小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13 道誉と正成 安部 龍太郎 (2009)

【あらすじ】

 元々は駿河国楠木を治めていた楠木家。清水港を拠点として伊勢の地頭となって、海運業や金融業で財をなす。元寇後は元との交易により急速な貨幣経済の波が押し寄せ、楠木家はお金を貸し付け担保の土地を没収し、正成の父正遠の代で大和国河内国にまで勢力を伸ばした。

 

 そのため幕府の御家人たちは領地を借金のカタにとられて困窮し、幕府は徳政令で楠木家のような商業的武士団が集めた土地を、以前の持ち主に返還する政策をとった。しかし反感が多いため、元寇国難に勝つために祈祷を行なった寺社にも、抱き合わせで荘園を返還する政策をとる。寺社側から見ると、巻き添えにした彼らは神仏に反する「悪党」に見え、そのように呼ばれることになった。

 

 源平合戦で名を挙げた鎌倉幕府の名門、佐々木家の道誉。執権北条高時に合わせて若くして出家したが、近江を支配し琵琶湖の交易に携わり、貨幣経済の浸透にも敏感だった。楠木正成を筆頭に赤松円心名和長年などの「悪党」が幕府から離れ、後醍醐天皇大塔宮護良親王が指揮する倒幕活動に結びつく要因も理解していた。楠木正成千早城に立て籠もった際に、道誉は正成の巧緻な作戦能力を理解して無理攻めせずに兵糧攻めを建策するも、周囲は同意せずに犠牲を重ねるだけだった。

 

 道誉の進言で和議の場が設けられるが、楠木正成は和議には乗らず、道誉に味方に誘い込む。元寇以来の幕府の失政を感じていた道誉は、足利尊氏天皇方に引き込み、新たに高氏が征夷大将軍となって幕府を開くことを説得する。尊氏は道誉の説得に応じ、回天の事業は成った。

  

 楠木正成湊川神社HPより)

 

 しかし後醍醐天皇が行なった建武の新政は、鎌倉幕府の更に上を行く失政が続いた。富も権力も天皇一手に集中して周囲の声を聞かず、怨嗟の声が社会一帯に広がった。正成がこの人のためにと思い、共に戦った大塔宮護良親王は讒言により後醍醐天皇から遠ざけられて、鎌倉に流罪とされてしまう。そこに北条家の遺児が反乱を起こし、鎌倉を守っていた足利直義は敗走し、その際に大塔宮を殺害したとの噂が流れた。弟の直義を助けに行った尊氏はそのまま独立して後醍醐天皇に叛旗を挙げる。

 

 大塔宮が生きていることを信じて、楠木正成後醍醐天皇側で足利軍と戦う。一旦は後醍醐天皇側が勝利するが、九州に逃れた尊氏は博多の経済圏を抑え、大軍を率いて畿内に反転する。正成は必死に後醍醐天皇に尊氏との和議を建策するが、独善的な天皇は敵に弱みを見せることはしない。正成は戦況不利の中、大塔宮を土牢に押し込んだ憎き足利直義の首を取るために湊川の決戦に挑む。

 

 そして道誉は正成の意図を察して、命を救おうとする。

 

 *「婆娑羅大名」の異名を持つ佐々木道誉ウィキペディアより)

【感想】

 安部龍太郎による太平記3部作の第1作。時系列的には先のため既に紹介した「十三湊の海鳴り」が先行で、津軽の十三湊が元との交易の拠点となって貨幣経済が広がって北条得宗家が力を持つと同時に幕府崩壊のきっかけになったところを描いた。本作品ではそれが更に浸透して「悪党」と呼ばれた、楠木正成を代表とする商業的武士団と、幕府の名門でありながら、支配地の関係もあり貨幣経済に敏感な立場だった佐々木遣誉の立場から描いた。そしてもう1つ、大塔宮護良親王の魅力も物語の軸となっている。

 最初は敵味方で対峙する正成と道誉。それが正成の説得で道誉が後醍醐天皇側に移り、足利尊氏を味方に引き入れて倒幕を果たす。しかし建武の新政後醍醐天皇の失政ですぐに行き詰まり、新たな選択肢が2人に提示される。足利尊氏について再度後醍醐天皇に敵対する道誉に対して、最後まで後醍醐天皇に従う楠木正成。そして最後は自分の意見を省みない天皇に対しての思いを込めながらも戦死する。

 戦前まであった後醍醐天皇に対する崇拝のイデオロギー。戦後になって学問の自由が「以前よりも」確保され、後醍醐天皇に対する批判がされるようにもなったが、あからさまに「人格否定」を行なったのはようやく平成になってからの北方謙三からか建武の新政が余りにも復古主義で現実から乖離している内容であり、本作品において楠木正成が倒幕をした意味を考えると、正成が後醍醐天皇に最後まで付き従う意味が乏しい。

 

 

 護良親王ウィキペディアより)

 

 そのため安部龍太郎は、理由付けとして正成は心服した大塔宮護良親王の生存に賭けているとしたが、当時後醍醐天皇と大塔宮は親子関係が完全に決裂していた。ならば流罪で鎌倉に流された時点で正成はこれを解放して、新たに兵を挙げるべきではなかったかと私は愚考する。

 貨幣経済の浸透を物語の1つの軸として、そこから佐々木遣誉や楠木正成を描いたことはこの時代の新しい視点。そのため北方謙三が描く「道誉なり」や「楠木正成」とは人物像にかなりの乖離がある。そして楠木正成の「忠誠」も、一般に流布されているものとは違う視点から描いているが、史実から察するに「やはり」後醍醐天皇に対する個人的な忠誠心が大きかったのではないかと私は考える。

 それにしても各人のキャラを立てると、どうも新田義貞の描き方は貧弱になってしまう。安部龍太郎は「太平記3部作」の最後に「義貞の旗」を発刊しているが、こちらは本ブログでは取り上げません。