小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4 夢将軍 頼朝 三田 誠広 (2003)

【あらすじ】

 源氏の棟梁たる宿命のもと、「鬼武者」と呼ばれていた9歳の美しい少年、源頼朝。但しその幼名とは裏腹に馬術や剣、弓などの腕は劣り、女官が嗜む管弦を好んでいた。鳥羽上皇の四男に生まれ遊興三昧で周囲から呆れられていた四の宮は、そんな頼朝を気にしていた。四の宮は鬼武者に遠藤盛遠(後の文覚上人)を使わして剣を学ばせ、佐藤義清(後の西行)には馬術と詩歌を仕込ませることになる。

 

 頼朝は学問も熱心だった。明法博士の中原広季に就いて、養子の13歳の中原親能と8歳の大江広元、そして鬼武者の守り役でもある16歳の三善康信と一緒に学問に励んでいた。律令制度について学び、律令を無視した荘園制度や摂政関白の制度などについて、8歳の大江広元が疑問を呈す。それを聞いた頼朝は、力のある武士を支える律令を定めるべきと考える。そんな様子も四の宮は知りたがった。

 

 ところが今様狂いで、誰が見ても帝に相応しいとは思えない四の宮が、時の情勢から後白河天皇として即位する。そのために自身の子が即位すると信じていた兄の崇徳上皇が戦端を開き、頼朝10歳の時に保元の乱が勃発する。戦いは後白河天皇側が勝利するが、頼朝の父義朝は勝利に貢献したにも関わらず父為義を自ら斬首する役を命じられ、恩賞も平清盛に対して少なく、恨みだけが残る。

 

 その恨みが平治の乱を呼び込んだ。元服した頼朝は父義朝に従うが、弓も剣も扱えないために戦場から離れた場所にいた。義朝軍が敗走することになると、源氏累代の鎧・源太初衣と太刀・髭切丸も少年には重いだけで投げ捨てられ、また馬術も劣るため馬から振り落とされてしまう。1人取り残された頼朝は西行に助けられて匿われが、父も兄も処罰され、命乞いを期待して平家に捕縛される。

 

  

*「伝」源頼朝像(ウィキペディアより) 最近では頼朝とは別人の説もありますが、私にとってはこの肖像画が「頼朝」です。

 

 平清盛の前で堂々と、そして淡々と心境を語る頼朝。その姿と清盛の義母、池禅尼の計らいで命は助けられて伊豆の蛭ヶ小島へ配流となる。流人として1人の勢力も持たない境遇。写経三昧の生活を続け、やがて地元の伊東祐親の娘八重姫と契りを交わし、子供にも恵まれ、そんな生活に満足していた。

 

 ところが京への賦役が終わり地元に戻った伊東祐親は、娘が流人の頼朝の子を産んだことに驚愕する。京で平家の威光を知っている祐親は咎めを恐れ、八重姫を幽閉して子を簀巻きにして淵に沈めてしまった。愕然とするが命の危険も感じて北条館に逃げ込む頼朝。そこで北条政子から、平家と戦う決意を迫られる。頼朝は平家に蹂躙されている東国武士のためにも、平家討伐を決意する。

 

【感想】

 源義経への「判官贔屓」に対して、冷徹で政敵を次々と追い落とした源頼朝に対する評判は悪い。但しゼロから当時全盛の平家を滅亡させて東国武士団を支配した「奇跡」は、日本史でも稀な存在である。私は子供の時から頼朝派で、そして最近は頼朝についての評価も変わってきている。

 【あらすじ】のあと日本の半分以上支配している平家に、わずか300騎で蜂起する。緒戦の山木館の戦いは成功するが、その後石橋山で3千騎を相手に完敗してしまう。何とか逃げ延びて船で房総半島に渡ると、上総広常が2万騎を引き連れて味方に参じるが、その時頼朝は喜ぶどころか遅参について叱責し、広常は頼朝の将としての威厳に打たれたというエピソードは有名だが、私にはどうも「下準備」があったと想像する。

 傲岸な性格で後々まで自分の存在を誇示して武士団の和を乱し、後に頼朝の命で梶原景時に討たれる上総広常。敗戦後間もない状況でそんな相手に「賭け」は到底できるはずがない。これまた戦国の時、秀吉の元に徳川家康が上洛した際、対面の前夜に秀吉が家康に、ふんぞり返るから態度を会わせて欲しいとお願いする挿話と同じような事情があったのではないかと想像する(但し「鎌倉殿の13人」の解釈は、その上を行ったww)。

  

 *本作品では頼朝と不思議な縁で繋がる後白河法皇ウィキペディアより)

 

 そして私が頼朝を考えるとき一番注目するのは、平家も義経もそして奥州藤原氏も全て平らげた後、「日本一の大天狗」と呼んだ後白河法皇と、流罪以降初めて上京して対面する時。平家を、源義仲を、そして源義経を操ってきた後白河法皇。そのために義仲には征夷大将軍に任じ、義経には頼朝追討の院宣も出している。そんな法皇を相手に、頼朝は征夷大将軍以外の官職は頑なに固辞する。対して法皇は、今の状態の頼朝に征夷大将軍を与えると武士団の支配権を与えることになるので、征夷大将軍以外の官職で何とか朝廷内に取り込もうとする。

 本作品では、法皇は過去のいきさつはあくまで惚けて、官位を受けるように「言い捨てる」。そして頼朝は最終的に大納言と右大将に任じられるが、わずか数日で官位を返上し、後白河法皇との決別を宣言する。この場面を、法皇と頼朝が昔の顔なじみであったエピソードを重ねて、劇的なものに仕立てた。合わせて本作品では、父義朝のしゃれこうべと称して挙兵を迫ったとされるエピソードを持つ文覚、吟遊詩人西行も子供の時からの顔なじみとして、鎌倉幕府創設に際して尽力した大江広元中原親能、そして三善康信と同じ塾で学んだ者と、大胆な設定にしている。

 

 三田誠広歴史小説を本ブログで何冊か取り入れた。その作風は単なる歴史的事実の羅列だけでなく、歴史のピースの間にある空間を大胆につなぎ合わせて、見事に想像の翼を広げて描いている。独特の世界観の中で描く登場人物の心理描写と会話文は、まるでミステリーを読むかのような創作力を感じる時がある。

 幼少の時から得意でなかった馬術のエピソードも、平治の乱の敗走の場面だけでなく、落馬が影響で死に至った史実にも生かされ、伏線が見事に回収された

 

  

 *頼朝の「尻を叩いた」文覚上人(ウィキペディアより)

 「鎌倉殿の13人」で文覚上人を演じたのは、「あの」市川猿之助でした…… 残念!