小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

英雄たちが作る「名作」 1982年と1986年のW杯

 

 NHKで「FIFAワールドカップ 伝説の試合」が放送され、録画していた番組を連休に入り、視聴しました。

 1986年メキシコ大会準々決勝のアルゼンチン対イングランドフォークランド紛争の記憶も生々しい中で戦いましたが「神の手」と「5人抜き」が試合を塗り替えました。マラドーナは準決勝のベルギー戦でも「魔法」を披露し、その勢いでタイトルを制します。

 そしてメキシコ大会からもう1試合はブラジル対フランス戦。現代の高画質画像で再現された画面は未だ色あせず、「W杯史上最も美しい試合」の記憶が甦りました。中盤の名手たちが高速で幾何学を描くパスの軌跡、勝利の女神も、どちらのチームに微笑んでいいのかわからない試合展開の果ての、余りにも非条理なPK。そしてこの試合で勝利を収めたフランスのキャプテン、ミシェル・プラティニは、前回1982年W杯の悲劇を払拭したと思われました。

 

 

 *ブラジルのジーコとフランスのプラティニの両雄が激突(サッカーダイジェスト

 

 メキシコ大会の前に開催された1982年スペインワールドカップは、80年代の英雄たちが交錯し、次回のメキシコ大会に繋がる「名作」でした。

 まずはディエゴ・マラドーナ。15歳でプロデビューし、1979年のワールドユース大会(開催地は日本)で優勝に導いた「神童」は、チームを統率する力も若い時から秀でていました。

 しかしW杯初登場となったスペイン大会は二次予選リーグでイタリア・ブラジルと同じ組に入り、両チームから徹底的なマークに合い、若さを露呈した形で大会に別れを告げます。

 

  

 *W杯デビューのベルギー戦から、マラドーナは徹底したマークに遭いました(Getty Images)

 

 ブラジルのジーコ。「白いペレ」と呼ばれ、そのパスセンスは異次元とも宇宙人とも呼ばれました。スペインW杯では、ソクラテスファルカントニーニョ・セレーゾと組んだ「黄金のカルテット」(クワトロ・オーメンジ・オロ)の中核を占めます。二次予選でアルゼンチンを封じ込めることに成功しますが、イタリア戦では八百長疑惑で2年間の出場停止処分から明けた、FWパウロ・ロッシハットトリックを決められ、ブラジルは惜敗します。しかし華麗なるパスサッカーを披露したクワトロ・オーメンジ・オロは、「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と称えられました。

 

 フランスの「将軍」ミシェル・プラティニ。こちらも華麗な中盤の中核として決定力を発揮し、予選リーグを勝ち上がります。1982年大会準決勝のフランス対西ドイツ戦。1対1で延長戦に入ると、立て続けに2点加えて、フランス勝利と思いましたが、そこで西ドイツが「ゲルマン魂」を発揮します。

 西ドイツを率いるのは、ベッケンバウアーの正統な後継者とされた、カール=ハインツ・ルンメニゲキャプテン翼大空翼、そして若林源三の最大のライバル、カール=ハインツ・シュナイダーのモデルとなり、その決定力から「ミスター・ヨーロッパ」と呼ばれました。

 スペイン大会は故障で苦しみますが、延長で途中出場すると、反撃の狼煙を上げるゴールを決め、遂に追いつくとPK戦でフランスを下し、プラティニの野望を打ち砕きます。こちらも紛れない「伝説の試合」。

 その西ドイツも、決勝では覚醒したイタリアのロッシの前に、敗退します。

 

 

 *決定力のあるルンメニゲらしい瞬間を捉えた1枚です(時事通信

 

 82年にW杯で繰り広げられた因縁が、1986年メキシコワールドカップに繋がります。「伝説の試合」でフランスがブラジルを破ると、準決勝の相手はまたもや西ドイツ。プラティニを中心とする「四銃士」は華麗なサッカーを繰り広げますが、勝利にこだわる西ドイツにはどうしても及びません。1点ビハインドの中、終盤に全員攻撃を仕掛けるも、ガラ空きのゴールネットが揺れて万事休す。2大会続けて歴史に残る「名作」の主人公を演じたプラティニでしたが、報われることはありませんでした。

 そして今度こそ戴冠を目指した西ドイツ。決勝でルンメニゲが得点を挙げますが、今回は神童から「神」に進化したマラドーナによって、再び涙を呑むことになります。

 

 この82年と86年のW杯で、私は世界サッカーに初めて触れました。その中で英雄たちが2大会に亘って作り上げた「名作」は感動を生み出し、英雄たちの「異名」と共に、胸に刻まれました。

 

 ドラマは更に続き、英雄たちを見て育った後継者たちが、無念を晴らしていきます。次回1990年イタリアW杯は、ゲルマン魂を引き継いだローター・マテウスを中心とするドイツが、マラドーナのアルゼンチンにリベンジを果たしました。

 1994年アメリカW杯では、ドゥンガ率いるブラジルがロベルト・バッジのイタリアを破り優勝。

 1998年フランスW杯は「将軍」の後継者、「マエストロ」ジネディーヌ・ジダンの活躍で、地元フランスが王者ブラシルを下し、悲願の初優勝を成し遂げます。

 

 

*1980年代のスポーツを取り上げた投稿です

 

 そしてこの2つの大会で活躍した選手たちは、誕生間もないJリーグに参加し、日本サッカーの成長に手を貸してくれました。

 アルゼンチンのラモン・ディアス。 西ドイツのピエール・リトバルスキー。メキシコ大会でアルゼンチンと戦ったイングランドゲーリー・リネカー

 そしてブラジルからはジーコカレッカが選手として参加し、クワトロ・オーメンジ・オロを形成したファルカンジーコは、日本代表監督にも就任します。

 

 当時は夢の世界だった、日本のW杯出場。この2つの大会をきっかけに日本サッカーの裾野が広がり、技術のレベルを押し上げ、Jリーグそして現在の興隆に繋がっていると思います。

 

今週のお題「名作」

 

 読書でなくても、一押しを m(_ _)m