1 戦争を始める力
ロシアによるウクライナへの侵攻が止まりません。先にもコラムで取り上げましたが、プーチンの計略に対して、ウクライナは国民一丸になって必死に抵抗して、ロシアの思い通りにさせていません。ロシアも引かず、そのため戦争が長引く気配が漂ってきました。
20世紀は、その前半の余りにも大きな犠牲を払った教訓を踏まえて、後半は人類が学習する世紀であったはずです。ところが21世紀になり「自国ファースト」主義が世界を席巻しました。東西対立が崩壊して、イデオロギーの対立が宗教的な対立に移り、そして今度は主義思想に準じない「自国ファースト」は、その目的が単純であるがために、譲歩することなくひたすら自らの欲望を果たすために邁進します。
言い換えると、成熟した民主主義となり以前と比べて「共通の敵」が乏しい現代、自国をそして国民を満足させて自分の権力を保つためには、政治・経済で相手に譲ることなく自国の主張を推し進めるしかなくなっています。
2 戦争を抑える力と進める力
アメリカの世論調査では、トランプ大統領だったら戦争はなかったとする意見が6割を超えたと報じています。トランプ侮り難し、バイデン組み易し。ではその理由は何でしょうか。トランプが直接プーチンに「ディール」できるという人もいます。けれども多くの人は「トランプは何をやるかわからない」と思ったからでしょう。歴代アメリカ大統領とは明らかに違う「自国ファースト」を貫いた前大統領が相手ならば、さすがのプーチンも売られた喧嘩を「本気になって」受ける可能性があると判断したのではないか、と思うのが自然だと感じます。
この考えは20世紀の「教訓」を思い出させます。第二次世界大戦勃発前夜、ヒトラーのドイツ帝国がヨーロッパを席巻した時に、当時世界の覇権を握っていたイギリスのチェンバレン首相は、ドイツに対して強行策ではなく「宥和政策」(敵対国の主張に対してある程度尊重する事によって問題の解決を図ろうとすること。「融和」ではない)を行ないます。それがドイツ侵攻を容認したとされ、その後イギリス首相となったチャーチルは激しい非難をし、現在までその是非についての論争が続いています。
*ミュンヘン会談でのチェンバレン(右)、ヒトラー、ムッソリーニら
ではチャーチルはどうだったか。失脚や落選を繰り返した「政界の暴れん坊」は、英独どちらかが倒れるまで戦うつもりで徹底抗戦を行ないます。ナチスドイツを壊滅に追いやったことは評価されますが、想像を絶する戦死者を生みだし、ヨーロッパは破壊され、そして「ヤルタの裏切り」などで東西対立という新たな戦争の芽を生み出すことになります。
3 戦争の終わり方
ある報道番組で「専門家」にどうすればこの戦争は終るか、を聞いたところ、「プーチン大統領が満足する成果を受け取ったら」と重々しく答えていました(だから、聞いているのはその中身でしょ!)。
戦争を止めるには、大雑把に考えると以下の3点になると思います。
① どちらかが諦めるか
② どちらとも歩み寄るか
③ 当事者の一方又は当事者同士が戦争を継続する能力を失うか
ロシア側はウクライナが ① になることを目指して、 ③ の可能性をちらつかせて侵攻を始めたはずです。
ウクライナ側は抵抗して、世界を味方につけてロシアを ① か ② に持って行きたいとして、懸命の努力を続けています。NATOなどの軍事力を背景に、ロシアが目的を果たすには、余りにもリスクが大きいと思い知らせたいところです。但しそのことで ③ に至るのは、自由主義諸国は何とか回避したいと考えています。
プーチン大統領は相手が「チェンバレン」ならば、ある程度の利権が受けられる① が可能と考えたはずです。但し相手が「チャーチル」ならば ③ の可能性が高いと判断して、自国への影響も含めて戦端を開くのを躊躇したと思われ、それがにアメリカの調査結果にも現われています。
*ヤルタ会談で(左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン)
既に戦端は開かれています。戦争が始まったあと首相の座についたチャーチルは徹底抗戦をしました。そして「現代のチャーチル」は、仮に大統領に返り咲いたら、どのような判断をするかわかりません。ビジネスとしての「ディール」で、領土を「やり取り」するのか、それとも歌舞伎役者のように見栄を切るのか。
そして忘れてならないのは、ヒラリー・クリントンと戦った大統領選挙で、トランプ陣営に「ロシアの影」が見え隠れしていたことです。ひょっとしたら「ディープスロート」で繋がっているのではないかとの疑念も払拭できません。
そしてもう1つ。上記 ③ を選択した場合、第二次世界大戦の時と違って、現代は「簡単に」世界を壊滅することができるようになったということです。
4 戦争を終らせる「本当の力」
今更になりますが、果たしてプーチンは戦争の終わらせ方を真剣に考えているのでしょうか。ウクライナを自国、または自国同然の属国にするまでは戦争は終らないのでしょうか。そして「終わらせ方」を考えて始めたのか、疑問に残ります。
戦争を始めた人は終らせる責任がありますが、事前に勝利以外に終戦を考える政治家は稀でしょう。そして国民に説明できる明らかな「成果」を上げないと、独裁者は戦争を終わらせることはできません。そのために「ジリ貧を避けようとして、ドカ貧(太平洋戦争を反対した米内光政海軍大将の言葉)」に陥るまで続け、最終的には責任のない国民を巻き込んで「一億総懺悔」などの綺麗ごとを並べることになります。
司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」では、日露戦争における奉天会戦の後、陸軍参謀の児玉源太郎が日本に戻り、迎えに来た留守部隊の長岡外史にこう怒鳴ります。
「火をつけた以上は消さなきゃならんぞ・・・・ ぼやぼや火を見ちょるちゅうのは馬鹿の証拠じゃないか」
ロシアでは法律が改正されて、戦争反対運動者への弾圧が増しているとの報道があります。そして過去にもプーチンの対立候補と呼ばれた人は毒殺され、明らかな不正選挙で排除され、そして政治犯として次々と投獄されています。それは中国でも、香港でも、北朝鮮でも、そして昭和初期の日本やドイツも同じです。
「プーチン大統領」を作りあげたロシア国民を非難する人もいますが、自分が命を張って抵抗する覚悟を持って、非難しているとは到底思えません(私も当事者になったら、そんな状況で抵抗し続ける自信はありません)。
それでも最後にはそのような国民の声が積み重なり「蟻の一穴」となり強固な支配体制が崩壊する。権力の周囲で理性が働き、自浄能力が作動する。無責任で書き記すのは承知の上ですが、そんな「人間の叡智」を願っています。
先日読んだ歴史小説には、友人が戦争の犠牲になって亡くなり、自分も兵糧攻めで苦しむ少女が、籠城した武将たちに訴える言葉が書かれています。
「始めたんやったら、ちゃんと終らせてください。まだ生きている人たちまで、道連れにせんといてください!」(「もろびとの空」天野純希)
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