小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 戦国の鬼 森武蔵 鈴木 輝一郎(2007) 

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【あらすじ】

 織田信長を若い時から支えた森可成とその嫡男は、浅井長政の裏切りによって、相次いで戦死する。残されたのはまだ13歳の次男、森長可。法要に来た木下藤吉郎は、しんがりを務めながらも親子を救えなかったと号泣するが、長可は藤吉郎が、森家の家臣団を奪おうとする「猿芝居」と感じる。しかし若い自分が家督を継ぐには芝居が必要と思い、大人たち5人を一気に倒す姿を見せつけ、周囲を心服させる。

 

 15歳で長島一向一挟攻めに参陣して初陣を飾る。そこで長可は信長の長男、織田信忠から「比叡山の如くせよ」と命じられる。一向門徒であった母の思いを振り払いながら、長可は家臣の先頭に立って「撫切り」を行なう。余りにも苦い初陣の経験。そんな戦塵の中で槍を借りたのは池田恒興。慈父のような性格は、戦場ですさんだ長可の心にしみわたった。

 

 長篠の戦い武田勝頼を破り、一息ついた織田信長は長可に婚礼を命じる。相手は運命ともいうべき池田恒興の娘だった。婚礼は家中へのお披露目となり、家臣たちは無礼講となって大騒ぎをしている。そこで長可の弟蘭丸は、信長の得意な「敦盛」を舞う。その見事な舞と謡いで、無礼講の騒ぎは完全に白けてしまった。秀麗な容貌に頭脳にも秀でている弟の蘭丸だが、長可は人から尊敬されても、好かれる存在にはなるまいと痛感する。その蘭丸は、13歳で信長の近習に取り立てられる。

 

 長可は武田征伐で信忠軍の先鋒として高遠城を攻める。「鬼武蔵」らしい強引な攻撃で陥落させ、その戦功から信長から恩賞として、信濃川中島20万石を与えられる。しかし旧領の美濃金山は弟の蘭丸に譲された。18歳の若さで信長に寵愛される蘭丸には、命を張る武将たちから嫉妬の声が伝わる。長可は信長の前で弟の蘭丸に「そなたへの雑言は、兄の槍にて消してやる。惑わされずに御奉公いたすように」と語る。

 

 川中島一帯を領地とした長可は、大規模な一揆を「撫で斬り」にして鎮圧する。しかしその時本能寺の変が起き、一転森長可は窮地に立たされた。圧制の反発で信濃の国衆が長可を裏切る中、長可は何とか信濃を脱出した。

 

  *「鬼武蔵」森長可ウィキペディアより)

 

 本拠地の東美濃に帰還した後は、姑の池田恒興と共に羽柴秀吉に従い、賤ケ嶽の戦いの際は、織田信孝に圧力をかけて勝家と分断した。秀吉と織田信雄徳川家康連合軍との間で戦が勃発した際には、長可は小牧山の占拠を狙うが、そこには長篠の戦い武田勝頼の軍勢にわずか500騎で耐え抜いた奥平信昌が待っていた。森・池田軍の3分の1程の軍勢ながら巧みに兵を操り、森軍は敗走してしまう。

 

 長可は遺書を用意して決意を示すが、秀吉は不用意とたしなめる。父の法要で号泣したのは、秀吉が本当に後悔していたと知った長可に、甥の秀次を支えて徳川軍に中入りする機会を与えられる。しかし中入り部隊を叩くべく家康も動いており、池田隊と森隊は取り残された形となっていた。井伊直政の軍と激実して奮戦するも、鉄砲足軽の狙撃で眉間を撃ち抜かれ即死した。享年27歳。

 

【感想】

 秀吉の「千慮の一失」小牧長久手の戦いからもう1人、先に挙げた池田恒興の婿となる「鬼武蔵」森長可の物語を取り上げた。長可は「乱丸」の兄にもあたる。

 織田信長から「武蔵坊弁慶の再来」と言われ「鬼武蔵」と称された森長可。その名の通り気性の激しい人物で、奉公人を些細なことで怒りに任せて槍で突き殺したり、同僚に暴言を吐くなどの諍いを起こすことも度重なったらしい。そして戦でも度々軍規違反を犯したが、命令違反には厳罰の印象が強い信長も、長可に下される処分は口頭や書状での注意に留まり、龍愛ぶりが窺える。

 

 これは先に取り上げた弟 「乱丸」でもそうであったが、父と兄が信長のために若くして亡くなっていると共に、当時高名な美少年で衆童の噂も高かった「乱丸」と同じ両親で生まれたこともあり、長可もかなりの美少年であったことも理由の1つか。そのためか20代で最大の領土を有することにもなっている。但し小説「乱丸」では兄長可は弟から見ると煙たい存在に扱っているのが面白い。

 最初の法要の時と、最後の小牧長久手の戦いでしか接点のない秀吉だが、長可だけでなく森家の弟たちも良く見て、その資質を評価するなど、まだ戦場での槍働きをしている長可と比べての格の違いを示している。秀吉の言う「一流の人間は、奥が深い」は、信長在世期では決して口に出さない言葉であり、天下人目前の自信が感じられる。

 ところがこの小牧長久手の戦いで、長可が小牧山の戦いでつけいる隙を与えてしまい、挽回のために行なった中入りで家康の名をせしめたことが、豊臣家にボディーブローのように効くとは、当時秀吉も長可も気づかなかっただろう。

 

   *そして森家の物語は、長可の子忠政に続きます(Amazon

 

 長可は「人問無骨」の銘が彫られた二代目和泉守兼定之定)作の十文字槍を愛用して戦場を駆け巡る。「人間無骨」はこの槍の前では「人間の骨など無いも同然」という鋭い突き味を持っていた事から名付けられた。「之定」の刀は武田信玄細川藤孝ら数多くの名将が保持したほか、新選組土方歳三保有していた。

 

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