小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11 天地雷動(長篠の戦い) 伊東 潤(2014) 

【あらすじ】

 武田信玄が天下統一を目指す途上で亡くなった。「宗教的呪縛」によって統率していたが、信玄の死によって解放された猛将たちは、自らの欲にかられていく。信玄は3年間死を隠し喪に服すよう遺言したが、息子の武田勝頼は乱世の中当主が必要と唱え、家督を継ぐ意志を表明し、遺言に固執する家臣団と対立する。

 

 武田家の圧迫に長年苦しんでいた徳川家康は、信玄の死を知り多少息がつけると期待したが、酒井忠次ら家臣団はそんな家康を甘いと諭す。猛将勝頼は自らの存在を知らしめるために、徳川家の領土を更に攻め入る一方、織田信長は自らの戦いを優先して、家康の要求に応えようとしない。

 

 家臣らは武田家が滅亡したら徳川の役割は終わり、信長から切り捨てられる可能性もあるとして、場合によっては武田家と盟約を結び、北条と協カする可能性も提言する。しかし家康はそんな決断を現在の情勢で下せるわけもなく、信長と家臣団の間に挟まって、苦慮していた。

 

 羽柴秀吉は信長から、武田家を征伐するために、同じ性能を持つ鉄砲を3,500張、しかも大量の鉄砲玉と玉薬もまとめて準備するように命じられる。南蛮から輸入される鉄砲は粗悪品が多く、堺の鉄砲鍛冶が月に生産できるのがせいぜい50張程、と今井宗久に言わる。

 

 秀吉は信長と堺の商人の間で苦慮するが、鉄砲を鉄筒と木型の土台、そして金具部分を分業にすることで製造スピードを上げるアイディアをひねり出す。鉄砲玉は質の良い砂鉄が山陰から手に入ることで目処がついた。玉薬は飛騨に良質のものがあり、土地を治める姉小路家を秀吉が調略して、武田家から織田家に鞍替えすることで手を打った。

 

 勝頼は信玄の遺言に固執する家臣たちに譲歩しながら、武田軍をまとめようとする。しかし秀吉の影響で玉薬が手に入らない状態になり、織田信長をおひき寄せて、武田騎馬隊が得意とする野戦で一気に勝敗を決する必要がでてきた。そのため長篠城を囮にして、信長を誘い込む作戦を実行する。

 

  武田勝頼ウィキペディアより)

 

 秀吉は信長の求めを応じる目処が付いたが、それでも信長が求める「戦場に弾幕を張る」状態までは至らない。鉄砲の専門家の橋本一の訓練を見て、足軽にも得手・不得手があるのに気付いた秀吉は、玉込めする人、打つ人、打った後手入れをする人に分業して、途切れなく玉が飛び交う工夫を思いつく。後は武田勝頼が、いつ戦場までやってくるかが問題。そこへ予想よりも早く武田軍侵攻の報が届く。

 

 鉄砲が間にあわない中、織田信長は勝頼の城攻めを囮と見抜いて、家康が求める長篠城救援の策を退ける。そして秀吉は数日間の猶予をもらい、堺から鉄砲を調達した。対して武田の家臣たちは、信長が大軍を率いて準備をしている状況を知り、一旦退くよう勝頼に求める。

 

 しかし勝頼は、信長と直接対決できる機会を逃すと、武田家がじり貧になることを恐れた。そして家臣たちにこう告げる。「命を惜しむのか」と。

  *長篠合戦図屏風(徳川美術館

 

【感想】

 織田信長が携わった戦いの中でも「会心棋譜」と言える長篠の戦い。鉄砲を大量に仕入れ、一斉射撃を三段構えで行ない「戦場に弾幕を張る」。日本海海戦の砲術にも通じる斬新な方法で、当時最強と言われた武田騎馬軍団を完膚なきまでに叩きのめし、自軍はほとんど被害を受けなかった。

 また司馬遼太郎が疑問に思った織田軍団の進軍の遅さ。海音寺潮五郎は鉄砲の一斉射撃を思い描いていた信長を想像して「梅雨だったからでしょう」と答えた挿話があるが、本作品では雨のほかに、鉄砲を揃える時間を確保するためという理由も付加している。

 

*「雨」の視点から信長を描いた作品です。

 

 この戦いに至るまでのプロセスを、武田勝頼徳川家康羽柴秀吉、そして武田軍の家臣で、戦場で苦労する宮下帯刀の視点から描いている。当事者たちは様々なものに挟まって、戦国武将と言っても現代のサラリーマンと同じような苦労をしているなと思わせる。秀吉は「ブラック企業織田家で、信長の無理難題と思われる要求に、脂汗を流しながら知恵と工夫そして開き直りでこなしていく。本作品ではキーワードは「分業」だが、このイノベーションによって織田軍は活路が開かれる。

 徳川家康は、大企業の仕える子会社の悲哀が描かれている。「搾取」に我慢できない家臣たちは、系列から脱け出すことも考えて家康に突き上げるが、信長の真の強さと怖さを知る家康は、「独立」を決断することはできない。

 対して「ライバル企業」武田勝頼は、偉大な先代社長からの代替わりに苦しむ。唯一の腹心、長坂釣閑斎は戦場の士ではなく、武将たちとの対立が激しくなる。本作品でも信玄より長生きした信玄の父武田信虎を登場させて、従わない家臣は殺害する厳しさが当主には必要だと語らせている。自分にも信玄にも足りなかった「非情」を、織田信長は有している、と勝頼に君主の心得を伝えて息を引き取る。

 その言葉は、長篠の戦い後に甦る。多くの武将たちが亡くなり敗戦の痛手を感じる勝頼に対して、長坂釣閑斎は、「宿老たちが黄泉の国に旅立った今、武田家は、すべて御屋形様の思いのまま」と告げ、この敗戦も予定通りと思わせる。勝手な論理に思えるも、これは偉大な父信玄も、以前に同じ道を歩んでいる。家督相続後間もなく、村上義清との戦いで無理な攻めをして、宿老の板垣信方甘利虎泰らをはじめ多くの将兵を失っている。問題はそんな「勉強」が、致命的になるかならないかの情勢にある。

 信長はこの戦いの後、まるで桶狭間の戦いの後のように、すぐに武田領に攻め込むことはせず、膿が溜まって切除する時機が来るまで待った。そして8年後に満を持して攻め込み、武田家は滅亡する。あとがきで同じ作者が書いた「武田家滅亡」(2007)を紹介しているが、その印象的なラストシーンと合わせて読んでください。

 

 

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