小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

7-1 光圀伝 ① 沖方 丁(2012)

【あらすじ】

 1603年、徳川家康征夷大将軍に就任した翌年に産まれた家康の末っ子、11男の頼房は徳川宗家を守護する御三家の初代水戸藩主となる。しかし頼房は正室を持たず、侍女から生まれた長男の頼重と三男の光圀に何故か堕胎を命じたが、家臣が頼房の意向に反して出産させた。

 

 頼房は光圀に対して「お試し」と称して厳しく育てた。7歳の時は深夜、頼房自ら斬首した罪人の首を持ってくるように命じ、首をごろんごろんと転がして運ぶ。死体がいくつも流れる急流を泳ぐよう命じて、死体にぶつかりながらも必死で泳ぎ切る。そして父頼房は、敬愛する兄頼重ではなく光圀を水戸藩の世子として定める。文武ともに光圀よりも秀でた兄を差し置く形となり、光圀の生涯に影を落とす

 

 そんな心の鬱塊を晴らすべく、光圀は江戸市中に忍び込み、悪所にも入り込んでは不良集団に交わり「傾奇者」を演じた。無宿人の「辻斬り」をそそのかされて抜刀するが、止めを刺すことができず、徒らに傷つけるのみ。そこに身体が大きい老人が現われ、苦しんでいる無宿人に一瞬で止めを刺した。その名は宮本武蔵沢庵禅師の東海寺に寄宿しているという。

 

 寺では無宿人の弔いをした供養代として、冷徹な書を記していた武蔵。沢庵もまるで刀のような緊張感を身体に漲らせているが、笑うと見る人がとろけるような表情を見せる。それは戦国の修羅場をくぐってきた者たちが得た境地だった。光圀は沢庵から、延々と続く無縁仏の掃除を命じられる。1つ1つの墓石を洗う作業に向き合ううちに、「ごめんなさい」の言葉が自然と転がり出た。そんな姿と光圀の詩を見て、武蔵は自分に似ていると思い、詩で天下を獲るように告げて光圀と別れる。

 

  徳川光圀ウィキペディア

 

 不良集団とは別れたが、市中のお忍びを続ける光圀は、飲み屋で坊主の話を論破しては気勢を上げていた。しかし10人目の儒者は、光圀に知識の差を見せつける。手強い儒者林羅山の子読耕斎と知り、史書を学び直して再戦に望む。徳川が豊臣を討ったのは覇道に通じる「」か、王道に通じる「中庸」か、それとも「」か。父の林羅山は、儒学を日本に広めるには徳川でしか有り得ないと判断して「国家安康」の銘を呪詛と断じ、豊臣家滅亡に導いた覚悟から「」とする。

 

 光圀は改めて問う。兄弟が王の座を譲り合う伯夷と叔斎の物語。伯が病み、次男の仲が死んだあと、三男の叔が次代の君主となることは義か不義かを問い、読耕斎は「不義」と断じ、義に戻すには政務を還すしかないと応える。

 

 光圀の書は朝廷や武家の間で評判となり、その名も高まっていった。そんな中三代将軍家光が薨去し、由井正雪を中心に増加した浪人たちが謀反を起こす噂がたつ。首謀者と疑われた伯父の紀伊藩主頼宣らを助けようとする光圀は、時の宰相保科正之に呼ばれ、笑いながら「ふざけるな、この餓鬼が、殴って埋めるぞ、唐変木」と鬼気迫る威圧で制止される。保科正之は光圀の行動を全て見通して、自らは頼宣の嫌疑を晴らし、そして末期養子の禁を緩和して浪人対策を断行し、光圀を瞠目させた。

 

 

*伯夷と叔斎の故事。3、000年程前の中国は殷末期におきた、長男(伯)と三男(叔)が次男に国王を譲る物語。三男だった光圀(次男は早世)に大きな影響を与えたと言われています

 

【感想】

 家康の子には英邁で剛毅と謳われた長男信康、次男秀康、六男忠輝がいて、平凡と評された三男秀忠、四男忠吉、五男信吉らと一線を画している。その下で関ヶ原の後に生まれた弟たちは、9男の尾張義直柳生新陰流相伝を受ける程の腕前。10男の紀伊頼宣は元々剛毅で、由井正雪の蜂起の際に黒幕を疑われたほどの人物。そして光圀の父で11男の頼房は家康と天守閣に登り、ここから飛び降りたら天下を与えると言った時に、ただ1人飛び降りようとして、「死んでも地面に落ちるまでは天下人でいられる」と応えて家康を呆れさせた人物。

 そんな父頼房だが、長年正室を持たずに頼重と光圀を堕胎しようとした意図は謎に包まれている。本作品では正室を持たなかった理由として、「兄嫁」のお江を懸想したと尾張義直に語らせているが、果たしてどうか。そして長男頼重を「捨てて」三男光圀を世子としたことは、光圀の人生に大きく影を落とす。光圀の心に、末弟の自分と同じ巨大な鬱積があることを感じ取った父頼房が、敢えて弟を世子にしたのではないか、と私は想像するが、その理由を父から語られることはない。

 戦国時代から文治政治への端境期。光圀は三代将軍家光と共に「辻斬り」の伝説が残るが、ここでは宮本武蔵沢庵禅師を物語に絡ませた。宮本武蔵が再現した戦国の世は、樽の中に鼠を飼わせてしばらく経った姿。1ヶ月で1匹が12匹ずつ生むことで爆発的に増殖し、間もなく仲間同士で喰らい合い、殺し合う姿に変わる。そんな戦国の世で鬱積を抱えながら命のやり取りをしてきた武蔵は、その鬱積を沢庵の力を借りて画や書の芸術へと濾過した(但し、実際に武蔵と沢庵は会っていないという)。

 

  *沢庵和尚(滝本仏光堂HP)

 

 若い光圀は、祖父家康譲りの巨大な「鬱積」を濾過できずに、どこへ放出するのかわからず青春を迷走する。その姿は司馬遼太郎の傑作「坂の上の雲」で、主人公の1人秋山真之が、目標が定まらない時代に学生たちと群れていた姿と重なる。真之は海軍を知ることによって、自らの目標を定める。対して光國は、武蔵と沢庵に出会うことによって、詩に、学問にと邁進する。そこで学んだ「義」と実践せんと、父と兄に知られないように、企みを心の底に秘めていく。

 

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