小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

12 火怨 北の燿星アテルイ 高橋 克彦 (1999)

【あらすじ】

 奈良時代に入ると、朝廷の蝦夷陸奥)支配が本格化する。黄金が産出されることがわかり、当時東大寺の大仏造立に着手していた朝廷にとって、蝦夷は宝の山となった。蝦夷の民は朝廷の纂奪に耐えるが、朝廷は多賀城を築城して出先機関とし、大軍を率いて一方的な支配を強化していく。蝦夷の忍耐は限界に来ていた。

 

 胆沢の長、阿久斗が朝廷に反旗を翻し、18歳になる息子阿弖流為アテルイ)は、周辺の長との連携役を務める。そして皆が朝廷に反乱する決意を固め、使者を斬り軍を撹乱させる。火蓋は切られた。

 

 蝦夷には物部二風が住んでいた。蘇我との争いに敗れて都を追われ、蝦夷の同族を頼りに落ち延びてきた一族。阿弖流為は黒石の族で切れ者の母礼(モレ)と一緒に物部に協力を求める。物部二風は広汎な領地による財カと、軍を統率してきた知恵を持っていた。蝦夷の人々にその知恵を授け、馬や弓の鍛錬をして、兵団として統率するように訓練を施す。その兵団の責任者は阿弖流為に決まった。

 

 780年、朝廷の征東将軍、藤原種継が名取まで進出する。2万の軍勢を見せれば敵は戦わずして降伏すると楽観視していたが、阿弖流為は兵を分け奇襲で撹乱して朝廷軍を翻弄、朝廷軍の士気は目に見えて落ちていった。

 

  781年、新将軍藤原小黒麻呂が就任して再度蝦夷に2万の軍を派遣する。そこへ阿弖流為は母札と語らって奇襲をかけて、鮮やかな勝利をあげる。朝廷は度重なる大敗によって穏便政策に移行して、蝦夷にしばしの平穏な日が訪れた。

 

 そこへ桓武天皇が即位し、蝦夷征伐を再開する。今回蝦夷に攻め入るのは、以前鎮守府将軍として陸奥に居住していた坂上苅田麻呂の息子、田村麻呂だという。幼少の頃顔見知りだった阿弖流為は、上京した際に偶然あった坂上田村麻呂から、桓武天皇蝦夷を攻めるのは黄金のためではなく、遷都による人心一新と聞いて、暗い気待ちになる。対して蝦夷を知る坂上田村麻呂は、油断なく戦に取り組んでいた。

 

  アテルイ像(ウィキペディアより)

 

  794年、坂上田村麻呂を副将として、将軍大伴弟麻呂は6万の大軍を率いて蝦夷に攻め入る。阿弖流為は30もの砦を作り,籠城して敵を分断ずる作戦を行う。将軍弟麻呂は田村麻呂の慎重策を退けて果敢な攻撃を仕掛けたが、阿弖流為たちの作戦に嵌り、兵の半分以上を失う惨めな敗退を喫する。

 

  朝廷は度重なる敗退で、ついに坂上田村麻呂に権力を集中させて攻撃を行うことを決断する。征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂は否応なく攻撃の準備に入る。対して阿弖流為は、終わりが見えない戦を憂いていた。今後朝廷軍の侵攻を食い止めても、蝦夷が荒廃するだけと思われる。

 

 802年、阿弖流為は母礼らと共に正式に投降し、蝦夷の20年に渡る「反乱」は終わりを告げる。

 

 【感想】

  「続日本記」などにわずかに記録されている阿弖流為の名。それをこれだけの物語に広げた高橋克彦の筆力にまず圧倒された。岩手県出身の作家が生まれ育った土地に太古の昔に住み、その土地を守ろうとした人たちを愛情と哀切を込めて描き切った傑作。そして朝廷を中心とした日本史の知識とは全く異なる世界を描いている。

 それまで平和に暮らしていた蝦夷の民。それが突然遠方からの「権力者」によって侵略される。最初は耐え忍ぶのみだったが、獣に等しい扱いを受け、親族や家族も理不尽にも殺されていく。自分たちは朝廷に対して何をしたわけでもないのに。

 追い込まれた男たちは妻や子、そして子孫のために命を捨てて立ち上がる。その象徴として阿弖流為がいた。当初は朝廷軍を撹乱させるだけだったが、朝廷軍も1度の敗戦で諦めずに、何度も攻め入ってくる。蝦夷側も以前朝廷で軍事を司った物部氏の知恵と財力を頼りに、次第に軍としての形を整えて、組織的な戦いとなっていく。

 ちなみに軍事を教えて朝廷の大軍に対峙した「理論的支柱」となった物部二風は作者の創作した人物。架空の人物を通して物語にリアリティを与えている。

  坂上田村麻呂ウィキペディアより)

 

 蝦夷は「一度たりとも負けない」方針で何年も戦うが、朝廷軍は10年、20年経っても蝦夷を諦めない。そのため阿弖流為はこの戦の「決着」を考える。それは自分の命を投げ出してまで蝦夷のために「名を捨て、実を取る」決意。

 降伏を説く阿弖流為。反対する味方たちに阿弖流為は告げる。

死なんでくれ。千の命は俺には重すぎる。重過ぎて空には上がれぬ

 当初は反対していた策士母札が、そして仲間たちが次々と阿弖流為の意見に同意する。最後に蝦夷を攻めた坂上田村麻呂は、阿弖流為の決意を受け入れる度量があり、その真意を朝廷にも説明して、上手く取り計らってもらう期待も持てた。

 ところが朝廷はその思いを踏みにじる。投降してきた阿三流君たちを、朝廷の勝利の証として扱い、阿弖流為たちは悲劇的な最後を遂げる。何とかしようとする坂上田村麻呂だが、阿弖流為たちはそれも覚悟の上で投降してきている。朝廷からは人としての扱いをされなかった阿弖流為たち蝦夷の民だが、誰よりも誇り高く、そして情に厚い人々だった

 小説の前半は、忍従を強いられながらも阿弖流為を中心とした活躍が溌刺と描かれているが、後半に入り坂上田村麻呂が登場してくると、物語にグッと厚みが増してくる。そして20年も戦い続けた上に決断した行動とその結末は、あまりにも悲しい。

 阿弖流為たちの儚くも切ない物語。それは悲しいラストシーンも含めて、古代日本の蝦夷地で起きた「スパルタカス」の物語

 

古代ローマ期に起きた、奴隷を率いるスパルタカスの反乱を描いた大作。悲しいラストシーンは本作品と重なります。(1960年製作。監督はスタンリー・キューブリック。主演はカーク・ダグラス