小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

16 この世をば(王朝序曲2) 永井 路子 (1984)

【あらすじ】

 藤原北家の主流となる九条流の中心、摂政を務める藤原兼家の子、道長。但し兄に頭脳明晩で秀麗な容姿を持つ道隆、次兄に押しの強い道兼を持つ中、道長自身は頭脳も容貌も平凡で押しも弱い小心者。そのため将来は余り期待されていなかった。

 

 女性との付き合いも上手くいかない。気になった左大臣源雅信の娘、倫子に思い切って恋歌を渡すも返事がなく、意気消沈してしまう。ところが道長の姉で、入台して後に一条天皇を産む詮子は、他の貴族たちにはない素直な性格に見所を感じて後押しをする。恋歌も一度で諦めずに何度も送るようにと、女心も交えて指導し「尻を叩く」。

 

 実は恋歌を受けた倫子も、道長のことが気になっていた。そしてとんとん拍子に縁談がまとまる。また落塊した源高明の娘、明子の姿に魅かれつい契ってしまうが、妻倫子はそんな夫にも「政治家の妻」としての甲斐性を見せて道長を支え、兄2人の後を追うように昇進していく。

 

 父兼家が亡くなると、長男道隆が摂政関白を引き継ぎ、そのまま息子の伊周や隆家に氏の長者を継承させようと画策する。甥に官位を追い抜かれた次兄道兼が、兄に呪誼を行っていることを道長は知る。笑顔の裏で様々な駆け引きが行なわれ、不器用な道長は宮廷をうまく遊泳できない。

 

  藤原道長ウィキペディアより)

 

 ところが情勢が一変する。兄道隆は糖尿病によって没し、後を継いだ次兄の道兼も流行り病の影響で、関白に任官されてからわずか7日で死亡してしまう。時の一条天皇は後継に兄の子伊周を考えるも、天皇の母后である詮子が頼み込んで、道長が権力の頂点の座に就く。

 

 権力の座を奪われて面白くない甥の伊周は、明断な頭脳で道長に舌鋒鋭く切り込んでいく。しかし伊周とその弟隆家は、花山法皇に矢を射かける事件を起こし左遷となり、自滅してしまう。

 

 その後道長は父や兄たちが就任した摂政、関白を目指さずに、朝堂の第一人者である左大臣を務め、閣議を主導して実権を長く掌握した。長女彰子を入台させ、彰子は道長の期待に応えて皇子を年子で出産して道長を喜ばせる。その後2人の娘を人台させて「一家立三后、未曾有なり」と言われ栄華を誇った。晩年は病気がちとなり、豪勢な威容の法成寺で、妻倫子に看取られて62歳の生涯を終える。

 

【感想】

  「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌で有名な藤原道長。また父兼家がライバル関白頼忠の子の公任の才能を羨み、息子たちに「我が子たちは遠く及ばない、(公任の) 影を踏むこともできまい」と嘆息したところ、長兄道隆と次兄道兼が言葉もなくうつむく中、道長は「影などは踏まない、その面を踏んでやる」と答えた話や、花山天皇が肝試しを命じた際に、道隆と道兼が逃げ帰ってしまったのに対し、道長は暗闇の中1人大極殿まで行き、証拠として柱を削り取ってきたという豪胆な性格を物語る逸話も有名である。

 そのため藤原道長というと、私は「傲岸不遜」な印象を持っていたが、本作品では兄たちに隠れて冴えない平凡な人柄で描かれている。義父源雅信だけでなく、周囲からも末子だったので先の望みがないと思われていた道長だったが、才能と出世欲に溢れた兄たちが次々に亡くなったために、運命の扉が開かれる。それでも何かが起きると「何たること、何たること」とつぶやき、悩みながらも少しずつ成長して、政治家としての器が広がっていく姿を描いている。

   *(東一条院)詮子(ウィキペディアより)

 

  その姿にはややもすれば滑稽で微笑みが湧く。そして女性たちも道長に対し「母性本能」を感じるのか、放ってはおけずにいろいろと支える。この時代の物語として、珍しいとも思える女性たちの等身大の姿。清少納言紫式部も登場して、女性たちが生き生きと描かれている。

 道長の姉である詮子一条天皇母后でありながら文字通り「姉御肌」の性格。兄2人にはない道長の性格に見所を感じて、道長の尻を叩きながらもしっかりと支え、時には天皇に涙を流して道長のことを懇願する。妻の倫子は、道長の思うことを先回りしてアドバイスをする。浮気をされても我侵して、姉の詮子が頼りになると思えば、自らが家に招いて面倒を見るなど、肝が据わって政治家の妻に相応しい態度を見せる。そしてもう一人の妻、明子は風の如く対処して面倒なことには関わらず、正妻の倫子とぶつからないようにする。そんな女性たちに恵まれて、運を逃さずに権力の頂点へと駆け上がる。

 物語の後半から、「小右記」を書いた藤原実資を登場させている。宮廷の知識は豊富だが、道長九条流とライバルの小野宮流の家系にあり、出世に恵まれず物事を斜めから見る性格。その上権力者の道長に正面から対時できず、忸怩たる思いを「小右記」に込めて書いたことが、私が感じた道長の「虚像」が伝わる原因としている。作者永井路子は、単に歴史に自分の解釈を与えただけでなく、そのズレが何故生じたかをも物語に組み入れた。

 紫式部の「源氏物語」は、原稿を督促して読むのを楽しんだと言う。特に自分をモデルとした策略家にたいして興味を持つなど、お茶目な面も持っていた。平凡に見えて周囲の女性たちがほっておけない性格。読み進めるごとに当初の道長の印象から離れて、姉の乙女大姉に育てられ、周囲の女性たちから支えられて回天の事業を成した「竜馬がゆく」を連想していった

 最後は妻倫子に看取られて亡くなった道長。最期まで恵まれた人生だったとして、締めている。