小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

5 メディアの興亡 杉山 隆男 (1986)

【あらすじ】

 新聞社から活字がなくなる。コンピュータで新聞をつくるという、当時は「アポロ計画」にも比される壮大な難事業にむけて、日本経済新聞社はリスクを恐れず社を挙げて、取り組むことを決断した。

 朝日新聞は、広岡知男が中心となって、創業者で大株主の村山家という「社主」との確執に悩まされながらも、日経と同じく新聞のコンピュータ化に取り組み、新聞社の近代化を図る。

 読売新聞は当初1地方新聞だったが、正力松太郎のアイディアと務臺光雄の販売力で、ついには日本1の販売部数にまでに成長する。

 対して毎日新は、スクープを連発しスター記者が次々と誕生する。しかしその矜持と周囲の嫉妬から社に居場所を失っていく。そして「新聞社」としては経営者には恵まれず、巨額の借入負債に対して抜本的な解決を先送りしてしまい、ついには経営危機に陥ってしまう。

 

【感想】

 三島由紀夫の割腹自殺を冒頭に入れて、その話題がNYにおけるIBMの会議で、日本の新聞社のコンピュータ事業を進める否かを判断する会議と結びつける、非常に印象的なシーンで物語はスタートする。「ハラキリ」と「コンピュータ」が新聞社経営の新・旧を象徴して、この長い作品の主題を貫いている

 明治からの起源を持つ新聞社。戦後に入り、それぞれが「近代化」に向けてどのように向き合ったのかを丹念に拾って、昭和における新聞業界の内側を見事に描ききったノンフィクションの傑作となった。

 日本経済新聞社の圓城寺次は、若い頃から将来を嘱望されて、34歳の若さで経済部長に抜擢される。そして戦後の1947年には40歳で早くも役員就任。その経歴は記者としての華やかさはなく、若い頃から管理者として、そして経営者としての能力だった。その能力は、「財界の鞍馬天狗」として名を馳せた中山素平からも「タフ・ネゴシエーター」として手を焼いたほど。

 

nmukkun.hatenablog.com

日本経済新聞社の内幕を暴いた(とされる)、本作品とは正反対の立場から描いた作品です。

 

 朝日新聞の広岡知男もスター記者からはほど遠い経歴。戦後の混乱期におけるゼネストを押さえ込み、「企業内組合」の幹部として、政治闘争から経済闘争に方針を変換させて頭角を現わす。その後は経済部長や編集委員などを歴任するも、社主の村山家と合わす、トップを前に左遷される。その後奇跡的に返り咲いて社長に就任すると、村山家排除の路線を邁進して、社の近代化を推し進める。

 その日経と朝日の2社が、IBMと組んで新聞のコンピューター化にいち早く取り組む。

 対して読売新聞に触れる紙面はやや短い。「新聞の鬼」務臺光雄が確固たる販売網を築き、新聞販売部数日本一を獲得する様子を描き、正力→務臺そして渡辺恒雄と、どちらかというと「旧」が支配を続ける構図を印象づけている。そして務臺光雄もスター記者にはほど遠く、どちらかというとトヨタ自販や松下電器を思い出させる「販売の神様」の役割を演じたと言える。

 新聞業界では傍流と言えた日経と読売が躍進する一方で、朝日新聞とともに名門だった毎日新聞は、スター記者はいたが、敏腕経営者は存在しなかった。遅きに失した感で借金経営に対しての転換を試みるも、過去の経営者の「呪縛」と、記者としての矜持が邪魔をして、経営の近代化に脱皮できない。その点を昭和に起きた重大事件を点描として重ねつつ、「借金地獄」に陥る状況を容赦の無い筆致で描いている。

 そして印象的な話が挿入されている。日本の新聞社は、朝日、読売、毎日、日経そして産経と、全て国有地や政府関係の土地の払い下げによって、社屋が建てられている。「これでは政府相手にケンカをやとうというのが、どだい無理な話なのだ」(文庫版下巻269ページ)という毎日新聞OBの述懐が、日本のマスコミの姿を象徴している。

 活字が消えた新聞社。しかし2000年からが新聞販売数が急減している。インターネットの普及によって、「紙面」が消える日が近いのかもしれない。

 

nmukkun.hatenablog.com

*こちらにも、日本経済新聞社のコンピューター化の話題に触れています。