味する。

 

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*安藤(東)家の鎌倉末期を描いた作品です。

 

 15歳で家督を継いだ安藤愛李。その透徹としたまなざしで、社会の不条理を見抜いては立て直そうとする姿勢に、周囲も若いながらも領主として支えようとする。そして愛李も軍師を配下に収めて理想の国造りをしていく。これは隣国の津軽為信を描いた「津軽太平記」とも似た軌跡を描く。ところがその津軽家は、今回安東家の敵役として登場している。安東家に侵攻し、策略で内応を図り安東家の勢力を削ごうとする。

 そんな中、理想を追い求める若き安車愛李。妻、後妻の小雪、そして采女らと交わり家族を増やしていくも、成長するに従って悲劇が数々と舞い降りてくる。名門で長い歴史を持つ安東家が戦国大名に成長していく姿は、その犠牲も考えると痛々しいところも見られる。しかし同じ名門の、北畠親房・顕家から連なる浪岡御所の北畠顕村が、下剋上を成し遂げた津軽為信によって滅ぼされる姿も印象的

 それでも愛季の尽力によって「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」とも評され、ルイス・フロイスの書簡でも「秋田」の地を記されるほど勢威を回復する。朝廷から官位を受ける段になると公家から「俘囚」と蔑まれて反対を受ける目に遭う。それでも当時流行の家系を「源平藤橘」の姓(かばね)に求めるよう言われるも、安部氏以来の伝統を誇りを胸に堂々と拒否した愛李の矜持。

 

 しかし関ヶ原の戦いのあと愛季の子の代で、何百年と支配してきた陸奥・出羽の国から常陸、そして福島県三春に移封されてしまい、海の航路も奪われてしまう

 その思いはいかほどか。泉下に眠る愛季の矜持を想像するに、察するに余りある。

 

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*自らの子と対決する運命に導かれることで共通する、もう1つの作品です。