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【あらすじ】
滝川一益のいとこに生まれた前田慶次郎利益。尾張荒子城主の跡目を継ぐため前田利久の養子になったが、織田信長の命により城主は甥の前田利家に譲られることになった。無念な気持ちを心に秘めて、自ら手なずけた野生の桿馬、松風と共に自由な立場で戦場を立ち回る。
織田信長が本能寺の変で亡くなり、加賀の国主となった前田利家に居候する慶次郎だが、慶次郎の我儘勝手に家中の評判も悪いが、利家は跡目の経緯もあり遠慮している。そんな空気を察知して、慶次郎も金沢から離れる決心をするが、このままでは面白くない。真冬に催された別れの茶会で、慶次郎は氷の浮かんだ水風呂に利家を放り投げて、松風に乗って逃げ云った。
京に入ると、茶を千宗易に学び,和歌・連歌・乱舞・猿楽・笛・太鼓まで一流の腕となる。その名が秀吉まで聞こえお声がかかるが、そこで慶次郎は一世一代の「傾奇」を披露、天下人秀吉を前に「猿真似」の衣装で踊り出す。とたんに機嫌が悪くなり「いくさ人」の目に変わる秀吉は、なぜそこまで「傾奇く」のか問うに、慶次郎は「人としての意地」と答える。機嫌を直した後褒美を取らせるために呼ぶと、慶次郎は衣装を改め立派な武者振りで現れ、傾奇の「天下御免」を認められる。
傾奇者の間で有名になった慶次郎に対して、決闘を挑んで名を上げようとする輩が後を絶たない。そんな中上杉家中の「跳ねっ返り」の相手をすることで、慶次郎は直江兼続に知遇を得て、惚れ込んでしまった。上杉が佐渡を討伐すると聞くと、押しかけるほどの入れ込みようである。
*前田慶次(ウィキペディアより)。旗に書かれた「大ふへんもの」は「大武辺者」ではなく、独り身で身の回りの世話が「大不便者」なんだそうです。
秀吉が薨去して天下の情勢は徳川家康へと傾くが、石田三成と直江兼続は豊臣家を守るために対抗し、慶次郎も兼続との縁から上杉勢に従う。家中で1人にしか認められない「皆朱の槍」を保持していた慶次郎だが、上杉家中の不満を聞くと「希望する者全員に皆朱の槍を与えればよい」と返答。皆朱の槍を認められた4人は、敵陣に背を向けることはできなくなった。
徳川勢が上杉領近くまでやってきたが、そこで石田三成挙兵の報が流れ、家康は反転する。上杉勢も家康は追わず反転して山形の最上義光と戦うが、その途中、関ケ原で石田三成が敗れる報が届いた。上杉勢は兼続自らが3千で殿(しんがり)を務めるが、最上は2万の兵で襲いかかる。兼続が死を覚悟した時、慶次郎は皆朱の槍を持つ4人を呼び寄せ、無謀にも5騎で2万の大軍に切り込んでいった。その勢いに最上勢は命を惜しんで退いてしまい、5人は全員無事で戻り、上杉勢は退却に成功する。
上杉勢は120万石から30万石に減封となった。慶次郎の活躍は世に響き、求めれば万石の家臣にもなれたが、慶次郎は直江兼続に義理立てて2千石で上杉家とともに米沢に移り、そのまま生涯を終えた。
【感想】
「傾奇者は一様にきらびやかに生き、一抹の悲しさと涼やかさを残して、速やかに死んでいった」と前書きで書かれる本作品。マンガ「花の慶次」の原作とのなり、織田信長や前田利家も若い頃は言われていた「傾奇者」の言葉を広めた。海音寺潮五郎は「戦国風流武士 前田慶次郎」で同じ人物を描いたが、本作品は背丈が197㎝を有す偉丈夫で、また風雅の面も一流としている。その「傾奇く」性格は、国主はおろか天下人も見下して、その代わり一旦気に入ればとことん入れ込んでしまう、まるで野生動物のような性分を持っている。
*マンガ「花の慶次」で皆朱の槍を持つ前田慶次と松風(三国志の呂布と赤兎馬と言われても、納得しますww)
そんな姿は、冒頭で桿馬「松風」と心を通わせていくシーンで印象的に描かれる。また秀吉との邂逅は一番の見せ場だが、傾いた後の再度のお目通りで、「正装」で現われるエピソードは、織田信長と斎藤道三の会談を思い起こさせる。
そして慶次郎の命を狙う凄腕の忍びである捨丸や、「骨」と呼ばれる伝説的な忍びの飛び加藤。更には秀吉の朝鮮出兵を前に実情を調査するために赴いた先で狙われる朝鮮の刺客・金悟洞など、命を背にして生きる男たちを、慶次郎が持つ人間の魅力で、何故か手なずけてしまう(マンガ「花の慶次」では、朝鮮出兵を描くのは社会情勢から遠慮したのか、琉球に渡っている)。
そして 「東北の関ケ原」と呼ばれた長谷堂の戦い。関ケ原の報が伝わり伊達政宗も最上勢に加勢したため、上杉軍はしんがりの直江兼続も切腹を覚悟するほどの窮地に陥る。そこを前田慶次郎ら数騎で二万にのぼる敵を押しやる戦いが、本作品の白眉となっている。
従者に「此の鹿毛と申すは、あかいちょっかい革袴、茨がくれの鉄吉、鶏のとっさか立烏帽子、前田慶次郎の馬にて候」と謳わせて周囲を注目させ、「竜砕軒不便斎」やら「穀蔵院ひよつとこ斎」などと人の喰った名を名乗って「傾奇者」を通して生きた前田慶次郎。最後は直江兼続に殉じて、雪深い米沢の地で過ごすことになる。
京で一流の文化人とも交流した慶次郎からすると物足りない面もあったかもしれないが、これも「一抹の悲しさと涼やかさを残して、速やかに死んでいった」ことに通じる生き様だったと思われる。
慶次郎が確立した「傾奇者」の粋や風俗は、同じ時期に発祥した芝居の歌舞伎に受け継がれ、現在まで続いている。
*米沢隠遁後を描いたNHKドラマ「かぶき者慶次」。最初は(小柄な)藤竜也の慶次が物足りなく感じましたが、洒脱な演技に味わいを感じてきました(「利家とまつ」の及川光博は・・・・)
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