小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 江戸を造った男(河村瑞賢)伊東 潤(2016)

【あらすじ】

 伊勢の貧農に生まれた七兵衛(後の河村瑞賢)は、江戸で一旗揚げようと独立するが、元手がなくて商売がうまくいかない。身投げしようと品川沖をボンヤリ眺めていると、盆の供養で飾られた瓜や茄子が流れるのを見つける。これを漬物にして職人に売り歩くと、儲けが出た。その元手で材木屋を営むと、明暦の大火の折には飛騨の材木を買い占めて、莫大な利益を得る。儲けた金で七兵衛は、焼き出された人を相手に粥の炊き出しを行なった。

 

 七兵衛自身も子を失った。大量の死者が放置されて腐敗し、腐臭もあり疫病の心配も出てきたが、幕閣は手が回らない。義憤にかられた七兵衛は、時の権力者保科正之に上訴して、遺体の供養を訴える。本来なら上訴は死罪だが、保科正之は死罪の代わりに七兵衛にその仕事を背負わせた。七兵衛は才覚で市民を使い遺体を集めて火葬にすることに成功し、正之の信頼を得る。

 

 明暦の大火から12年後、七兵衛は保科正之から呼ばれる。上杉家のうち15万石が没収されて天領となったが、米を江戸に運ぶ手立てが必要になった。従来は難所の銚子沖を回避して、利根川を使って上流を遡っていたが、幾つか荷を積み替えるために費用と損米が出て、江戸に着いた頃には米は想像以上の高値となる。これでは急激に人口が増加する江戸の台所を、賄い切れない。

 

  *刀剣ワールドより

 

 七兵衛は阿武隈川の開削を行い、大きな船で米を海に運べるようにする。銚子沖は鳥羽の手練れの船乗りを使い、丈夫な船を使い座礁を避け、江戸湾に直接航行できる「東回り航路」を築く。同様に庄内酒田からの米も、従来は敦賀から陸荷に乗り換えて琵琶湖経由で運んでいたが、赤間関(下関)経由として、座礁の多い瀬戸内海を熟練の地元塩飽の船乗りを使って、大坂そして江戸へと航行できる「西回り航路」を作りあげ、安い米を安定して供給することに成功した。

 

 七兵衛は保科正之の後継者となった老中の稲葉正則から招かれ、財政破綻した越後高田藩の、畑違いとも言える新田開発を託される。専門家による開発は失敗しており、老中は専門家でない目を期待した。反対する者には誠意を持って、時には己を退いて相手を立てて協力を依頼する。新田開発は成功したが、続いて依頼された銀山開発では、落盤事故で長男の伝十郎を亡すなど多大な犠牲を受け、閉山に至る。時に七兵衛62歳、隠居を決意する。

 

 しかし稲葉正則は66歳の七兵衛に、大坂の水害を解決するために、淀川の治水工事を依頼する。予算も限られ政争にも巻き込まれるが、仕事一筋でやり遂げる。時に70歳。しかしまた呼び出されて、閉山した上田銀山の再興を依頼される。長男伝十郎の仇として取り組み、難事業となり犠牲者もでるが、何とかやり遂げる。時に七兵衛75歳。80歳になると大坂の治水が再度限界となり、抜本的な対処を献策する。ときの将軍徳川綱吉に拝謁が許されると、翌年武士に取り立てられ、元禄12年82才で亡くなった。

 

   *大坂の治水工事(産経ニュースより)

 

 

【感想】

 前回取り上げた「貨幣の鬼」と時代が前後するが、三井物産出身の高任和夫は荻原重秀新井白石という「水と油」を、河村瑞賢を使って橋渡しした。その河村瑞賢を描いた伊東潤は、日本IBMからコンサルタントに転職した経歴を持っている。長篠の戦いを描いた「天地雷動」では、信長と秀吉が「分業」をキーワードに戦術のイノベーションを果たす一方、事業承継に失敗した武田家の姿を描いた。それではコンサルタントから見て、河村瑞賢はどう映るのか。

 七兵衛は新田開発の際、手際の良さの心得として、「状況を見極め、対策を立て、段取りを決める。最後にそれを実行に移す」と語り、それでも上手くいかない時は、「計画を作った者の眼力に狂いがあったか、当初の目論みに無理があったか」であり、原因を探ることで目論みの精度を上げて進めていくと語らせている。これはPDCAサイクルそのものである。また作りあげたシステムを安全に、永続性のあるシステムとする河村瑞賢の考えも、現代の経営学に通じるものがある。

 作者は保科正之を使って河村瑞賢を「欲を超越した大欲を感じる」として、目先の利益を求める商人とは一線を画し、平清盛日宋貿易織田信長南蛮貿易と対比させている。そして保科正之稲葉正則ら幕閣の要人は、河村瑞賢を決して一介の商人ではなく、仕事を託せる1人の独立した人間として扱った。そして河村瑞賢も、仕事で関わる人々に対して、同じように接した。これらは共に、身分制度の厳しい時代の中で、特筆すべき行為に見える。

 

   *河村瑞賢(ウィキペディア

 

 それは河村瑞賢が一介の商人に終らず、武士から町民までの役に立つ、公共事業を邁進する力を持つ人物として幕閣から認められ、瑞賢本人もそのためには「経世済民」の方針を具現化したからであろう。本作品のタイトルは「江戸を造った男」としているが、作者本人も語る通り「江戸時代を造った男」としての業績に広がる。

 

 河村瑞賢を初めて知った時は、材木商が東廻り、西廻りの航路開発だけに及ばず、治水や灌漑、そして鉱山開発などにも手がけていることを知り、果たして本業は何なのかと疑問に思ったもの。本作品で、本業は「プロジェクト・マネージャー」だと思い至り、長年の疑問がようやく氷解した。

 

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