今週のお題「好きな公園」
公園には縁があります。散歩が趣味なので、適当な公園があれば、それが目的地になることもあります。金沢にいた時は、当時造営されたばかりの大乗寺丘陵公園は、上り坂のスロープが身体の負荷にちょうど良い感じで、また夕暮れに歩くと頂上で眺める日本海の夕焼けと金沢の夜景がとても美しいので、夕食後に何度も散歩しました。そして日中に散歩すると、たまに頂上から裏手に回り野田山墓地まで足を伸ばします。樹木が繁茂した山中の小径を散策すると前田家歴代藩主のお墓が点在し、また山のふもとには家臣たちのお墓もあり、没年や役職、そして亡くなった時の事情なども垣間見られる文が記されて、自然と人の営みの双方とも味わうことができました。
*大乗寺丘陵公園の見晴台から見る夕焼けです。
時に自然と触れ合いたくなり、以前取り上げました国営みちのく杜の湖畔公園も、コロナ禍で心身ともに清新さに包まれることができました。
ところで私が「公園」と聞いて思い浮かべるのは、子供の頃近所にあった「カバ公園」です。昭和の時代の公園は、今ほど遊具が豊富にあるわけでもなく、シーソー(昔は「ぎったんばっこん」と言っていましたね)やブランコ、ジャングルジムなどの「スター」が鎮座する中、影に隠れて全く動かないカバの像がでーんと置いてありました。別に乗っかっても面白くもないのですがインパクトは抜群で、友達たちで「学校終ったら、カバ公園に集合ね!」と言っていたのが、懐かしい思い出になっています。
当時私は近所では一番年下で、まだ自転車に乗れない時から一生懸命走って皆を追いかけて公園に行って、缶蹴りや石蹴り、かくれんぼなどで暗くなるまで遊んだものです。それでも時に身体が小さいためか時に仲間に入れて貰えず、相手をしてもらったのはカバだけの時もちょくちょくありました。口をあんぐりとあけて、なんでこんな格好で公園にいるんだろうと思いながらも、私が参加できる遊びに移るまで、絶妙なフォルムを誇る「カバ」に乗っかりながら、お兄さんたちが遊んでいる姿を見ていました。
ところでそんなお兄さんたちも、小学校高学年になる頃からクラスメートとの交遊やら部活動やらに忙しくなり、次々と近所の仲間から卒業していきました。だんだんと人数が少なくなり、カバ公園に集る子供たちも代替わりして、そして少なくなってきました。
私も年を重ねるに連れて、そんな「素朴な」遊びから離れて、スポーツやゲームなどに気持ちが移っていきます。たまにカバ公園の近くを通る時もありましたが、そこは子供がいなくなり、カバはいつものように口を開けながらも、寂しそうな姿に変っていました。
高校を卒業して大学に入学してから公園に行く機会がありましたが、何とまあ小さく感じたもの。カバも昔は上に「乗っかる」印象でしたが、その時は本当に「跨ぐ」感じになっていました。色もあせてだいぶくたびれた感じでしたが、それでも昔のように口を開けて、まるで私が来るのを待っていたように思えました。
そしてしばらくしてから帰省した時に公園の近くを通りましたが、再開発されて公園は跡形もなくなっていました。外には子供たちの姿が消えて、そして街並みも子供の時から思い出すと、道が狭く垣根も低いこと。昔はこんな狭いところで遊んでいたんだなと、改めて子供の頃を思い出しました。