小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

10 屈折率 佐々木 譲 (1999)

【あらすじ】

 やり手の元商社マン・安積啓二郎は、独立して作った貿易会社の経営に失敗し会社を解散する。次の仕事を考えていると、役員の叔父から、やる気のなくなった兄に代わり、経営が傾き始めた実家のガラス工場の社長になって欲しいと頼まれる。

 当初は工場を売り払うつもりだった啓二郎だが、工場の一角を夜間の仕事場として活用していたガラス工芸作家の野見山透子との出会いを通じて、ガラスの魅力に引き寄せられていく。難問山積の工場再建に向けて悪戦苦闘しながらも、「モノづくり」の再起をかける。

 

【感想】

 前作に続いて町工場の話。しかも物語の舞台は大田区の糀谷で、私の父が昔働いていた場所。トタン板に囲まれた町工場で、溶接作業を行うため高温の中、当然クーラーもなく扇風機も禁止されている工場内。火の粉を浴びるため、分厚い作業着を着て汗まみれになって「モノづくり」をしていた父や職人の姿を思い出す。本作品もガラスの炉が1200度から1300度と高温の中仕事を行うため、町工場というと「熱」がキーワードという印象が残る。

 そしてもう1つキーワードがある。叔父が啓二郎を実家の工場に引き込む際の言葉。「男子がほんとうに一生賭けていいのは、物をつくることだよ」。糀谷で育った叔父は、「モノづくり」をする男を見て大人になったと言って、商社マンであった啓二郎を説得する。この台詞はこの時限りで、その後使われないが、バブルの崩壊によって日本が失われた、そして敗戦の焦土から、日本経済を回復させた「モノづくり」の精神を、若い者の大半が忘れてしまっていることに警鐘を与えている。

 特に大田区の町工場群は、「下町ロケット」の佃製作所もあり(?)、以前は高度な技術が集約していた地域。大企業が手に負えない難題も、その町に金型、溶接、板金、加工、研磨、塗装など様々な「名人」がいて、そのネットワークを通じて注文通りの部品を作りあげる伝説がある。

大田区のモノづくりの象徴です(でも敢えて取り上げませんでした)。

 

 昔団塊の世代は中学校卒業後、地方で進学する経済的余裕がなく、また就職先も限られることから都会に集団就職した。都会では高学歴化が進み、また高度成長による労働力の需要が高まったことから、集団就職する中学卒業の労働力は「金の卵」と呼ばれる。その中で町工場に就職して修行した労働者は、例えば旋盤機を1台買う資金を貯めて独立して、各々技量を磨いて名人になっていった。「空洞化」によってその技術が海外に流出し、また名人が定年の年齢を過ぎて「技術の継承」が問題視されたこともある。

 (ようやく話題が本筋に入るが)本作品は、自分の会社を解散した経験で、実家の工場も迷惑をかけずに「撤収」する考えから社長を引き受ける。しかしガラス工芸家の透子と出会ってから、「ガラス工場」を継続する情熱が芽生える。ここから透子とは不倫の関係に陥り、商社で役員秘書も務めた経験があり、結婚後事業を起こし成功させている優秀な妻とは離婚に至る。町工場の再建が不倫と絡んでしまうのはやや安直な気もする。しかし「屈折率」というタイトルが、ガラスを素材とした物語と、会社を畳んだ啓二郎とガラス工芸家の透子、そして優秀な妻との関係も合わせて重なり、非常に含みのある言葉に感じさせる

 町工場を再建する手法の王道は、得意分野へ業態特化し、限られた国内から海外に市場を求め、そして並行してコストダウンを行なう。また当時あった「貸し剥がし」の問題もあり、資金調達は欠かせない。これらの難題を啓二郎はこなしながら、町工場の再建を一歩一歩進めていく。そして透子は啓二郎と別れてガラス工芸の「アーチスト」として進んでいく。1つの町工場を再建するためには、1人の男の心が「屈折」することを必要とし、そしていろいろなものが犠牲になって成り立っている。

 

 

nmukkun.hatenablog.com

*作者佐々木譲経済小説は意外と少なく、歴史小説や警察小説など、多岐に渡って作品を描いています。