小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11 天翔ける女帝 三田 誠広 (1999)

【あらすじ】

 持統天皇の血統を継ぐ聖武天皇と、藤原氏出身の光明子の間に生まれた阿倍媛。同じ両親で待望の男子基親王は、幼いまま亡くなってしまう。

 

 病弱で祈りと写経に没頭する父聖武天皇に会いたくて内裏の奥に忍び込むと、夜父聖武の番をする夜叉の姿があったが、それは神宿るものだけが見えると言われていた。母光明皇后からは神宿るものは幸いだけでなく、災いをも負うことになると諭される。そして同じく夜叉が見える異母姉の井上内親王からは、自分は皇后になり、阿倍媛は女帝になると予言される。

 

 父聖武天皇も神が宿り、未来を見ることができる。聖武はやがて天皇になる阿倍媛にその秘伝を伝えると、そこには光り輝く巨大な毘盧舎那如来が鎮座していた。そして光景は帰国する吉備真備と僧玄昉が乗る遣唐船に移り、宝と共に「禍々しいもの」がもたらされることを感じる。やがて疫病が流行し始めて、栄華を誇った藤原4兄弟は、病によって立て続けに亡く亡くなってしまった。

 

  *孝謙称徳天皇ウィキペディアより)

 

 その頃破戒僧・行基は全国を回って病の者を治療し、灌漑に尽力して民衆から絶大な人気を誇っていた。そんな時葛城山にいる修行者を弟子にせよとのお告げを受ける。その修行者は、乱行を尽くして多くの女性たちを弄ぶ過去を持ち、償いを願っていた道鏡道鏡行基から、物の怪に憑かれた女性から、男性の「如意輪棒」を使って憑きものを祓う治療法を受け継ぐ。

 

 阿倍媛は病弱な父聖武の後を継いで即位し、孝謙天皇となる。しかし宮廷は母光明皇后が支配し、政治の実権は光明皇后の異父兄、橘諸兄から藤原家の長男武智麻呂の子、藤原仲麻呂と移っていった。やがて孝謙天皇は物の怪に取り憑かれうなされるようになり、天皇の座を譲位する。

 

 道鏡はそんな孝謙上皇を「治療」する。回復して神霊を取り戻した孝謙上皇は、人望が落ちた阿倍仲麻呂とその傀儡の淳仁天皇に敢然と立ち向かう。孫子の兵法を学び戦術にも精通した吉備真備を軍師として阿倍仲麻呂を撃退し、斬首とする。

 

 孝謙上皇重祚して称徳天皇となり道鏡太政大臣禅師に任ぜられた。そして神託により道鏡天皇に即位させようとする。しかし和気清麻呂が受けた宇佐八幡の神託は「神の子孫でない道鏡は排除すべし」。道鏡に諭され正直に称徳天皇に奏上した清麻呂は、女帝の怒りを買い穢麻呂と改名させられて流罪となる。しかしその時女帝の生命力は尽きようとしていた。 

 

  *父、聖武天皇ウィキペディアより)

 

 藤原氏は女帝の死後を見据えて、天武・持統の皇統から天智系の皇統に乗り換えようとしていた。称徳天皇崩御と共に皇統は異母姉の井上内親王が嫁いだ天智系の光仁天皇に移り、吉備真備は辞任。そして道鏡は都から遠ざけられて、下野国薬師寺別当となり、生涯を終える。

 

【感想】

 戦前の道鏡は、自ら天皇になろうとした人物として、皇室史観からすると悪人の代表格だったらしい。そして道鏡を寵愛して「万世一系」の皇統を崩そうとした孝謙称徳天皇も、道鏡に「身も心も捧げた」女帝として、道鏡の「巨根」伝説も混えてかなり「ひどい」言われようをされてきた。但し最近は道鏡も皇室史観から離れ、再評価をされている。

 本作品は、戦前の風評と戦後の再評価を「折衷」して作りあげたように感じる。阿倍媛は、美しい母光明子が施薬院悲田院で、率先して貧民の垢を洗い浄める姿を眩しく思い、近付くことができない。対して病弱だが神に仕える父聖武天皇が大好きな、神宿る見事な舞を見せる天真爛漫な少女。

 

 *旧吉備郡真備町出身の吉備真備(倉敷観光WEBより)

 

 そんな阿倍媛の心の中にある漆黒の闇、神とともに宿る「災い」が次第に「本体」を凌駕していく。父聖武が祈りと写経で、母光明皇后が慈善事業と強靱な精神力で押さえこんだが、祖母藤原宮子は長年憑かれてしまった「物の怪」。自分は大丈夫と信じていた「物の怪」に蝕まれていく姿が痛々しい。そして物の怪を祓う手段として、道鏡の伝説を「治療法」として結び付けた。

 神霊が快復すると吉備真備道鏡を従え、阿倍仲麻呂を撃退する「強さ」が甦る。但し生命力は徐々に尽きようとしていた。藤原氏の都合によって、皇統を守るために即位した孝謙持統天皇。独身のため子はなく、また「親戚」藤原氏の企みにより身内は全て排除されて後継者のいない称徳天皇は、天皇の座を道鏡に託す。但しその望みも絶たれ、天武・持統から続いた皇統は自分で途絶え、天智系の光仁天皇に移る。

 それまでの女帝は主に子や孫のつなぎとして即位したが、独身のまま即位し、そのまま通さざるを得なかった生涯。そして天皇として自らの力で権力を掌握したところで、また藤原氏の都合によって、「都合の良い」人物に乗り換えられることになる。

  道鏡日本経済新聞より)

 

 「僕って何」で芥川賞を受賞して作家デビューした三田誠広が、古代から中世を舞台にした歴史小説に手を広げた初期の作品。史実を踏襲しながらも、その間に独得の解釈を披露して、「三田ワールド」を繰り広げる。私から見ると、同じく途中から歴史小説に足を踏み入れた黒岩重吾を同じ軌跡を感じ、取扱う時代も含めてちょうど「バトンタッチ」している印象を受ける。