小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

12 等伯(長谷川等伯) 安部 龍太郎(2012)

【あらすじ】

 能登国七尾で、畠山氏の家臣奥村宗道の子として生まれた信春(後の長谷川等伯)は、仏画を描く長谷川宗清の娘静子の婿となり、近隣では評判を得ていた。心中は、京で評判の狩野永徳と比肩するような絵師になりたいと願っていたが、養子の手前遠慮していた。

 

 国主を追われた畠山家の再興に奔走していた兄武之丞は、弟信春に危険な使いを命じるが、代わりに養父母が命を落とす。妻と子は残されたが、親戚からは厄介者扱いされて、能登の故郷を追い出された。親子3人でようやく京に辿り着いて、絵屋として生活を支えるも、延暦寺焼討ちで若い僧侶を守るために軍勢に立ち向ってしまい、妻子とはぐれてしまう。その後妻子と再会するが、妻に散々苦労をかけたあげくに労咳で先立たれる。

 

 潜伏期間中、信春の比叡山での活躍を知った高僧から、死の前に肖像を書くように頼まれる。その出来映えが評判を呼び、絵師としての地位を固める。そこで前関白近衛前久との縁ができ、狩野永徳の父松栄千利休、そして三条家に嫁いだ畠山家出身の夕姫との知遇も得て、畠山家再興を目指す兄武之丞とも再会を果たす。兄は畠山家再興を優先して信春を都合良く使うため、信春は縁を切りたいが、夕姫の頼みもありその決断ができない。

 

 信長が本能寺の変で亡くなることで信春は晴れて表に出て、洛中でその名は高まっていった。そんな時に松栄の子狩野永徳と出会い、信春の子久蔵を弟子入りさせる。しかし永徳は狭量であり高慢であった。信春の絵が評判を呼び、天下人の秀吉や朝廷からも声をかけられると、悉く邪魔をする。一旦弟子入りした久蔵を呼び戻す過程で、完全に2人の仲は決裂し、その仲を修復できないまま永徳は先立つ。

 

 交誼を通じていた千利休が秀吉の不興を買って死罪となり、信春にもその手は延びる。一方畠山家再興を目指す兄武之丞から、夕姫を通じて朝廷の仕事を受ける代わりに、高額の金を要求される。狩野派に対抗するには朝廷の仕事が必要だった信春はお金を差し出すも、朝廷から声がかかることはなかった。

 

 千利休との繋がりを利用して畠山家再興を目指した兄武之丞は、利休の死によって情勢が暗転し、死罪となった。そして武之丞が欺していたと思っていた夕姫も、実は自分の享楽のためにお金を散財していたことを、出家した旧主畠山修理太夫から聞かされる。また才能を発揮する息子民蔵は、狩野派の謀略と思われる細工が元で命を落とす等伯と名を変えた信春は、息子の名誉回復のために秀吉に直訴するが、受け入れない秀吉に、禁句とされる利休の名を出す

 

 近衛前久の取りなしで手討ちは免れたが、秀吉を納得させる一世一代の傑作を編み出すことを求められた。等伯は幼少期を思い出しながら、知らぬ間に没我の状態となり、記憶のないまま3日間筆をとり続けて気絶してしまう。そして画をお披露目する約束の日がやって来た。

 

 

*松林図屏風。長い間鑑賞していると、魂が吸い取られるような錯覚に陥ります


【感想】

 長谷川等伯は、狩野永徳率いる弟子300人を擁する狩野派に対抗する、当時唯一の存在だった。永徳死後は等伯が第一人者となり一旦は隆盛を極め、1610年、徳川家康の要請で江戸に下向するも、上京後2日に72歳で病死する。父を凌ぐと言われた民蔵が早世したためか、その後等伯を超える人物が長谷川派からは輩出せず、対して狩野派は後継の狩野探幽が盛り返し、その後は狩野派の隆盛が続くことになる。

 長谷川等伯智積院の楓図旧祥雲寺障壁画日蓮利休など(武田信玄肖像画を描いた説もある)の傑作を編み出しているが、その中でも「松林図屏風」は突出している。本作品で描かれている全てのベクトルは、最終章「松林図」に集約されている。

 主家再興のためならば他の犠牲を厭わない兄武之丞。その兄の奸計に巻き込まれて命を落とした養父母と、故郷を追われ薄幸の内に世を去った妻静子。女性としての弱みを見せながらも策略たくましい夕姫。高みを目指す途上で非業の死を遂げる信長利休狩野永徳。そして才能は自分を凌ぐと認め、将来を託そうとしたが早世してしまった子の民蔵

 これら等伯を巡る「因果」が全て体内で交じり合い、作品に向き合う内に濾過されていく。真っ暗な中でも「脳裡に像をむすんだ光景を心眼でとらえながら、闇の中でひたすら筆は走らせ」(文庫版下巻380頁)て無意識のうちに完成した作品は、自らも驚く程、「1枚1枚に輝くばかりの命が宿っている。山水図を描こうとして虚空界にまで突き抜けた」傑作になった。

 そしてその作品は、秀吉を始め戦国乱世を、命を削って生きてきた「漢」の人生を思い起こさせて、そして「業」の深さを思い知る作品であった。

 

 私は「松林図」は知っていたが現物を観たことがなく、本作品を読んだあと無性に鑑賞したくなって、公開に合わせて仙台から東京国立博物館まで足を運んだ。読むと観たくなり、観るとまた読みたくなる。「松林図」はそんな魔力を有しており、「等伯」はその魔力に憑かれた安部龍太郎が、渾身の力を出し切って著わした傑作である。2012年直木賞受賞。

 

*傑作の中でも特にお気に入りの智積院襖絵(上が「楓図」,下が「松に秋草図」)

 

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