今週のお題「何して遊んだ?」
私が子供の頃は、自宅がまだ新興住宅地で開発途上のために、自然にも恵まれていました。未舗装の道路も珍しくなく、6月になると近所の田んぼでカエルの鳴き声が激しく響きわたり、そしてせせらぎを見るとザリガニがいて、ザリガニすくいにも興じたもの。遊び方もそんな自然を利用しながらのものが多く、そして「定番」の石蹴りや缶蹴りなど、自然を利用したものが多かった記憶があります。
*こちらの記事も昭和の遊びを綴っています。
そして近くには、うっそうと繁い茂った杉林がありました。中に横断できる小径があり、近道でよく使っていましたが、斜面で高低差が激しく、雨が降るともう靴はドロドロ。でもそんな急斜面の中、地面に浮き出た木の根を階段代わりにして、よく通ったものです。
その杉林、横断は100メートルくらいでできましたが、縦断となると1キロを超える距離があり、また道も通っていなくて誰も「縦断」はしません。元々杉林の縦に即して両面に道も通っているため、森の中を通る必要もないところでした。
でも子供の時はそんな所を冒険したがるもの。近所の友達と道なき道を歩いて縦断するのが楽しみでした。時には茂みの中で歩くため擦り傷だらけになり、斜面を滑ったり転んだりして膝小僧はいつも怪我をして「カサブタ」が絶えませんでした。それでも遊び道具が乏しい時代は楽しみの1つでした。途中で捨てられたゴミを見つけて何かに利用したり、自然の樹木が織りなす「舞台」で、様々な遊びをしたものです。
そんな中、その杉林には洞窟の入り口と思える穴がありました。入り口から入ると天井が狭く、そしてすぐ曲がりくねって下に降りていって、そこから先は見えません。さすがに子ども心に、これ以上入り込むのは危険だと感じていました。
けれども1人が「もっと奥を探検しよう!」と言い出します。臆病だった私も嫌とは言えず、内心は怯えながらも「行こう、行こう」と調子に乗って、家からみんなで「探検セット」を持ち寄ります。今から考えると2メートルくらいのヒモや、(懐中電灯ではなく)ロウソクや水筒などで、どうも実践的ではないと思われますが、それでも子供から見ると準備万端、いざ探検開始!
いつもは引き返す曲がった坂道を下っていき、入り口の明かりが見えなくなります。妄想癖が激しい私は、ここで天井が落ちてきたらとうしようと思ったり、ヘビやコウモリ、または猛獣が出てきたらどうしようかと怯えながらも、引き返す勇気もなく付いて行きます。そうしたらちょっと広い空間が現われました。
そこには何と子ネコがちょこんと座っていました。痩せ細って余り歩けない様子を見せながら、私たちを見るとミャーミャーと声をかけてきます。
それから、この空間がみんなの「シークレットベース」となりました。みんなで空き缶やビンを拾い集めては、顔なじみの酒屋さんに行ってお金に換えてもらい、ミルクを買って子ネコに飲ませる日が続きました。学校から帰ったら当番で子ネコを面倒見て、そして大きく成長するのをみんなで見守りました。
そうしたらある日突然、子ネコがその場所からいなくなってしまいました。何かの理由でその場所に置いて行かれた、痩せ細っていた子ネコが段々と成長していき、ついに自分の力で洞窟から出ることができたのでしょう。私たちの世話によって、子ネコは命を生き長らえたのでしょうが、その時はみんな喪失感に包まれました。
あとで近所の「古老」から洞窟の話を聞いたところでは、元々は太平洋戦争の時の防空壕として使われたとのこと。本来人が入るものだったそうですが、子供の頃の私にとっては、「シークレットベース」として今でも思い出になっています。