小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

20 漆の実のみのる国【歴史物】(1997)

【あらすじ】

 江戸時代中期、上杉重定の治世。米沢藩は貧窮し、政治は重定の寵臣森平右衛門の独裁状態にあった。3石から350石まで立身する異例の台頭をして、藩主重定の意向に沿うように進めていた。藩で収穫する作物の専売制を進めて、また商人との癒着も深まり、藩主の豪遊などに資金を増やす。一方で家臣たちには、知行・俸禄 を継続的に半分にまで削減する「半知」といった大幅な減知を断行する。

 

 森は上役にも平気で役職の罷免や閉門、降格を行うことで、家臣たちの不満は爆発寸前となり、米沢藩の混乱は幕閣も知れるところになる。江戸家老竹俣当綱は森を暗殺することで状況の打開を図るが、上杉重定は厳しい藩財政の中、浪費を重ねて悪政を続けたために藩の財政は好転しない。ついには尾張藩出身の重定の妻の繋がりで、尾張藩を通して幕府に藩土返上を願い出るまでに追い込まれていた。

 

   上杉鷹山ウィキペディア

 

 重定が隠居してようやく治憲(後の鷹山)が藩主となり、竹俣らを重用しての藩政改革が開始する。ますは極めて厳しい倹約令が施行された。しかし「謙信以来」の名門意識が抜けない重臣たちは、行きすぎた倹約は上杉家の家名を汚すものとして抵抗。そして「七家騒動」として上杉治憲を強制的に隠居させようとした。だが、このとき治憲はからくも逃げ切った。

 

 治憲は家老竹俣と、倹約だけではなく殖産興業を起こす藩政改革を試みる。家老竹俣が提言したのが「三百万本植樹計画」。漆、桑、楮(こうぞ)の3種の樹を育てることで、商品価値のある漆や養蚕、製紙を製造することで収入源にしようとした。但し木蝋の品質は西国の櫨蝋に敵わず、市場から駆逐されてしまう。そして漆も思ったほど生産が上がらない。目に見える改革の実がないまま、治憲は忍従しながらも地道な藩政改革を続けて行く。しかし天明の大飢饉が起きるなど、治憲の前途は多難が続く。

 

【感想】

 地元新聞社が出身を「米沢市」と間違えたほど、米沢にゆかりのある作品を書いた藤沢周平。「策謀」で上杉家が120万石から米沢藩30万石に押し込められた経緯を描いたが、そのために上杉藩は多すぎる家臣を抱えて借金経営が常態になる。その上四代藩主が継嗣を定めること無く急死したため、本来改易のところ家名存続は許されたが、15万石に減知された。

 そして飢饉や凶作、歴代藩主の浪費などが重なり、巨額の借金地獄に陥った。そんな中で、日向高鍋藩から養子に迎えられた治憲。12歳の時に米沢藩でやむ得ず行われている、領民1人あたりに税金を取る「人別銭」という悪法を聞いて、涙を流すところから物語は始まる。

 「三百万本植樹計画」が上手くいかず、改革の実が結ばない。上杉家と同じく関ヶ原の戦いで敗れた毛利家は、膨大な家臣団を抱えたまま125万石から36万石に減封される点は似ているが、下関港を利用して貿易をテコに殖産興業に努め、また瀬戸内海の開拓なども進め、幕末の時は百万石の実力があるとも言われて、上杉家と命運を分けた。

 上杉家の藩政改革は遅々として進まない。反対勢力も現われて、「大名押込」と呼ばれる行動で、隠居を強行に迫られる。大名として屈辱的な仕打ちを受けるも難を逃れた鷹山は、改革を進めるために粛清という「血」を流すことも厭わない決意を固め、かすかに感じる灯に向かって歩み続ける。同じく血を流す決意で藩政改革を推進した家老の竹俣は、その進まぬ改革に責任を感じて辞職してしまう。それから藤沢周平の筆は、1人追い詰められていく上杉鷹山の姿を描くことになる。

 

   *竹俣当綱(米沢市HP)

 

 藩政改革は商人の協力などもあり、鷹山が次の世代に引き継いだ時に、借金は完済する。また養子だった鷹山は、次の世継ぎに自分の実子を排除し、先の藩主が養子を決めた後に生れた子供に藩主を譲る。その時に渡した3条の「伝国の辞」。

 

 国(藩)は子孫に伝えるもので、私(わたくし)するものではない

 人民は国(藩)に属すもので、私するものではない

 藩主は人民のためにあり、藩主のための人民ではない (以上現代語意訳)

 

 まるで「現代アメリカの大統領が書いたとしてもおかしくない」(by 井沢元彦)明快な思想は、明治後に内村鑑三の「代表的日本人」や新渡戸稲造の「武士道」によって欧米にも紹介され、セオドア・ルーズベルト大統領にも影響を与えたという。

 J・F・ケネディが尊敬する政治家として上杉鷹山を挙げたという話は、真偽のほどが不明確なので置いておくが、もう1人の欧米人をここでは記したい。イギリス人女性探検家のイサベラ・L・バード。江戸時代から20世紀に至るまでに世界中を探検したが、その中で「日本奥地紀行」とまとめた日記をつけている。

 越後から米沢へ。厳しい起伏が続く「十三峠」を抜ける、最後の峠から見えた米沢(置賜)盆地に広がる美しい田園風景に心を奪われ、「エデンの園」とも「アルカディア(楽園の代名詞)」とも表現した。その景色はおよそ100年前、上杉鷹山が反対派に対して血を流すことを厭わず、汗水流して農村を歩き回り、苦しい重税に耐えてきた農民を慰撫して農作業に打ち込ませて、手塩に懸けて作り上げて子孫に伝えた「国」の姿だった

 

 

 上杉鷹山の先の見えない改革を行う姿は、作者の藤沢周平にも重なる。以前「幻にあらず」という中編で取り上げた上杉鷹山。満を持して生涯を描こうとしたが、作者自身が病で倒れて、9割方書き終えたところで中断してしまう。そのまま回復せず未完になってしまうが、そのことを予感した藤沢周平は万が一のことを考えて、本作品を決着させる内容を、病を押して原稿用紙6枚で書き上げて、編集者に渡したという。

 

 未完となった作品の主人公と作者。2人の「伝える」思いに、どれだけの重みが込められているのかを想像すると、涙を禁じ得ない

 

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 「市井(しせい)に寄り添う」と題した藤沢周平20選。これまで取り上げた歴史小説とは一線を画し、町人や下級武士たちの戸端会議(➡️市=ちまた)を覗くような作品集。それは「俯瞰」とは異なり、読むそばから町人たちの息吹、衣ずれ、食事のしたくや洗濯する様子など、生活感の溢れた音が聞こえてくるような「リアル」が伝わります。

 

 次回からは歴史小説に戻って、江戸時代編に入ります。盤石と思われた江戸幕府ですが、徐々に軋みが生じて、様々な改革を行いながらも、立て直せないまま幕末に至る様子を「くくって」いきます。

 

  *WEB歴史街道より

 

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