小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 関ヶ原 (1966)

【あらすじ】

 豊臣秀吉が死の床につくも、世継ぎの秀頼はまだ幼い。まだ下克上の意識が残る中秀吉死後の天下は、実績と知行で他を圧倒し、律儀者として知られた五大老の筆頭、徳川家康に移ると思われた。しかし秀吉に寺の小姓から引き立てられた五奉行職の石田三成は、家康と対峙して豊臣家を守る決意をする。

 

 秀吉が薨(こう)ずると、家康は律儀者の仮面を脱いで、天下を簒奪する動きを始める。豊臣家に内包する武断派と文治派の確執に目をつけて、その確執を煽ることで豊臣家を弱体化させようと目論む。家康は子供の頃から武断派の面々を育てた寧々を味方に引きつけて、文治派の石田三成と争わせる。家康と唯一対抗しうる前田利家が亡くなった時に対立は頂点に達し、武闘派は石田三成を暗殺しようと企てる。

 

 三成はその危機を察知し、家康の目論みを逆に利用して、家康本人の懐の中に飛び込んで庇護を頼む。まだ対決には機が熟さないと判断した家康は、三成の目論み通りまだ命を奪うことができない。窮地を脱した三成だが、争乱の責任を取り、領国の近江佐和山で隠居するよう命ぜられる。中央政界から退くことになった三成だが、佐和山城を強固にしつつ、陰で味方を募ることで、来たるべき家康との戦いの準備を始めた。

 

 天下奪取を狙い戦乱を起こしたい家康は、利家死去後の前田家に狙いを定め、家康暗殺を企てたと噂を広める。但し前田家は利家の妻まつ(芳春院)の判断でひたすら恭順を図り、自身が人質となって争いを回避した。次いで家康は会津の上杉氏に因縁をつける。上杉景勝の家宰、直江兼続は「直江状」で堂々と反論することで、家康は会津討伐に乗り出す。

 

  石田三成ウィキペディアより)

 

 但し家康の会津討伐を見越していた三成は、直江兼続と家康を挟撃する構想を既に打ち合わせていた。家康に次ぐ知行を有する毛利家を反徳川の旗頭として、味方も増やした三成は絶対的な自信を持ったが、家康も三成の戦略は見抜いていて、三成が挙兵する時機を待っていた。そして三成が挙兵するや否や、会津討伐軍をそのまま三成討伐軍にまとめ上げて、反転して西に向かう。そして両軍は美濃の関ヶ原で激突する。

 

 三成率いる西軍は数で勝り、また地の利もあって家康を包囲する布陣を引くことに成功して、三成は勝利を確信する。しかし家康の内部工作が成功して、旗頭と思えた毛利軍を始め、西軍の実に3分の2は自軍から動かない。それでも残った軍で東軍を押しやって西軍優勢で戦いは進むが、家康は小早川軍に恫喝を加えて東軍に寝返りを促し、突如西軍に襲いかかる。ここで他の軍も東軍に加わり、西軍は総崩れとなって勝敗は決した。

 

【感想】

 関ヶ原の戦いを、日本史の教科書程度の知識しかなかった時に読んだ本。最初はなぜ文庫本で3巻もあるのか、そして戦いの描写は下巻の途中からのようで、その前の膨大なページが必要なのか疑問に思った。しかし読み出すと面白い。戦いに至るまでの家康と三成の「頭脳ゲーム」が延々と繰り返される。

*1981年TBSで制作され、3日連続で放映された大型時代劇。当時はそのスケールに圧倒されました。

 

 「義」を標榜し、まるで融通の効かない中学校の学級委員のような対応を取り、周囲から煙たがられる石田三成朝鮮出兵など、命がけで闘った武将たちに対しても、規律に違反したと細々と指摘して難癖をつける。何十万もの兵を海外に派遣するために複雑な計算を用いて、輸送船などを動かした明晰な頭脳は、相手の感情を思いやる能力は欠けていた。けれども一方で、秀吉との出会いの時、秀吉が汗をかいて茶を所望したことに気が付き「三献茶」という機知に富んだ対応をしたのだから、人の心がわからないとは思えない。また島左近を始めとする配下への気配りや統率力、そして領民を慈しむ領国経営を見ると、手下に対する愛情は人一倍激しいと思われる。

 対して徳川家康「人間百科事典」ともいうべき、人の心に精通する人物。父親が部下に殺され、人質生活を経験し、部下からの反乱も受け、生死の境目を何度も通り抜けた。徳川家を守るため信長そして秀吉に臣従を強いられる。特に信長には武田信玄と領国が接することによる恐怖と戦いながらも、何度も応援に兵を出し、妻と嫡子を死に追いやる命令も苦渋の上従っている。そんな経験から「実地」による研究で、各武将の欲望を「釈迦の上の手のひら」のように操ることができた。そして家康の配下には、これまた知恵の塊のような参謀、本多正信がいた

 この2人による関ヶ原の戦いに至るまでの暗闘は、大変面白い。当時の戦国時代のイメージである「即、戦い」とはかけ離れた頭脳戦。石田三成も高い知能指数と周囲を恐れぬ胆力で家康陣営に「筆」で闘うが、家康は更にその上を行って、「感情」と「欲望」を操作して次第に三成を追い込んでいく

 そして関ヶ原の戦いを前にした、各大名の判断が描かれて興味深い。黒田家、加藤家による事前の準備から怠らなかった「上方脱出劇」。対して初めから覚悟を決めていた細川ガラシャの悲劇。黒田長政福島正則山内一豊など、秀吉子飼の武将たちが家康軍に就く判断。対して独立した戦国武将である毛利家、長曾我部家、島津家、鍋島家などの判断。また小規模ながらも家を継承する知恵を持った九鬼家や真田家の家を守る考え方など、様々なドラマが内包されていて、一つ一つが大変興味深い。

 関ヶ原の戦いの描写も圧巻だが、そこに至るまでの物語も多彩である。そんな複雑な人間模様を司馬遼太郎は見事に「一筆書き」で描ききった

 

*映画もまた「大型」でした。