小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13-2 反逆②(明智光秀) 遠藤 周作(1989)

 

  *大河ドラマ軍師官兵衛」で、最後まで夫の荒木村重を信じ、そして刑場の露と消えただしを演じた桐谷美玲NHK)

【あらすじ】

 追い込まれた荒木村重は、状況を打開するために自ら城を抜け出して、毛利に援軍を要請することを決意する。そんな村重に妻のだしは、村重の子の鶴千代を預けて自身は城に残る。村重一行は無事に尼崎城に到看したが、その後も毛利の援軍は来ない。家臣たちの有岡城に戻る懇願に、村重は応じない。残った者たちは主君に裏切られた絶望感の中、戦いで次々と命を落としていき、遂に有岡城は落城する。

 

 助命を約束した信長だったが、降伏するとその約束を翻し、女子供も容赦なく、100人を超える全員を処刑に処した。そんな中妻のだしは気丈な姿で立派な最期を遂げる。その処刑を受け持ったのは、かつての家臣の中川清秀と、盟友の高山右近。最愛の妻に先立たれ、残された村重は心を失い、頭をまるめて、名を「道糞」と改め、世捨人となる。

 

 明智光秀は信長の信頼を掴み、羽柴秀吉に出世争いで負けじと、比叡山の焼き討ちや一向宗門徒との戦いで、無抵抗な者たちを次々に殺していく。その非道さに気持ちが萎える一方、信長から褒められると、この上ない愉悦を感じた。しかし同時に光秀の心には、いつか信長の顔が恐怖でゆがむ表情を見たい、という欲求が生まれる。比叡山焼討ちの夜、とらえられ泣き叫びながら命乞いをする小坊主と同じ表情を。信長の「神」ではない人間の表情を

 

  そんな光秀を、かつて戦い、安土で処刑された波多野秀治の残党が刺激する。流言を流して光秀に嫉妬と疑心暗鬼を植え付ける。そこへ光秀は長曾我部元親征伐の役目を外されることを知り、遂に反逆を決意する。これによって本能寺の変から山崎会戦、安土城炎上、坂本城炎上、そして明智一族の滅亡へと至る。

 

 

 *「麒麟がくる」で光秀の長女さと(役名は「岸」)を演じた天野菜月。光秀の娘は三女の玉(ガラシャ)が有名ですが、長女と次女も、本能寺の変の後に壮絶な最期を遂げています(シネマトゥデイより)

 

 光秀の長女さと荒木村重の嫡男の嫁だったが、村重の謀反で実家へ帰った後、家臣でもある光秀のいとこ、明智秀満と再婚していた。義母のだしの気丈な最期を聞いていたさとは、明智の女として、母や弟、妹と手を取り合い、坂本城と共に燃え尽きる。 

                                                 

 明智光秀を倒した羽柴秀吉は、天下人を目指して柴田勝家賎ケ岳の戦いで破る。敗れた勝家は、居城の北の庄に戻り落城を迎える。勝家の妻である市は3人の娘たちを落ち延びさせ、自らは城で勝家と運命を共にする決意をする。そこで市は夫の勝家に語りかける。「いかなる世でも女の哀れさには変りはありませぬ。あの娘たちは、女の辛さ、哀しさをとっくに知っております」と。

 

【感想】

 生きるとは、どのようなことか。最愛の妻や家族、そして家臣たちを「捨てて」逃げた男。家臣は逃げた村重に投降するよう呼びかけるも、村重はそれを拒否し、その家臣も城に戻らず逃亡した。残された妻や子、そして家臣や侍女などはみな六条河原で処刑される。その後荒木村重は自らを「道糞」と称して生きる。

 しかし織田信長が本能寺で死亡した報を聞くと、涙が止まらなかったという。その涙は信長に対してではなく、自分の人生に対する万感の思いだったのだろう。信長死後はやや精神が回復し、茶人として「利休十哲」の1人となり、名も道薫と改めた。宗教家でもある遠藤周作は、単に復讐や野望などの言葉では片付けられない「人の中に宿る様々な思い」を描くために、この題材を選んだのだろう。

 もう1人の主人公である明智光秀。信長の元で秀吉との競争が果てしなく続く中、「にらめっこ」で、光秀は先に瞬きをしてしまう。その理由は、光秀は余りにも教養があり、考える材料が多岐に渡ったからだろう。対して秀吉は自分が道具として使われるだけでなく、秀吉もまた信長を道具と見て、出世していこうと「シンプルに」考えている姿を描いている。そのため村重と光秀だけでなく、秀吉が主君信長の妹、市を自害に追い込み、信長の天下を纂奪するところまでを「反逆」として描いた。

 

 そんな男たちの思惑に巻き込まれる女性たち。荒木村重の妻だしは、村重に献身的に尽くし、夫婦の仲もこまやかな感情で仲睦まじい姿を見せているが、最後は村重に見捨てられる形で刑場の露と消える。しかし遠藤周作の手にかかると、愛する村重、そして託した子を生かすために「殉教」したように感じる。

 

  

 *「どうする家康」で、市はその最期に自分の想いを娘の茶々に伝え、茶々はその想いを胸に、戦国の幕を下ろす役を演じました(NHK

 

 光秀の娘さとの母や弟、妹と手を取り合い燃え尽きる最後の姿も、江戸時代にキリスト教に殉じて殺害される殉教者の姿そのものである。

 更に信長の妹、市。絶世の美貌を誇り、天下人の妹として本来は幸せな生涯が待っていたはずだが、2度の落城を経験して,さとと同じく炎に包まれて生涯を終える。その悲劇は市の長女、茶々にも後に訪れてしまう

 

   細川藤孝は光秀に、信長の持つ才能を「神才」と語る。神だけにのみ許される所業ができる人。残虐で非道な行為がためらいもなくできるのは、神を恐れず自らが神を超越しているから。そして人々は、神を恐れない信長を恐れたのだと。織田信長という「神才」を持つ男が周囲に及ぼす悲劇。

 男たちには自ら決断し、戦いの場で力を振るう機会が与えられる。しかし女たちは、城に残り、多くを語らず、自らの死を受け入れることしか許されない。

 

 この物語は、戦国時代を舞台にした「沈黙」でもある。

 

 

*1966年に発刊された「沈黙」は、50年後の2016年にイタリア移民2世のマーティン・スコセッシにより映画化されました(movie walkerより)。

 

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