【あらすじ】
「青びょうたんのうつけ者」。そう呼ばれていた竹中半兵衛は、父の病死により17歳で家督を継ぐ。その半年後に浅井の軍勢が攻めてくると、家臣の赤丸から敵の情報を聞き出し、豪胆な判断で侵入する敵を討ち取る。しかし半兵衛は、その手柄を弟に譲り、自分はおろおろして何もできなかったことにしろと命じる。
但し美濃齋藤家の猛将・安藤範俊は、噂の流れ方に疑問を持ち、半兵衛に底知れぬ器量を感じて、自分の婿に迎えた。その安藤範俊は半兵衛を副使として、当主の齋藤義龍が病となり、時間稼ぎを目的として織田信長に休戦を求めることになった。しかし信長が休戦に応じないことを見切った半兵衛は、信長の1日休息を取る誘いを断り、早々に立ち去ろうとする。そこで絶世の美女、お市と対面する。
間もなく義龍は亡くなる。家督を継いだ齋藤龍興は周囲を追従する茶坊主ばかりでまとめ、安藤範俊たち家老は遠ざけたため、齋藤家の家勢は衰えていった。そんな中、龍興の威を借りる家臣が半兵衛を馬鹿にして、城内で小便をかける。武士ならば激怒するところだが、半兵衛は意に介せず素通りした。
その態度をかえって不気味に思った家臣は、龍興の命で人質を出すように伝える。ここで半兵衛は青びょうたんの仮面を脱ぎ捨て、人質になった弟と示し合わせると、わずか17名の兵で難攻不落と呼ばれた金華山城(岐阜城)を占領し、当主齋藤龍興を追い落とす。噂を聞いた織田信長は、美濃半国と交換で金華山城を譲るよう求めるが、半兵衛は全く興味を示さない。すぐに龍興に城を返すと、家督を弟に譲り、美濃から離れて隠遁する。
近江で軍学を学ぶ半兵衛に、浅井家に嫁いだ市から仕官の誘いがくるが、浅井家の前途を憂う半兵衛は決断ができない。一方木下藤吉郎秀吉からも度々織田家に誘いが来るが、半兵衛は信長の直参になる煩わしさを嫌う。それでもあきらめない秀吉に、秀吉傘下ならばと妥協して、軍師半兵衛が誕生する。
秀吉の元で半兵衛は、美濃攻略で重臣の内応を成功させ、上洛の手配、京での三好勢への対応、そして朝倉攻めと金ケ崎の退き口などで、主君信長の意向を察知して秀吉に知恵を授けて出世を支える。
秀吉は順調に出世を果たし、中国方面で毛利家攻略の担当を任される。病が重い半兵衛は、それが秀吉を支える最後の仕事と感じていた。播磨国へ進軍して半兵衛は黒田官兵衛と出会い、自分の後継者に相応しい人物と見込んだ。官兵衛の力で播磨を平定したが、そこで摂津国の荒木村重が叛旗を翻す。
官兵衛が有岡城に赴くが、荒木村重に捉えられてしまう。信長は消息の断った官兵衛を裏切ったとして、人質の松寿丸の命を奪うように秀吉に命じる。信長の命令に逆らえない秀吉を見て、半兵衛は自分の責任で松寿丸を生かすべく、自城の菩提山城に連れて行った。有岡城が落城して黒田官兵衛が瀕死の状態で助け出された時、信長と秀吉は深い後悔に苛まれる。その時半兵衛の未亡人から松寿丸が無事の報が秀吉にもたらされたが、それは半兵衛の命が尽きた5カ月後だった。
*「 戦国疾風伝 二人の軍師」で、竹中半兵衛を演じた山本耕史と、黒田官兵衛を演じた高橋克典。最近の「キャラ」を見ると、山本耕史の半兵衛は何か笑ってしまいます(テレビ東京).
【感想】
蜂須賀正勝(小六)と共に、秀吉の「小者時代」から支えた竹中半兵衛。名誉を求めず、ただ自分の意のままに生きた。信長に仕えることは煩わしいとして秀吉の家臣になるが、当時の秀吉はまだ小者と言ってもいい立場でもあり、どこをどのようにしたら出てくる知恵なのか、全く不思議である。
本作品では自分の本性を隠し、その象徴として「小便」のエピソードを記しているが、小便をかけられた話は、小者時代の秀吉と信長の間でもある。おべっか使いに見えた秀吉の性根を確認しようと、信長が試すも、秀吉はすぐに信長のいたずらと察知、またここで許すとかえって疑われると思い、「いくら殿でも許せません」と怒ったという。対して半兵衛は「韓信の股くぐり」として、一時の屈辱を耐えた。
そんな「青びょうたん」の半兵衛だが、実際は織田信長や父信秀の美濃侵攻に、何度も撃退した経験を持ち、若き時から軍略家として名高かったという。そして金華山城を占領したことで名前は周辺国に広まり、その後家臣とした秀吉は、半兵衛の知恵だけでなく名声も大きな後ろ盾になったはず。
そんな半兵衛も、秀吉がとんとん拍子に出世していくと猜疑心が強くなり、半兵衛に対して雑談で「得体の知れない人物」と評したことを聞いて、引き時を感じる。またその時は自分の寿命も尽きようとしていた。そして最後の仕事として、信長の命に叛き黒田官兵衛の子松寿丸を匿う。
本作品でも触れているが、信長の命令を破ったことが知れたら、例え半兵衛自身は亡くなっていても、一族は改易や死罪に問われる可能性が高かったはず。そんな秀吉でも抱えられない「リスク」を背負う半兵衛は、単に「世捨て人」ではない、それこそ17人で金華山城を占領した「豪胆さ」も備わっていたのだろう。
*作者笹沢佐保が描いた「木枯らし紋次郎」は、江戸後期の渡世人をリアルに描いて評判となり、ドラマも大人気となりました(時代劇専門チャンネル)。
笹沢佐保は当初、ミステリーから「木枯らし紋次郎」シリーズを生み出したあと、本格的な歴史小説にも取り組んだ。本作品とほぼ同時期に、半兵衛と因縁のある浅井長政を描いた「華麗なる地平線」を描いている。
2人共に利を追わず、信長を斜めから見ている人物像は、「あっしには関わりのねぇこって」が決め台詞だった「木枯らし紋次郎」に通じるものを感じる。
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