小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

19-2 翔ぶが如く② (-1976)

 

大河ドラマでは原作にない「幕末編」も制作されました(NHKより)。

 

【あらすじ】

 明治六年の政変で、西郷を筆頭に佐賀の江藤新平や土佐の板垣退助なども下野した。また西郷の配下だった陸軍少将の桐野利秋を先頭に、薩摩閥だった陸軍から鹿児島へと帰郷する兵士が続出する。新政府の不満分子も一斉に下野したことで、反乱の種は佐幕派の旧藩よりも、倒幕に尽力した薩長土肥に集まった。

 

 一部新政府に登用された藩士を除いて、命をかけて倒幕を果たした結果士族の身分が失われることになり、不満が頂点に達していた。実際に江藤新平佐賀の乱を起こして死罪。そして熊本では神風連の乱、福岡では秋月の乱、長州でも萩の乱が勃発して鎮圧される。

 

 そんな中で西郷は鹿児島で、不満士族に担がれることを忌避して、隠遁生活に入った。その一方で私学校設立に尽力し、若い人材の育成も忘れない。

 

 そんな国家の「仮想敵国」となっていた鹿児島に、政府から密偵が入り込む。指揮したのは、警察権力を手にした初代警視総監の川路利良。川路は西郷に恩義があるが、警察官僚のトップとして国の治安を守ることが一義と考えていた。鹿児島の実情を探ることが使命と考え、場合によっては破壊活動も視野に入れていた。ところがその密偵が捕まってしまう。中には西郷の暗殺を企てた疑いもあり、私学校の面々の怒りは収まらない。そこでついに西郷も周囲を抑えきれず「決起」することになる。

 

 決起しても、西郷は多くは語らず子細は全て桐野利秋に任せた。桐野は爽快だが、細かな戦術は身につけていない。西郷率いる鹿児島軍が進軍すれば、沿道の人々は皆歓呼の声で迎え、敵も全てなぎ倒すだろうと、楽観的な見方をしていた。

 

  *桐野利秋ウィキペディアより)

 

 対して新政府軍は、国民皆兵策において戦術を統一して軍備を整え、各地で起こった反乱の鎮圧で実戦を積んできた。勇敢な「薩摩隼人」が熊本城に攻め込むも、守将の谷干城加藤清正が築いた熊本城を拠り所にして、知恵を尽くして守り抜く。戦争が長引き熊本城攻略が進まない西郷軍は、その後田原坂の戦いで敗れてからは敗走を重ね、命からがら故郷鹿児島に戻る。城山に籠もるが政府軍に完全に包囲され、降伏勧告に従わず最後の進軍を行ない、西郷、桐野達は全滅する。

 

 それまで新政府の威光が届かず「独立国家」の様相を呈していた鹿児島も、明治政府の支配下に収まり、大久保の政策運営はこれから本格的に動こうとしていた。そんな時に旧加賀士族が紀尾井坂で大久保を暗殺する。死の場面では、大久保は西郷の手紙を読んでいたという。

 

 西南戦争のきっかけを作り、そして大久保の暗殺を食い止めることができなかった川路利良は、責任を感じて心身を病み、翌年死亡する。

  

 西郷隆盛の弟、従道は大久保に従い、新政府に残りました(ウィキペディアより)。

 

【感想】

 西南の地で、江戸時代の間平和ボケした諸藩と異なり、武士としての矜持を保ち士風を受け継いできた薩摩藩。そのエネルギーは倒幕の主力となり、皮肉にも武士が無くなる時代をもたらしてしまった。武士の矜持に最後まで殉じた「ラスト・サムライ」西郷、そして武士のいらない世を作ろうとした大久保。語らずともお互いの役割を承知して、演じてきた2人。「明治六年の政変」と呼ばれる対決で袂を分かつも、西郷は東京から去る時に、最後に訪ねた人物は大久保利通であり、大久保が死を迎える時に手にしていたものは、西郷からの手紙であった

 西郷は鹿児島に下野してから(と言うより倒幕を成し遂げてから)、自らの欲望を消し去った印象がある。各地で士族の反乱が起きた時も、連携すれば新政府を倒す可能性は強かった。また西南戦争でも、禁門の変戊辰戦争などで自ら兵を率いた西郷は、桐野利秋の「作戦とも言えない作戦」に対して、思うことはあったはず。そして村田新八など、西洋留学で近代戦術を学んだ軍人も配下に抱えていた。西郷隆盛の従兄弟にあたる大山巌は、日露戦争の際に満州軍総司令官を務め、作戦の介入は常に諫めていたが、負け戦となったら自分が出て行くと覚悟していた。しかし西郷は最後まで介入は控え、そして「負けるべくて負けた」。

 

 

*欧米視察を経験して、大久保が頼りにした村田新八は、西郷軍に加わりました(ウィキペディアより)。

 

 対して大久保利通は、政治家として明確なビジョンと実行力があった。明治維新から10年ごとに区切り、第1期は兵乱が多い「創業の時期」、第2期は内治を整える「殖産の時期」、第3期は後進の賢者に引き継ぐ「守成の時期」。大久保は西南戦争によって第1期が終わり、第2期は引き続き自分が担うと意気込んでいた。そう考えて西郷の行動を見ると、西郷も大久保のビジョンを、そして自分の役割をわかっていたのではないかと思わせる。

 自らが創業の「礎」となり、第2期へと橋渡しをする役割を

 

 宮城谷昌光が紐解いた題名の由来。兄弟が仲良く新しい宮室を建てる内容の漢詩「斯干」にある「鳥のこれ革(と)ぶが如く、キジのこれ飛ぶが如く」から取ったもので、これに司馬遼太郎は、薩摩隼人を連想させる「翔」の字をあてた。幼少の頃から一緒に行動し、おのおのの役割を果たしながら倒幕を行ない、そして明治新政府を樹立した西郷と大久保。そして政策では対立して、遂に袂を分かった2人だったが、最後までその友情は強く結びついていた。

 明治維新を西郷と大久保という「兄弟」が成し遂げたことは、日本にとって幸運だったと思う

 

  

大河ドラマ西郷どん」は、以前の大河「翔ぶが如く」と同じ素材ながら、脚本家中園ミホの視点が光りました(NHKより)。