小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 雄気堂々(渋沢栄一) 城山 三郎(1972)

【あらすじ】

 武蔵国榛沢郡血洗島村出身の渋沢栄一は妻千代の兄・尾高長七郎の影響で、攘夷思想に傾倒していく。栄一は従兄の渋沢喜作や長七郎の兄弟と共に、高崎城の武器・弾薬を奪って横浜にある異人館を焼き打ちを行う計画を立てる。だが決行の日長七郎が現れ、軽挙妄動を諫められて計画は頓挫する。

 計画中止後、栄一は平岡円四郎との奇縁から一橋慶喜に仕官することになる。そこで持ち前の才覚を認められた栄一は次第に仕事を任せられるようになり、慶喜の弟・徳川昭武の随員としてフランスのパリ万国博覧会に赴くことになる。欧州の地で大政奉還を迎え、日本へと帰国した栄一。動乱の最中に長七郎が病死しその弟が戦死、そして従兄の喜作が戊辰戦争で函館へと渡っていることを知る。

 栄一は主君の慶喜に付き従い静岡で新たな生活を始めるが、大隈重信の勧誘を受けて大蔵省へ入省することになる。新しい国づくりのために奔走するも、藩閥政府の政争に嫌気がさして新政府から下野をすると、それまで抱いていた夢であった合体組織(株式会社)を設立するための活動を始める。そして日本最初の第一国立銀行を設立し自ら総監役に収まり、「日本資本主義の父」と呼ばれる礎を築く。

 

【感想】

 大河ドラマ「青天を衝け」の主人公を題材とした小説。大河ドラマは夫婦愛も含めて「装飾されて」描かれたが、城山三郎も主人公を「好天的に」描く名人として、妻千代が亡くなる場面(栄一42歳)で物語を終えている。そのため「日本の産業のほとんど全てを興した」と言われる活躍を行う時期には至っていない。但し興した企業や団体は500を超えると言われるほどて、書き切れなかっただろう。

  渋沢栄一ウィキペディアより)

 

 血洗島という天領(幕府領)で生まれた栄一は、比較的裕福な農家(名主)身分で働く、まずは尊皇攘夷に目覚めて志士として活躍する。ところがその方向性が定まらないままに紆余曲折の果てに、幕閣の一橋家に仕官していき、次第に自身の商才に目覚めて、一橋家の財政再建に寄与することになる。

 その人生が描く曲線は、坂本龍馬と同じ軌跡を描いているように見える。竜馬は武士階級だが「郷士」と呼ばれる下層階級で、その代わり商家も営み比較的裕福な出身。尊皇攘夷運動に身を投じるも、周囲のように狂奔することができず方向性が定まらない中、紆余曲折の果てに幕臣勝海舟の知遇を経て、自身の行く手が開かれていく。

 「商才がある」ということは「合理主義」の精神があるということだろう。時勢や義理・人情には流されずに、自分の「合理的な考え」で導き出した結論を達成するために、どのような手段が効果的かを考えて実行する。その点は幕末の坂本龍馬と明治後の渋沢栄一はまた、似通っているように思える。そしてその「合理主義」を持つ人物は、日本の歴史上常に少数派であり、「狂奔」の時代では周囲に相容れないため、非業の死を遂げる場合が多い。

 その点栄一は、自分の論を振りかざすも相手を立てて、またユーモアも交えて「雷」から避難する術を心得ていた。その性格から栄一は自ら「王国」を作ろうとせずに、日本経済に種蒔きをしていく姿は大きな信用を与えて、経済界の「調整役」として大きな存在を表わした。それは三菱財閥という王国を作り上げた岩崎弥太郎と決定的に違う点である。本作品の後半では様々な財界人との交流の中で、三井を第一とする番頭・三野村利左エ門と、三菱王国を作り上げようとする岩崎弥太郎との対立が描かれることになる。

 渋沢栄一は財閥を作らず、自らが儲けようとする機会を敢えて放棄した。対して明治期に新興した財閥群は時に栄華を極めたが、その利益を求め続ける「DNA」は戦争への道を加速する装置となり、戦後は戦争に加担した罪を問われて財閥解体の憂き目にあう。ピーター・ドラッカー渋沢栄一を「企業と国家の目標、企業のニーズと個人の倫理との関係という本質的な問いを提起した」と高く評価した。渋沢栄一の著書「論語と算盤」。その思想はプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー)に通じている気がしてならない