小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

20 天魔ゆく空(細川政元) 真保 裕一(2011)

【あらすじ】

 応仁の乱の一方の主将である細川勝元の妻は、敵方の将、山名宗全の娘だった。そのため細川家中で立場の弱い母から生れた聡明丸は、父は勝元ではなく当時出入りをしていた猿楽師ではないかと家中からも疑われていた。但し父勝元は聡明丸を自分の子と公言して聡明丸を守り通した。聡明丸はそんな複雑な環境の中で知恵を蓄え人間観察を磨き、「聡明」な子に育っていた。

 

 聡明丸が8歳の時に父勝元は亡くなる。出家している異母姉の安喜と自分の居場所を確保するために、聡明丸は家督を継ぐ決意をする。他の子を擁立するなど家臣の間に思惑が乱れる中、聡明丸は子供ながらにその心理を見事に読み切って家臣らを心服させて、細川本家(京兆家)後継の座を手にした。

 

 父勝元の死をきっかけに応仁の乱は収束し、将軍家は8代将軍義政から政元と同じ年の義尚に継承されるが、近江六角氏征伐の戦陣で早逝する。最愛の子を失った母日野富子は足利家にまとわりつく宿命を恨み、権力の亡者となっていく。対して政元は、足利義政の異母兄で堀越公方として伊豆に渡った足利政知の一子清晃を姉の尼安喜(洞勝院)に預け、将来の布石を打っていた。

 

 政元は将軍義尚の後継に姉の元に置いた清晃を推すが、日野富子は政元を警戒して、応仁の乱で一時は敵対した義政の弟義視の子で、母が富子の妹日野良子である義材ならば力を保持し続けることができると判断して次期将軍に据える。しかし権力の座に就いた義視と子義材(のち義稙)は、日野富子に遠慮なく全てを譲るよう求める。面白くない富子の心理を読み取った政元は、礼を尽して富子に接近していく。

 

 義政、義視、そして母日野良子と次々と没する中、残った将軍義材(義稙)は各地で一揆が頻発して周囲が反対する中、畠山征伐のために河内国へ出兵する。出兵を拒んだ政元は、京で日野富子らと周到に策略を巡らす。30歳になろうとする尼の洞勝院を還俗させて赤松家に嫁入りさせて味方をまとめ上げ、将軍を清晃(義澄)とするクーデターを決行する。そしてクーデターに協力した日野富子に対しても、義材毒殺の証拠を握って政権に口出しを許さず、政元は世間から「半将軍」と言われるほどの権力を掌握した。

 

  *「半将軍」細川政元ウィキペディアより)

 

 越中公方と称した足利義材比叡山と連携して兵を出すが、政元は比叡山を大規模な焼き討ちをしてその動きを封じ込める。そんな政元だが「飯縄と愛宕の法」という空を飛ぶ術(?)を身につける修行に熱中して、突如諸国を漫遊する奇行があった。その教えに女色は厳禁なため、正室を持たず子もいないが、元々は異母姉の安喜と親密な仲との噂もあった。

 

 そんな不安と疑惑のの目を気にせず、政元は細川家の傍流と貴族の藤原家から養子を求めた。皆の合議で後継を決めるとしたが、かえって家中に紛争の火種を蒔いてしまう。幼い時から「聡明」を謳った政元も、周囲には図りかねる行動が続き、結局疑心暗鬼になった家臣によって41歳で暗殺されてしまう。

 

【感想】

 細川政元という奇矯な性格の主を、様々な人物の視点を使って「カットバック」のような手法で描き出した。そのため政元はいつも笑みを浮かべて周囲に気配りする様子を描くが、その内心は映し出されず、次第にその行動全てに心がこもっていないことに気づく。それが最愛の身内として、関係を疑われた姉安喜に対しても同様で、良縁を探すと言いながら寺に尼として塩漬けとして、当時としては女性としての盛りが過ぎた30歳に手が届くころになって、無理矢理還俗させて政略結婚をさせている(この辺は藤原不比等を連想する)。

 また仕える将軍も8代将軍義政、遠征先で若死した9代義尚の後、10代義稙(義材)は両親が将軍就任後早々に亡くなったため我儘し放題となり、政元から将軍の座を追われることになる。11代の義澄は8代将軍義政が関東に送ったが、関東管領の力が強く鎌倉に入れず手前の伊豆で館を構えた堀越公方足利政知の一子という遠い流れだが、政元は先のことを見越して「保険」をかけていた。それは義政の妻日野富子に対しても同様で、夫と子が亡くなり周囲はもはやこれまでと判断したが、政元はまだ富子の実力と欲望を知り尽くし、その利用価値を最後の最後まで「しゃぶり尽くした」。

 

    

*政元によって将軍職を更迭された「流れ将軍」10代将軍義材(→義稙)と11代将軍義澄。義稙は諸国放浪ののち将軍職を奪回しますが再度追放され、将軍家は混迷を深めます。(ウィキペディアより)

 

 本作品では政元を、全てを見透かすことができるかのような人物として描いている。将軍家で一番の役職である管領職も辞退し、就任してもすぐ辞めたりしている。その辺の駆け引きも使って、真の権力がどこにあるかを周囲に知らしめ、将軍を筆頭に人を自在に操る。この手は先に源頼朝、後に織田信長が使ったもの。

 反面、自身の領地の一揆や家臣団の争いが頻発する中鎮圧することができず、一貫性に欠けるきらいも見受けられる。上杉謙信も凝ったとされる女色が厳禁な「飯縄と愛宕の法」のために、政元は謙信と同様に養子を2人招いて、争いのタネを蒔いてしまう。その投げやりな印象は、父勝元を死に至らしめた腫瘍を抱えて、生への執着が亡くなっていたのかもしれない。

 

 そして姉の安喜も史実では「極メテ醜女」なために出家したとされているが、年を取ってから赤松家を再興した政則と、細川家との誼を深める目的もあり結婚し娘を産んだ。政則が亡くなった後は娘と結婚した養子の後見となることで赤松家の実権を握り、後に養子から疎まれるも逆に追放し暗殺して「女大名」として長く君臨したという。

nmukkun.hatenablog.com

*赤松家の滅亡から、政則が復活するまでを描いた作品です。

 

 

 将軍の権威は地に落ち、「半将軍」政元が殺害されると、幕閣で政道を統べる者がいなくなってしまった。

 ここから日本は「戦国時代」に突入する

 

   *義満以降の足利将軍家