小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 でれすけ(佐竹義重) 蓑輪 諒 (2017)

【あらすじ】

   後三年の役八幡太郎義家と共に活躍した新羅三郎義光を祖とする、常陸国を支配する佐竹家。500年続く名門に生まれた佐竹義重は、「板東太郎」と呼ばれた武勇者。源氏の嫡流として新興の北条家に抵抗を続け、北から周囲を「撫切り」にする伊達政宗と幾度となく戦火を交える。義重は「でれすけ!(常陸弁で「馬鹿者」)と、家臣に敵に、そして己れに叫びながら、戦場では先頭に立って、命を削りあう日々を送った。

 

 天下は豊臣秀吉の手に渡り、長年敵対した北条家も滅亡の危機に瀕していた。時代は変わり、息子義宣家督を譲って隠居することに決める。ところが秀吉は隠居した義重に直接面会して、佐竹の支配下ではない南常磐の平定を「許される」。じっくりと腰を据えてかかる義重だが、1年経っても平定できない状況に豊臣家はしびれを切らし、直ちに平定することを「命じられる」。西国流の言葉の裏などわからなかった義重は、慌てて臣従しない領主たちを呼び寄せて、節義を曲げて 「暗殺」を駆使して国の平定を図る。

 

 源平合戦で有名な那須与一を祖とする那須家から、子の義宣に嫁いだ照日は、義宣に憎まれ口を叩くものの、気持ちは通じ会い、義重も嫁として可愛がっていた。そんな照日の実家が改易されたことになり、義宣は豊臣家に遠慮して妻を側室に格下げする。照日は自分の居場所がなくなり、ついには自害してしまう。

 

 新しい時代が来たのに、なぜ過去にこだわるのかなじる義宣だが、義重は過去にこだわる照日の気持ちに同調する。秀吉が号令した朝鮮出兵によって若い者が徴収されると農村では老人しかいなくなり、先祖伝来の土地が疲弊していく光景を義重は寂しく見つめる。

 

 

佐竹義重の甲冑「黒漆塗紺糸素懸鍼五枚胴具足」。毛虫はムカデと共に、後退しない意味から戦国武将に珍重され、かつ「源氏」の読みにつながることから、前立に使いました。

 秀吉が薨去すると石田三成徳川家康が対立し、佐竹家も旗色を鮮明にする必要に迫られる。戦場を共にした義重と古参の家臣から見ると、石田三成は何とも頼りなく、徳川家康に与するべきと考える。しかし息子の義宣は、交流が深い石田三成そして上杉景勝との連携を決断する。危ぶむ義重だが、息子義宣に結局従う

 

 徳川家康が上杉討伐で東征し、三成の挙兵で反転するも、佐竹は動かず、かといって家康を攻めるわけでもない。そして大軍が衝突した関ケ原の戦いがわずか半日で終わり、取ってつけたように上杉を攻めるがこれは焼け石に水。家康は最後まで動かなかった佐竹を許さず、長年支配した常陸から追い出して、出羽へ大減知で転封させた。

 

【感想】

 源氏の流れを汲む名門でありながら、野営に備え日頃から板の間に布一枚で睡眠をとり、「でれすけ」と家臣たちを叱咤しながらも一緒になって戦場に立つ。名門にあぐらをかかず、領内の金山開発をして財政を豊かにし、鉄砲などの最新兵器も整えて強兵に努めた。全盛期の北条や伊達と互角以上に渡り合い、上杉謙信からは重く扱われて太刀を貰い、武田信に対しては、源氏嫡流の長序の順について反論する。

 そんな佐竹義重の生涯も見事だが、本作品は時期を隠居後に絞ったことが面白い。戦乱に明け暮れた若い日々を通りぬけた後、取り残されていく自分を感じる。対して新たな時代を冷徹に受け入れて、過去の遺産も功労者も、そして自分の妻さえもあしらって突き進む息子の義宣。これは高度成長期に会社を伸ばした中興の祖に対して、安定期から不況下に入り、リストラや合併、そして新規参入などによって、先人と対立する後継者の経営に通じるものがある。

   但し会社の世代交代と違うのは、ここでは「旧人類」とも言える徳川家康が最後に天下と獲ったこと。「中興の祖」は数多くの戦場を経験した「勘」から家康の勝利を予想するが、息子は新しい世を感じて、石田三成上杉景勝直江兼続らと連携する。結果は自分の「勘」が正しかったが、愚痴を言わず家康の減転封命令に従う。

 

  *息子の佐竹義宣。顔が見えませんね(ウィキペディアより)

 

 秋田へ向かう義重は家康に挨拶に訪れて言う。「我らは敗れた。されど、佐竹は負けませぬ」。400年支配した常陸国からは離れるが、家祖の新羅三郎義光後三年の役で活躍した出羽の地で再起を図る。出羽に移っても一揆を平定するなど活躍し、66歳で亡くなった直後に側室が子を産んだ生命力を持ち続けた。

 秀吉、家康と天下人に仕えるためには、己の節を曲げて、暗殺も厭わず、可愛がっていた嫁を助けることもできず、長年苦楽と共にして戦った家臣たちとも別れなければならない。「でれすけ」とは、時代が変わっても生き残った、時代遅れの自分の存在そのものなのだろう。

 そして息子の義宣。出羽秋田に転封されたが、こちらも父と一緒に前を向いて取り組む。地元の者も取り入れて能力主義で家臣を抜擢して田を開墾し、転封当時は20万石と言われた領土を45万石まで開拓することに成功した。

 

 よろしければ、一押しを <m(__)m>

 

 With all due respect to Mr. Uribou  (id:uribouwataru) , a senior at my university 

 I hope that you will continue to play an active role even after retirement,

 just like this great “IBARAKI” senior. 

 Thank you very much for the BLOG you have continued every day.