小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

5 群雲,関ヶ原へ 岳 宏一郎(1998)

【あらすじ】

 関東に移封した徳川家康 (東軍) の抑えを期待して、会津90万石を与えた英邁な武将、蒲生氏郷が亡くなる。嫡子の秀行はまだ幼児でその任に耐えられず、秀吉は蒲生家を会津から移封を命じるが、会津の後任が問題になった。

 

 名が上がったのは、大老職で家康と対立する上杉景勝 (西軍)上杉景勝は家康が関東支配する中で対立する常陸佐竹義宣と仲が良く、家康は嫌な予感がよぎる。上杉が会津に移封されると、家康は背後の伊達政宗と好誼を結ぶことを考えるが、その政宗もまた信用できない。

 

 太閤秀吉が薨去すると、朝鮮出兵によって若者が徴兵され、物不足により物価が高騰していた不満から、人心は徳川家康へと移っていった。その頃豊臣家は「武新派」と「官吏派」に分かれて抗争があった。「武断派」の筆頭は朝鮮出兵の先鋒、加藤清正

 

 一方「官吏派」の筆頭 石田三成が博多へ行って畿内を留守にしている間、徳川家康本多正信に知恵を借りながら各大名に触手を伸ばしていく。本多正信は戦の経験が乏しいが、家康が若い時一向一揆で敵側に回り苦しめた経験があり、その後放浪して人間の機微を知り尽くしていた。

 

 対して三成は前田利家を動かして、秀吉の遺言を盾に家康を伏見に封じ込め、秀頼や諸侯を大坂に移す。しかし家康は禁を破り、諸侯との婚約を次々とまとめていく。三成は問罪使を派遣するが、家康は海千山千の対応でうまく潜り抜けた。そして家康は以前窮地を救った細川忠興を使い、前田利家にも手を打つ。利家は前田家の今後を考え、家康との対立を避ける判断をして、死を迎える。

 

 

 関ヶ原合戦図屏風(ウィキペディアより)

 

 利家が亡くなると石田三成を庇う楯が無くなり、加藤清正武断派が三成の命を狙う。三成は佐竹義宣の進言もあり、家康の懐に飛び込んで庇護を求めた。家康は三成の扱いに困ったが、本多正信は諸侯の憎悪を向ける「標的」として、今後利用価値があると考え、命は残した上で隠居させ、佐和山城に引き払わせた。

 

 邪魔者が大坂から消えた家康は、思いのままに辣腕を振るう。出兵続きで地元が疲弊しているのを見て、諸侯に帰国を認めて大坂が空白地帯となった隙に、家康を謀殺する噂が流れる。噂となった浅野長政細川忠興は寝耳に水だが、家康に臣従を誓い、前田は母まつを人質として徳川へ送り、味方を誓った。

 

  その間上杉景勝会津の地で、三成の盟友、直江兼続とともに新規召し抱えを積極的に行い、領内の城の修築を急がせて、領地一帯を城塞化しようとしていた。上杉の戦支度の目的を、家康は計りかねる。まずは詰問するための特使を派遣したが、これに対して上杉家は「直江状」と呼ばれる挑戦状を突き返す。

 

 家康は迷う。上杉征伐は罠だが、見込み通りに石田三成が挙兵するのか。三成が様子見したら、徳川は上杉相手に不毛な合戦を始めなければならない。

 だが、家康は立ち上がらざるを得なかった

 

 

【感想】

 司馬遼太郎の「関ケ原」を読んで、これを超える「関ケ原」の作品はないだろうと思ったが、本作品を読んで唸った。司馬史観とは異なる人物の造形。特に徳川家康は司馬作品で描かれるような、人の心を知り尽くし、戦国の戦場を誰よりも経験した「万能者」ではなく、神経質で悲観論者の性格も時に顔を覗かして、「どうする」と悩む様子を描いている。また家康と対立した北の上杉景勝、南の黒田如水も、司馬史観とは違った新たな役割を与えて、物語に厚みを加えている。

 

 

 関ヶ原の戦い時点の東西勢力図(歴史人より)

 

 東軍の家康に従った秀吉子飼いの武将たち。加藤清正福島正則細川忠興加藤嘉明黒田長政池田輝政浅野長政の七将と外様の伊達政宗最上義光、堀秀治、京極高次藤堂高虎ら。

 西軍石田三成に味方した、増田長盛長束正家大谷吉継小西行長らと、大国を領する毛利輝元上杉景勝宇喜多秀家島津義久長宗我部盛親佐竹義宣などの乱世の雄。そして第三の道を描く鍋島直茂黒田如水、真田家や九鬼家。

 改めて武将の顔ぶれを並べると、石田三成小姓時代からの同僚秀吉に恭順するも服従しなかった武将からの覚えは悪いが、五奉行となってからの後輩や、秀吉に敗れて、教わる立場や新たな秩序を求める者らは、類いまれな能力に惹きつけらたことがわかる。そこを家康は全て織り込んで、三成の知らぬところでこっそりと「敵と味方」を作り上げていた。

 

   関ケ原の戦いは「天下分け目」と言われる。武将たちの様な思惑が何年もかけて錯綜し、戦の当日まで定まらなかったものが、わずか半日でほぐれ、決着を見る。負けた者は命が奪われ、所領が奪われていくが、勝った者でも天下人の座に着いた家康はともかく、功名を得て出世する者もいれば、その時から後悔する者もいて、こちらも悲喜こもごも。その後の大阪の陣で現実に向き会い、改易の憂き目に会うことにもなる。

 実際は【あらすじ】の後が本来の関ヶ原。これを作者は50人を超える「戦国オールスターズ」1人1人を詳細に描くが、その造形はまるで1体1体精密にフィギュアを造形するかのよう司馬遼太郎の作品が一筆書きで一気に描いた「一幅の絵」の印象を受けるのに対し、岳宏一郎は関ヶ原という舞台に、時間をかけて精密な「ジオラマ」を作り上げた。武将たち一人ひとりが東軍と西軍の間に挟まり、どのように去就を決するのか。非常に丁寧に描いている。

 

 

 その戦いは、明治維新まで続いていく。この後何作か、家康の敵になった、そして家康に与した武将たちの作品を、取り上げさせていただきます。 

(なお同じ作者で「群雲,賤ヶ岳へ」という作品もありますが、こちらは黒田官兵衛を主人公として、本作品と似て非なります)

 

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