小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

3 北天に楽土あり(最上義光) 天野 純希(2015)

【あらすじ】

 気丈な性格を持つ妹の義姫からいつも小言をもらうも、そんな妹を可愛く思う兄の最上義光は、身体が大きく力自慢だが、武勇には優れない大らかな性格。妹の義姫が隣国の伊達輝宗に嫁ぐ時には涙を見せたくないために別れの場には顔を出さず、途中の丘の上で見送った。

 

 最上家の当主義守は戦を避けて統治していたが、嫡子義光は戦いも辞さない姿勢を見せて父と対立する。家督を譲る条件として、山形を戦いの場としないこと、そして無益な戦は避けることを授ける。

 

 伊達家では、妹の義姫が産んだ伊達政宗家督を継いで、従来の奥州ではなかった「撫切り」を行ない、壮絶な戦いを繰り広げていた。政宗は南に侵攻、途中窮地を脱して会津の蘆名を調略し南方を併呑した。周辺の大名は脅威を感じ、義光も交えて政宗を包囲する。伊達軍と最上軍が対峙する中、両軍の中間に輿から下りたのは妹の義姫だった。兄と息子が争う戦を止める固い決意で動かない。困った義光は、愛娘の駒姫を義姫に使わし機嫌を取ろうとするが義姫は許さない。面子も考えたが、結局兵を引いた。

 

 世は秀吉の天下となり義光は臣従を誓い、最上24万石は安堵された。しかし秀吉の布告白「惣無事令」の間に上杉に奪われた庄内の返還は認めらない。朝鮮出兵も重なり秀吉にはついて行けず、密かに甥の関白秀次に期待をかける。秀次は娘の駒に興味を持ち、側室としての輿入れが決まった。しかし秀次は駒と対面する前に秀吉から蟄居を命じられてそのまま切腹、駒も謀反人の妻として捉えられ、斬死に処される。義光の必死の助命嘆願も受け入れられず、妻もショックで間もなく死亡した。理不尽な形で愛娘を奪われて、義光は秀吉への恨みが募り、徳川家康に接近する。

 

 関ヶ原の戦いにおいて、家康が西へ反転後最上領に攻め込んだ上杉に対して、単独で長谷堂城で1,000人の兵力で善戦する。絶体絶命の危機の中、関ヶ原で西軍敗戦の報が届き、退却する上杉軍に義光は総攻撃をしかけ、鉄砲の弾が義光の兜に当たるほどの激戦を繰り広げて上杉を最上領から退去させた。その後、上杉に奪われた庄内地方を取り戻し、家康から57万石に加増を受け、大大名となった。

 

   最上義光ウィキペディアより)

 

 家康は自分に仕えた義光の二男家親を気に入り、長男の義康を廃嫡して後継にと求める。素直に従い出家を決意する義康だが。幕府の息のかかった家臣から襲撃を受けて命を落とす。

 

 豊臣秀頼の1年前、家康より2年前に義光は68歳で没する。あとを継いだ二男家親は大坂に同情を寄せる弟の義親を自刃に追い込むも、その家親も義光の3年後に急死してしまい、家内に非業の死が続く中家中は疑心暗鬼となり争いが絶えず、幕府はついに最上家を没収する。

 

【感想】

 伊達政宗の敵役的なイメージが大きいが、当初米沢を本拠とした政宗と同じような規模から、山形を中心に徐々に領土を広げて、徳川幕府ではついに57万石の大大名となった最上義光政宗が「撫切り」などの目立つ戦をしていた影で、調略なども駆使して版図を広げ、しかも上杉との決戦では一歩も引かずに堂々と対峙した。鉄砲などの兵器にも抜け目なく、酒田港を経由して購入に努めて火力を充実させて戦いも有利に行なった。

 そんな義光も人情味に溢れて懐の深い人物だったらしい。領地経営は極力年貢以外の賦役をかけず、領内で一揆はほとんど起きなかったという。そして敵にも慈悲深く、頭を下げた相手は自軍に仕えさせて、更に敵を引き寄せる力も持っていた。また妹の義姫とは結婚後も手紙でこまめにやり取りをした記録が残っている。そのためか父や弟を死に至らしめ、母と別れるなど自ら身内との情を断ち切って覇道に邁進する甥の政宗に対し、義光は愛情細やかで、そのために周囲から身内を奪われていく悲しみに強く打ちひしがれていく。

 

  *駒姫(ウィキペディアより)

 

 中でも娘の駒が「一度も会っていない」秀次の側室として斬首される悲劇は、戦国絵巻の中でも印象的なシーンで涙を誘う。本作品では冒頭でこのエピソードを取り上げ、初めて輿入れの相手である秀次の顔を見たのが、処刑前の三条河原の刑場に置かれた秀次のさらし首だったという強烈な場面を描いている。

 義光が亡くなると、最上家は幕府の思惑に巻き込まれて子供たちが争い合い、最期は領地没収になってしまう。義光は「最上家は大きくなりすぎた」と語ったとされるが、それだけに最上57万石は最上家ではなく「義光」個人で築き挙げたものだった。義光個人の「情」でつながった家臣団は、義光亡き後はバラバラになり、義光以外では統率不可能となっていた。

 しかし義光は、家督を争って譲った父の願い「山形を戦いの場としないこと、そして無益な戦は避けること」を、最後まで守り抜いた。そして本作品の最後は、政宗謀反に加担したと噂されてその後最上家に移った義姫と、殺害されたとしながらも、政宗上洛の際の万が一を考えて助命された政宗の弟小次郎が義光没後の経緯を報告する形で結ばれている。

 

 その後山形藩譜代大名が何度も入れ替わり封土も分割されて、奥州の抑え役から役割を変えて、途中から「左遷地」として定着する。しかし最上義光が開拓した最上川の水運などにより西廻り航路が整備され、紅花などの特産品で民は潤うこととなった。

(と、先行して書いていたら、同じテーマを「ブラタモリ 山形」(2023.7.22)で放映されてしまいました 💦 )

 

 *そして山形の紅花作りは、この作品にもつながっています。