小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 貨幣の鬼 勘定奉行 荻原重秀 高任 和夫(2009)

【あらすじ】

 旗本の次男坊に生まれた荻原重秀は幕府勘定方に務め、太閤検地以来と言われる畿内の大規模な検地を実施して実績を上げた。感情の起伏が激しい将軍綱吉から財政にかかる諮問を受け、上司が満足に答えられない中、肚を据えて諮問に応え綱吉の信頼を得る。代官の不正を摘発して増収に務め、遂に綱吉は上司を放逐し、勘定組頭に取り立てられた。

 

 しかし歳入は3代将軍家光時代をピークに金の産出が減少し、歳出は明暦の大火以降出費が続き、歳入が117万両に対し歳出は127万両と構造的な赤字体質となっていた。家康以来貯蔵していた金蔵が空になり、佐渡奉行を拝命して金の産出を増加させるが、それでも追いつかない。

 

 旗本が多いが、「リストラ」まではさすがの綱吉も踏み切れない。そのため蔵米取り(現物支給)を知行取りに変更して経費を浮かせるが焼け石に水。遂に側用人柳沢吉保に「貨幣吹き直し」、市中に出回っている貨幣を一旦集め、貨幣の品質を落として改鋳し差益を稼ぐ手法を献策する。重秀は改革を遂行するにあたり、淀川を始め全国の治水開拓を幕府とともに進めていた商人、河村瑞賢の知恵と借り、時には協力させて財政改革を進めていく。

 

 一方市井の儒学者新井白石は、不遇の境遇にあった。綱吉の将軍擁立に貢献した大老堀田正俊に仕えていたが、その堀田正俊江戸城内で刺殺される。しかも正俊を煙たくなった綱吉の手によるものとの噂を聞いて、不遇と不運への恨みを生類憐れみの令などを強行する綱吉と、金の価値を下げる振る舞いを先導した荻原重秀に向かう。

 

 そのころ白石は、甲府藩主徳川綱豊の仕官を紹介される。綱吉の兄の子の血筋から本来は将軍に収まるべき血筋だが、癇癖な綱吉から排斥される危惧もあった。それでも仕官して、綱豊の「育ちのよさ」から円満な師弟関係が続いた。

 

  *荻原重秀(長崎県対馬歴史研究センター)

 

 その後綱吉が死去し、家宣と改名した綱豊が6代将軍に就任する。将軍就任のための儀式や火災を受けた御所の造営などで400万両は必要と見込まれた。再度貨幣改鋳に手を染めようとする重秀に対し、儒学者の立場から金の価値の「原則」を崩すことを断固反対する白石。綱吉以来の恩讐も加わり、重秀に敵対視する白石だが、重秀は現実を見て外に措置がないことを冷静に指摘して、財政面を引き続き主導する。

 

 しかし家宣が死去し、嫡子はまだ4歳で万全の支援は今後見込めない。白石は病床の家宣を無理矢理説得して、ようやく宿敵の荻原重秀を失脚させることに成功する。そして念願の、貨幣の価値を以前に戻す改鋳に着手するが、両替商などの市中、そして幕閣共々から轟々たる非難が起きた。

 

 余りの非難に自分の身を案じた白石は、復権されると困る荻原重秀の、着服の証拠を探そうとするも見つからない。遂には配下を使って、重秀に毒を盛ることを決意する。

 

 

【感想】

 第二次世界大戦後の固定通貨制度の中で、自由主義経済の基軸通貨となっていたドルの価値が下がり、アメリカの金保有が極端に減少して危機に陥ったため、1971年に当時のニクソン大統領が金兌換貨幣であったドルと金の一時交換停止を打ち出した(ニクソン・ショック)。その後スミソニアン会議でドルと各国貨幣の交換比率の変動を約したが、それでもドルの下落は止まらず、結局は管理通貨制度に移行した。そして各国とも戦後の「夏」の時代は終り、財政再建に明け暮れることになる。本作品を読むと、そんな歴史の1ページを思い浮かべる。

ニクソンショックに関連して、こんな記事も過去に投稿しました 

 

 三井物産出身で経済小説を書いてきた高任和夫が、江戸時代に舞台を移して経済小説を手がけた作品の1つ。現実を見て金の不足から貨幣が世の中に行き渡らず、深刻なデフレ不況に陥ってしまう。そんな中、幕府の財政も破綻寸前であり、貨幣改鋳という思い切った手を打たないと幕府が成り行かないと信じた「積極財政派」の荻原重秀。対して新井白石は「神君以来」の貨幣制度を変更するなどとんでもないと、儒学者の立場として反対する。金銀を薄めて流通させると天罰が下り、そのために徳川幕府は滅ぶと信じ、金の価値を維持しようとする「教条派」とも言える思想の持ち主。

 20世紀においては、荻原重秀は貨幣改鋳を利用して私腹を肥やした悪人のイメージがあったが、本作品では、幕府の財政立て直しのためにアイディアと胆力を駆使した官僚(テクノクラート)として扱った。対して聖人君子と見做された新井白石が、妄執に囚われて一線を越えてしまう様子を描くところが21世紀らしく、また経済小説作家であり、生きた経済を知っている高任和夫らしいところ。

 200年早いとされた貨幣理論を持ち、遂には銅による貨幣も登場させて、周囲の反対を押し切ってまで改鋳による「差益」を求めた荻原重秀。新井白石の厳しい弾劾にも弁明はせず、失意のままに職を免じられ、最期は食を断って自害したとも言われている。

 そして時代は「構造改革」ができないまま8代将軍吉宗となり、幕閣は財政再建に明け暮れるも、抜本的解決策を見いだせないまま、幕末まで突入する。

 

*荻原重秀のライバル、新井白石の物語です

 

 時代は更に300年下って現在、20年振りに新紙幣が発行されました。しかし政治は予算拡大によるマネーサプライの増加に拍車がかかり、赤字補てんは国債発行に頼る状態。「痛みを伴う改革」と叫んだ構造改革は聞かれなくなります。現在も抜本的解決策を見いだせないまま「破局」に突入するのでしょうか。

 

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