小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 全宗 火坂 雅志(1999)

【あらすじ】

 忍びの里、甲賀で生まれた全宗は、子供の時にうまが合わない継父を殺して出奔する。そこで深泥無仁斎に拾われ修行を続け、やがて忍びの奥伝、人の命を奪う「陰薬」を伝えられる。しかし全宗は世に出たい欲望を捨てきれず、忍びを抜けて有名な医師の元で学ぶ決意をする。しかし甲賀は「抜け忍」を許さず、全宗はやむなく比叡山に逃げ込んだ。

 

 比叡山に入って1年経ち、薬樹院という坊舎があるのを知る。全宗は貪欲な知識欲で薬の知識を学び、薬樹院の住職となった。医を糧に権力に近づきたい全宗は、比叡山の焼き討ちを逃げ延びた後、木下秀吉の知遇を得ようとする。織田信長が天下を取るのは間違いないが、比叡山を焼き討ちした信長に仕えることはできない、と全宗は判断した。

 

 秀吉は全宗の希望を聞き、当時日本の医学界に革命を起こした曲直瀬道三の門下に入り、最新の医術を学ぶように斡旋する。曲直瀬道三は明の医者が始めた、当時としては最先端の臨床医学を習得し、将軍足利義輝の病気を治したことで名を高めていた。しかし入門した啓廸院では全宗も新入りの扱いにされて、道三から直接の教えを受けることはできない。しびれを切らした全宗は、書庫に忍び込んで独自に知識を貪欲に吸収しようとする。

 

 すると道三の往診に付いていく機会が与えられた。突然道三から病人に対して薬の処方を命じられて、全宗は自らの判断で処方を行う。その処方は単に病を治すだけでなく、相手を欺く狡さを取り入れて、気持ちの持ちようから素早い効果を得られる内容も含まれていた。

 

 道三は医学を学ぶ以前に足利学校で医学のほかに軍略面も学び、医師は武将の側に控え、時に縁起を担いで武将の気分を高揚させ、時に秘密を知り世を動かす立場にあると理解していた。そんな道三は全宗の処方を認めるが、二代目の玄朔には相いれないものだった。

 

 秀吉は12万石の大名から中国攻めの司令官に出世し、全宗は自らの野望が次第に叶えられる立場に近づく。三木城攻めの際に瀕死の病に陥っている竹中半兵衛から、死後は全宗に秀吉の帷幄の臣になるように頼まれる。これからは軍師ではなく参謀の時代であり、全宗の野心は、参謀の立場で叶えるべきだと。

 

 *施薬院全宗(ウィキペディアより)

 

 本能寺の変が起き、秀吉が天下人に、そして全宗は望み通り天下人の侍医となった。時に全宗57歳。その立場を利用して、比叡山延暦寺奈良時代で途絶えた薬院の復興に尽力し、自身の権威付けにも利用していた。また「目の上のこぶ」でもある曲直瀬道三がキリスト教に入信して南蛮の医術を取り入れようとすることを知り、秀吉に献策して、ついに全宗の手からなる伴天連追放令が発布される。

 

 全宗の野望は広がり、秀吉から絶対的な信頼を受ける仕上げとして、天下人の後継を生み出すことに取り組んでいく。秀吉に子が生まれないのは精が薄いためと考え、精を濃くするための薬を調合し、淀君には秘部に快楽を促進させる薬を塗布して受胎させる。しかしその子の出生には疑問が残るまま、全宗は秀吉の死を看取って間もなく、自らの生涯を閉じた。

 

【感想】

 秀吉の「帷幄の臣」となった(施薬院全宗。医師でありながら外交にも手を貸し、政策の一助を担う存在となった。過去には奈良時代弓削道鏡、そして家康幕下の天海崇伝の存在か。そんな広範な力を有する全宗を、足利学校出身のライバルの曲直瀬道三を補助線として紐解く。

 

  *曲直瀬道三(ウィキペディアより)

 

 曲直瀬道三が学んだ足利学校は本邦第一の学問所であり、その教えは医学だけでなく漢学、儒学天文学兵学、易学など様々な分野に広がる。出身者は各地で「軍配者」として戦国武将に侍り、医術は言うに及ばす、戦術、祝典、祭事を司り、その知識から政略の関与にも及ぶ。富樫倫太郎の「軍配者シリーズ」(「早雲の軍配者」「信玄の軍配者」「謙信の軍配者」)は、風魔小太郎山本勘助宇佐美定満足利学校の同級と設定している。

 曲直瀬道三は医師として足利義輝を始め、細川晴元、三好長輝、松永弾正などの京洛を支配した武将たちはもとより、遠く中国の毛利元就に招かれて中風の病を治している。対して全宗も武田信玄の治療を行い、当時秘中の秘であった信玄の容態を、秀吉に知らせている。また急死した蒲生氏郷の最期に付き従った。

 そして本作品で火坂雅志は、全宗を甲賀の忍び出身として、曲直瀬道三に比する「総合的な」知識の持ち主として人物造型をしているのが興味深い。忍びで使う「陰薬」の知識は、曲直瀬道三の「本草学」だけでなく、鉱物から得られえる劇薬の知識も知悉していて、アヘンを利用した痛みの軽減や、強壮剤房中術を駆使して秀吉の後継者を生み出そうとした。

 

  *こちらも、主人公を甲賀出身として描きました。

 

 曲直瀬道三の養子の玄朔を秀次事件に合わせて追放し、曲直瀬一派を従わせて、医薬界の頂点に立った全宗。医師の立場を高めただけに限らず、自らの「野望」を交えて、「望むところ必ず達す」とまで言われたギラギラとした生き様を描いた。その仕上げは、天下人の後継者作り

 秀吉には精を濃くする薬を調合し、淀君には快楽を促進させて受胎するが、その子の出生には疑問が残る。全宗も最後は、自分のような野望を持つ人物に利用されてしまう。

 医について、当時と今では考え方も取り扱いも効果も、だいぶ異なるもの。全宗はこの時代の医の世界を「体現」した。しかしそのためには、秀吉という権力の傘が必要で、秀吉の死と共に全宗の野望も潰えた。

 

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