小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4 御所車 最後の将軍・足利義昭 岡本 好古(1993)

   *Amazonより

【あらすじ】

 足利12代将軍義晴は、近江国を流浪していたが京の南禅寺に戻り、一時の平穏な暮らしの中にいた。そこに長男菊幢丸に続いて次男義秋が生まれ、1歳になると足利家に伝わる将来を占う儀式が行なわれた。筆具と紙、銅銭、刀剣、そして墨染の衣と、それぞれ官吏、商人、武人、僧侶を象徴しているものを並べ、子供がどこに歩むか。足利将軍家では嫡男以外は僧侶となる決まりがあるため墨染の衣へと導かれたが、義秋は素通りし、刀剣や銅銭も見向きもせずに、筆と紙を捕まえる。

 

 しかし義秋は予定通り、生母の縁から5歳で藤原氏の氏寺である奈良興福寺へ入門し、覚慶として水汲みや掃除などの作務を日課とした。学問は遙か先まで到達していて、心身ともに逞しく育っていった。その頃京では、将軍義晴と管領家細川晴元が決裂し、義晴は敗北して和解を余儀なくされる。そして戦いに勝った細川家も、軍を支配していた三好長慶に追い落とされて、細川晴元は身1つで足利義晴を頼るまでに落魄した。そして覚慶の父義晴は病で40歳の生涯を終える。

 

 既に11歳で将軍宣下を受けていた覚慶の兄義輝は、匿われていた六角義賢の仲介で三好長慶と和解をして入京を果たす。しかし三好長慶は傲岸不遜な性格で、身辺に松永久秀という佞臣を置いて監視していた。松永久秀は毒を用いて長慶始め三好家の親族の命を次々と奪い、引いては三好の軍勢を使い御所に攻め入り、将軍義輝を殺害する。そしてその手は興福寺にも回った。

 

 細川藤孝ら義輝の旧臣に助けられて興福寺を脱出した覚慶は、将軍家の「血」を引く威厳を周囲に示し、自らの雄渾な「書」を武器に諸国大名に激を飛ばす。しかし現実に目の前で繰り広げている戦いを前に、上洛できる大名は誰も居ない。やむなく身の安全を図るために越前の朝倉義景に身を寄せるが、その間に従兄弟の義栄が14代将軍に就任してしまい、動かない朝倉家から鞍替えが迫られていた。

 

 足利義昭ウィキペディアより)

 

 織田信長尾張そして美濃を制圧し、上洛する準備が整うと、義輝時代に信長を知っていた幕臣たちは信長に頼ることを決め、明智光秀を仲介として信長の支援を受けて上洛する。しかし義昭義秋から改名)は15代将軍に就任するも、実権は信長の掌中にあった。将軍として自ら天下の差配を行ないたい義昭に対して、自らの支配下に置いて、意に沿わぬことを禁止する信長。

 

 2人の決裂は早く、義昭はまた「書」を武器に諸国の大名に信長包囲網を呼びかける。その工作も一時は功を奏したが、武田信玄が亡くなってから風向きは変わった。信長の威光は広がり、幕臣も義昭の元から去って行く。それでも将軍として振る舞いたい義昭は、挙兵するもすぐに鎮圧され、最後は信長に謁見もできずに京から放逐される。その後24年間生き続け足利家再興を目指すが、それは見果てぬ夢であった。

   



【感想】

 足利9代将軍義尚が近江の陣中で亡くなってから、足利将軍家は京で生涯を全うできた者はいない。10代将軍義材(義尹→義稙)は細川政元から将軍職を追い落とされて越中や越前、そして周防の大内氏に頼り将軍職に復帰するも、また追い落とされて最後は阿波国で亡くなり「流れ将軍」と言われた。11代義澄細川政元が擁立した義材の従兄弟だが、10代義材に追い落とされて近江国で亡くなる。12代義晴は本作品でも登場するが、やはり近江で亡くなった。

 ちなみに14代の義栄阿波国で三好家に匿われ、将軍宣下も上洛せずに行なわれ、同じ年、織田信長が義昭を擁して上洛した頃、病で阿波で亡くなったとされている。そして足利幕府で権勢を欲しいがままにしていた、管領の細川京兆(総領)家も、三好長慶らの下克上に合い、この時期に滅亡している。これで「覇道の剣」の物語と繋がった。

 織田信長に逆らった、世間知らずでプライドばかりが高いイメージの足利義昭。武力を持たない中、影に隠れて陰謀を巡らして、「恩人」の織田信長の足を引っ張ろうとする策略家。しかし義昭から見ると、信長は将軍家の「血統」のみを必要として、人格は完全に無視した。

 信長は義昭から提示された、名称だけは光輝く「副将軍」の座を何の未練もなく断り、「義昭の配下」になることを拒否した。義昭自身は聡明な頭脳を持ち、自分なりに有するビジョンが信長と対立する。そして取った手段は、字面だけを追いかけると、兄の13代「剣豪将軍」義輝と同じことに気づく。

 

 義輝に対して傍若無人三好長慶は義昭にとっての織田信長、そして監視役の松永久秀明智光秀羽柴秀吉の立場に重なる。三好長慶による支配から脱するために、義輝は近隣の織田信長や遠国の長尾景虎の上洛に期待して手紙を出し、対して義昭は織田信長の強権政治を打破するために、近隣は浅井朝倉や石山本願寺、そして遠国は武田信玄上杉謙信、そして北条や毛利などにも書を出し続けた。

 そんな野望も抵抗も、圧倒的な信長の力によって、すべてが葬り去られる。13代将軍義輝は、松永久秀の将軍暗殺という「悪手」によって命を断たれたが、信長は「反面教師」がいたために、「役割を終えた」15代将軍の命を奪うことまでは控えた。ちなみに本作品での松永久秀は、「悪逆非道」な人物になっている。

 兄義輝から譲られた足利将軍家の象徴たる源氏の白旗、家紋の二つ引両、そして御所車の幔幕は、信長が破壊した中世の亡霊とも言える象徴。将軍の意味を失った義昭は、信長に許しを乞い、それらを肩にかけて京から落ち延びて行った。室町幕府最後の将軍も、諸国で流浪を重ねた果てに豊臣秀吉の時代に畿内に戻ったが、子は僧侶のままであり、足利将軍家直系の家系はここで途絶えた

  

       *「足利二つ引両」と「御所車」