小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

16 もう、きみには頼まない(石坂泰三) 城山 三郎 (1995)

【あらすじ】

 明治19(1886)年、現在の埼玉県熊谷市の地主の子として生れた石坂泰三。旧制一高から東京帝大に進学し、卒業後逓信省に入省する。但し官界での出世は見込めないと考えて、入省後4年で誘われた第一生命に転職する。そこで大所高所から保険業の将来を考え、会社経営を見直す勉強家として知られるも、社長秘書に抜擢されると余りにも「人間が大きすぎて」社長が気を使う始末。昭和13(1938)年社長に就任し、昭和22(1947)年に辞任するまで、第一生命は業界の中位からトップクラスの生命保険会社に成長させた。社長辞任と共に第一生命ビルはGHQが接収し、石坂の社長室はマッカーサーの持ち物になった。

 吉田茂から大蔵大臣、そして労働争議が激しい国鉄総裁のポストを打診されるも固辞するが、その後これまた労働争議が激しく、会社存続が危ぶまれた東芝に乞われて社長に就任する。それまでの経営陣が逃げ回っていた組合に直接対話を行って、激しい労働争議を収束させた。東芝社長の後は経団連会長を長年務め「財界総理」と呼ばれることになる。気骨ある明治男の生涯を描く。

 

【感想】

 一代記がテーマの「くくり」では、今まで主に創業者を取り上げたが、本作品の主人公、石坂泰三は自ら「サラリーマン社長」と呼んでいる。確かにその通りだが、とても「サラリーマン」には見えない人物である。あらすじで「人間は大きい」と書いたが、この表現は西郷隆盛など、政治家に使われる言葉で、財界人にはなかなか馴染まないように思える。だが「財界総理」の石坂にはしっくりと合う。

 細かい所まで理論立てて研究する勉強家だが、対人関係では些末なことは気にせず全てを包み込み、相手がうるさいとユーモアでその場を和ませて丸め込む。但し筋が通らないことに対しては、例え権力者が相手でも決して怯まない。タイトルの「もう、きみには頼まない」は、時の大蔵大臣に面と向かって言い放った言葉である。

   *石坂泰三(文春オンラインより)

 

 敗戦後国鉄と並んで労働争議が激しかった東芝で、先鋭化した組合に自ら挨拶するなど、それまで逃げ回っていた経営陣とガラリと対応を変えた。正面から逃げずに、そしてユーモアも交えて交渉し相手を納得させて、人員整理を成功させる。後に東芝社長を退任する時に組合から「あなたが東芝にいなくては困る」とまで言われたほどで、男冥利に尽きるだろう。

 ところがここで石坂の仕事は終らない。二代目の経団連会長に就任すると、歯に衣着せぬ発言と、官僚出身らしからぬ自由主義経済の信奉者として国の介入を嫌い、経団連の地位を押し上げて財界から絶大な信頼を得る。そして相談役として関与した石川島播磨重工業で逸材、土光敏夫を見出し、東芝そして経団連と自分の後継者としての道筋を作る。

 石坂より上の世代は、大半が敗戦で公職追放を受けて表舞台から身を引くことになった。そのため石坂や、帝大で同期の正力松太郎や同じく城山三郎が著わした「粗にして野だが卑ではない」の石田禮助などが戦後の経済界を牽引する立場になる。その中でも石坂は人間的にも「収まり」がよく、財界の中心として長く君臨する立場となった。

*石坂泰三と同世代、石田禮助の生涯を描いた名作です。

 

 本作品の後半で描かれる「成功したら国の手柄で、失敗したら責任を取られる」大阪万博協会会長に就任するのは、石田禮助が78歳で国鉄総裁を引き受けたのと同じように「公職は奉仕するもの」という気概が自然と備わっていたのだろう。他にも数々の名誉職を引き受けるが、肩書きだけでなく、老齢ながらも最後までその職を全うした

 そしてその歩みを今改めて眺めると、最近の東芝についてつい、思いを繋げざるを得ない。粉飾決算から始まった一連の経営危機。電機業界全体の厳しい状況もあり、流石の石坂も対処しかねたと思うが、粉飾決算をする経営陣に対しては「きみには経営は頼めない」と言い放ったであろう。

nmukkun.hatenablog.com

*「最近の東芝」の姿です。