小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

18 望みしは何ぞ(藤原能信) 永井 路子 (1993)

【あらすじ】

 摂関政治の絶頂期に君臨した藤原道長。その道長を父に持つ藤原能信だが、道長には妻が2人いた。左大臣源雅信を父に持つ倫子(鷹司系)は父の後ろ盾もあり、政治家の妻に相応しいふるまいで自分の子を押し上げる。娘彰子を一条天皇に入台させて、後一条及び後朱雀天皇の母となり道長の権勢を支え、長男頼通は氏の長者を引き継がせて、官位の頂点へと導いた。

 

 対して能信の母明子(高松系)は父源高明が失脚したため後ろ盾がなく、控えめに暮らしていた。自然明子の子供たちも鷹司系の子供たちに比べて一段低く見られる。同じく明子を母と持つ兄、頼宗はそれを当然と捕らえ、異母兄の頼通に頼って自分の出世を図る。ところが気の強い能信は反発して、頼通などに頼らず自分で運を切り開こうと決意する。

 

 父道長を「稀代の幸運児」と考える能信だが、道長を知れば知るほど自分との差を感じる。権力者として人々の性格や背景などを緻密に考え、その上周囲を圧倒する貫禄も持ち合わせていていた。能信は全てにおいて父と大きな差を感じ愕然とする。 

 

  

 *鷹司系と高松系で見る藤原道長の子供たち。一家立三后、後継の頼通は、全て鷹司系になります。

 

 能信は三条天皇中宮妍子(けんし)に権大夫として仕え、彼女の身の回りの世話をしていた。妍子は懐妊して出産するが、産まれたのは周囲の期待に反して皇女だった。彰子と同じ鷹司系の娘でありながら、皇太子となるべき男の子を産むことができなかった妍子は涙を流し、その後はひっそりと生きていく。能信は幼い時から知る、美しいが幸薄い異母妹の妍子を見て自分の境遇とも重なり、一生支える決意をする。

 

 妍子がこの時に産んだ皇女の禎子後朱雀天皇に入内する。既に頼通の養女、嫄子(もとこ)の入内が確定していて、朝廷の注目は嫄子に集中していた。禎子は母と同じく周囲から軽視されていたが、勝気な禎子は堂々と中宮として振る舞う。能信は母妍子の思いを娘に託して、大夫として身の回りの世話をしながら自分の運を託そうとする。

 

 禎子は男子の尊仁親王を産む。既に皇太子は親仁親王(のち後冷泉天皇)と決まっていたが、能信は後朱雀天皇の死の間際、尊仁親王を皇太弟にするよう懇願して、かろうじて今後の可能性を残すことができた。しかし頼通・教通兄弟がそれぞれ娘を後冷泉天皇の妃にしており、男子が生まれれば皇太子となることは既定路線だった。

 

 そのため尊仁親王へ娘を入内させる公卿はなく困った龍信だったが、尊仁親王は意外にも、昔から遊び相手だった能信の養女(妻方の姪)茂子を求める。能信の妻は後ろ盾の弱い茂子は宮中で苦労すると心配するが、茂子は堂々とふるまい、不安をよそに仲睦まじく多くの子をもうけた。

  

 *幸薄い妍子の娘、禎子は後三条天皇を産み、摂関政治の流れを変えることになります。

【感想】

 永井路子が描く「王朝三部作」の悼尾を飾る作品。第1作「王朝序曲」は、頭脳明晰で冷静な「評論家」の性格を持つ冬嗣が、他に比べて勢威が当時劣っていた藤原北家の、しかも弟の立場で皇位には遠いと思われた嵯峨天皇に尽くすことで、藤原北家の躍進の基礎を築いた。

 前作「この世をぱ」でも、弟の立場で周囲では凡庸の評価だった道長が、時の流行病などでライバルが次々と亡くなり、また女性たちの支援や幸運にも恵まれて、権力の頂点に立つ経緯を描いた。

 

nmukkun.hatenablog.com

 

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 本作品の能信も、父は権勢を誇る道長だが、母方が隆盛を極めた倫子(鷹司系)の血筋ではなく明子(高松系)。そして弟でもあり出世は遅く、なかなか日の目を見ない立場。しかも能信自身が勝気で反抗心は旺盛で、出世する(異母)兄たちに見返そうという山っ気もあり、冬嗣とはまた違った性格を持っている。

 但し読み進めると、それだけではない気持ちも湧く。本作品の底流に流れる異母妹、妍子への純粋とも言える思い。倫子(鷹司系)の娘に生まれながらも、自分は皇子を産めなかった気持ちが負い目となり、自分を追い込んで短命で亡くなってしまう。その恵まれない運命に自分を重ね、妍子にそしてその子供や孫に尽くしていく。その姿は出世するための「山っ気」だけでない気持ちが溢れている。

 妹からその娘、そしてその子へと20年、30年と続くと、その思いは崇高なものに昇華する。本作品の主人公は能信というより、薄幸で運がない妍子から、中宮となるも後ろ盾がないため「二番手」に甘んじながらも凛とした佇まいで自分を見失わない禎子。そして周囲から入台の申出がない中、幼い頃からの顔見知りのために親王の妃に求められた養女の茂子。

 

    

 *禎子の子であり、能信の養女を中宮とした後三条天皇。この人が摂関政治を破壊します(ウィキペディアより)。

 

 茂子は多くの子をもうけたが、その中でも白河天皇尊仁親王後三条天皇)と共に摂関政治から院政へと導く。道長の血筋をひきながら、「正流」から離れた女系というだけで、長年権勢を振るった藤原摂関家が、急速に没落していくことになった。そして道長の子にもかかわらず、前2作に比べ地味な存在の藤原能信肖像画もない)。このキーマンを取り上げた永井路子(残念ながら今年1月亡くなられた)の慧眼も見事だが、作品自体もまた素晴らしい仕上がり。

 能信は20年に渡り春宮大夫として尊仁親王に尽くしたが、養女の茂子に先立たれ、失意のなか71歳で死去する。禎子の子尊仁親王後三条天皇として即位して念願が叶ったのは、その3年後だった。

 

  

 *能信の養女茂子は後三条天皇中宮となり、院政を確立した白河法皇を産みます。一夫多妻制の当時、女系から見ると系図は1つでは収まりません(全て小説内の図から転写したもの)