小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4-1 臥竜の天①(伊達政宗)火坂 雅志(2007)

   Amazonより


【あらすじ】

 1567年米沢城で父輝宗、母を最上義光の妹義姫から生まれた伊達政宗は、幼少の時疱瘡で右眼にコブができて失明した上、怪異な容貌となり母から嫌われてしまう。そのため政宗は禅僧虎哉宗乙からともに学問を学ぶ片倉小十郎に強引にコブを切除させていた。その後も長く政宗の片腕となる小十郎は情報収集の重要性に着目し、黒脛巾組と呼ばれる防諜集団を作ることを進言する。一方政宗は秀吉の活躍を知り、奥州では姻戚関係が密のため、戦を行っても結局馴れ合いになる実情に苛立っていた。

 

 蘆名盛隆と畠山義継は伊達輝宗に対して田村氏と大内氏の和睦を持ちかけていたが、田村の婿である政宗は拒否し、大内氏の小手森城を攻め「撫切り」にする。それまでの奥州の「仕置き」と違い、徹底的に勝負をつける政宗に周囲は恐れを抱き、畠山義嗣は父輝宗を拉致して人質にする。政宗は激高し、無念の思いを抱いて父もろとも畠山勢を1人残さず殺害した

 

 輝宗の弔い合戦と称し畠山氏の二本松城を包囲するが、救援のために佐竹氏などが加勢して、敵は3万に膨れ上がり、南奥州を全て敵に回してしまう結果となった。人取橋で激突するも政宗は敗れ撤退を余儀なくされる。そこで政宗は蘆名氏と和解し、畠山氏を蘆名に亡命する形によって父の仇を取った。

 

 その後も北は大崎で反乱が起きると母の実家の最上義光が伊達領に侵攻し、南方では蘆名と相馬が同盟して、妻の愛姫の実家田村城に攻め入る。北の大崎は母保春院(義姫)より文を持って実家の最上家に停戦を依頼するが、保春院は勝手に最上軍の眼前まで行って和議を成立させてしまう。経過はともかく南方に集中できるようになった政宗は、田村城で相馬軍を撃退してこれを駆逐した。しかし南が片付いたことで政宗は再度大崎を攻める。母保春院の面目は潰され、母子は決定的な亀裂が生じてしまう。

 

   伊達政宗ウィキペディアより)

 

 南の相馬を責めることで宿敵蘆名をおびき出し、摺上原で決戦が始まる。数では伊達軍が有利だが、蘆名軍は後がない気持ちで命を捨てて戦い、勇将片倉小十郎も後退するほど形勢が不利となる。しかし風が伊達軍の追い風に変わり戦況は好転、劣勢となった敵将蘆名義広は先頭に立って伊達軍に襲いかかるが、政宗は後退しながら敵を包み込んで撃破する。ついに蘆名に大勝して政宗は奥州の覇者に踊り出た。

 

 当時豊臣秀吉が惣無事令(私戦禁止令)を全国に発令していた。その命を無視し続けた政宗はようやく小田原に参陣して秀吉と面会することを決意するが、その前夜事件は起きる。

 

 母保春院が別れを惜しんで宴に招いたが、政宗の膳に毒が盛られていた。気性が激しい母保春院は、秀吉に服従しようとする政宗に不服で、政宗を毒殺して小十郎を立てて秀吉と抗戦する意向だった。母を殺害できない政宗は弱冠13歳の弟小次郎を、伊達家の禍根の根を断ち切るために自ら命を殺める。

 

【感想】

 海音寺潮五郎は「へそ曲がり」、山岡荘八は「横着者」と評して描いた伊達政宗政宗とは犬猿の仲の相手「上杉推し(?)」の火坂雅志は、政宗を「無鉄砲」と評した。上杉家の「義」と「慈愛」を、伊達政宗は「合理主義者」として痛切に皮肉り、様々な手立てを使って天下を狙う。

 前半は米沢の領主に過ぎなかった伊達家が、政宗の活躍によって周囲を切り従えて奥州の覇王となる過程を描いている。幼い時に中央の情勢を聞いて、従来の「ぬるい」やり方では伊達家は生き残れないと焦燥感を感じる。家督を譲り受けると敵を「撫切り」にするまで完膚なきまでにやっつけて、領土を拡大する「覇道」を邁進する。

 

  

 *政宗の「片眼」の役割を生涯担った片倉小十郎ウィキペディアより)

 

 そのために周囲の全てを敵に回してしまい、その結果父輝宗を犠牲にしてしまうのが前半のクライマックス。時に戦に敗れ逃げ帰り、時に母の力を借りてまで和睦をするなど、よくよくみれば上洛を果たして間もなく、周囲が敵に囲まれていた時の織田信長の状況と似てなくもない。但し政宗は和議を母保春院に依頼するが、信長は将軍や朝廷を動かすところがスケールの違いか

 そして奥州の勢力図も中原に織田信長が侵攻した時の様子が再現される。「政宗以前」と「政宗以後」で周辺の武将たちは判断を迫られる。ある者は徹底抗戦し時に滅亡し、そしてある者は臣従する。

 政宗の事蹟を大急ぎで描いているせいか、父輝宗を「見殺し」の場面も、既に鉄砲隊を用意していることが怪しく、実は政宗自身の陰謀ではないか、という説。そして弟小次郎を自らの手で殺めることも、実は生き延びていたという説など、サラリを流している印象がある。

 「無鉄砲」だった政宗が戦を重ねて危機に直面するに従って、次第に我慢することも学び、そして力攻め一辺倒だったのが、調略や罠などを仕掛けて、より効果的に戦いを進めていく様子を描いていく。それはまさしく織田信長が辿った道

 

 それは後半生の「世渡り」に通じていく。天下を望む資質を持つが、まだ地に這う姿を表わす「臥龍」。

 果たして龍は地に這ったままか、それともいずれ内に秘めた能力を開花させて、天に昇るのか。

 

  

 *政宗の像は、本人の希望で両眼とも開けて作られました(TBSより)