小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

17 虹を創る男(井植歳男) 邦光 史郎 (1988)

【あらすじ】

 1902年に淡路で生れた井植敏雄は幼い時から父や親戚の元で働いていたが、14歳の時姉から、嫁いだ夫の仕事を手伝うようにと手紙を貰う。義理の兄の名前は松下幸之助。歳男は元々の努力家で、身を粉にして仕事を手伝うが、そこはまだ独立したばかりの家内工業。懸命に製造するソケットはなかなか売れず、資金繰りに窮している状況が続き、最後は幸之助夫婦と歳男の3人が残された。状況を打開するため歳男は、18歳で単身東京に進出し、自ら販路の新規開拓に励む。持ち前の粘りと明るさで徐々に売上を伸ばし、松下電器産業が成長する礎を築きあげた。

 ところが軍需産業の役割を果たしたことから、敗戦により財閥解体公職追放の指定を受けることになった。会社に残ることが許される旧経営陣は1人。歳男は幸之助を残すため自ら身を引いて、新たに三洋電機を設立して、瞬く間に日本有数の企業に成長させた。

 

    井植歳男(文春オンラインより)

【感想】

 本作品の初読は1990年代。それまで恥ずかしながら日本有数の電機メーカーである三洋電機と、松下電機産業の創業者が義兄弟ということは不知だった。しかも松下が主で、三洋が従と、松下の子会社的な存在と勝手に邪推していたため、本作品で描かれる創業者の井植歳男の存在感には驚いた記憶がある。学歴は小学校程度で、松下幸之助の元で仕事をしていた時に、家の向かいにあった夜間の学校へ通って、電機や機械工具の基礎知識を身につける努力家でもある。

 こうした技術の習得を行うだけでなく、慣れない営業で頭を下げながらも、エネルギッシュに働いて松下電器産業の土台を作った歳男。しかし敗戦と公職追放指定によって、唯1人許された旧経営陣から残るのは松下幸之助以外にないと判断し、歳男は潔く身を引く。ところがその時点で歳男には銀行に借金があり、借金を返済させるために銀行が起業をけしかけるという珍しい論法で、歳男は再度経営者の道に返り咲くことになる。

 

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*義理の兄は「経営の神様」

 

 世界を意識して「太平洋、大西洋、インド洋」からイメージして名付けた三洋電機。当時日本では余りなかった電気スタンドを、占領軍向けに製造して資金を得た歳男は、自転車の電気ランプに目をつける。製造過程での不良品の大量発生、工場の火災、そして販路が抑えられた中の営業と難問が山積する。しかし正直な対応と熱意、そして抑えられた販路は自転車店に依頼して直販するなどの工夫を重ね、商品のアイディアから製造、そして販売と歳男1人で生切り開き、汗を絞り出して大きく育てた。

 その後真空管ラジオからトランジスタラジオ、洗濯機、そして白黒テレビからカラーテレビと、時代のニーズに合わせて常に先手を打った。デザインと使い勝手、そして効果と、当時は安ければいいとの意識が強かったメーカー側で、購買者の立場を徹底的に考え抜いて商品開発を成し遂げた。技術者の目と経営者の頭を共に有していた優れた経営者。これに比肩できるのはソニー盛田昭夫か。

 

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*西の「家電義兄弟」に対して、東はこちらが業界を牽引しました。

 

 そんな歳男は、関西経済界でも次第に重きをなし、石橋信夫大和ハウス工業創業者)、中内㓛ダイエー創業者)、佐治敬三サントリー2代目社長)、山田稔ダイキン工業3代目社長)、森下泰森下仁丹2代目社長)を囲んで「井植学校」を築いて経営学を開陳することになる。

 そしてその流れで、サムスン電子の創立に関わっている。先に取り上げた「異端の大義」では、三洋電機をモデルとしたメーカーが破綻する姿を描いている。「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」の家電三種の神器の時代から、新三種の神器である「カラーテレビ・クーラー・カー」で大躍進を遂げた三洋電機。平成三種の神器と言われた「デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビ」ではサムスン電子を始めとするライバル企業に太刀打ちできず、源流とも言える松下電器産業パナソニック)に吸収される運命に陥ってしまった。

 タイトルの「虹を創る男」は、井植歳男という1人の経営者と共に、高度成長期の日本全体にも重なり合うように感じる。66歳で没した歳男は、その後の三洋電機、そして現在の日本経済について、泉下で何を思っているだろうか。

 

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井植歳男死後の、三洋電機(?)の運命を描いた物語です。