小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

16 魔将軍 くじ引き将軍・足利義教の生涯 岡田 秀文(2006)

   Amazonより

【あらすじ】

 3代将軍義満を支えた義満の猶子、藤原家出身の三宝満済は、義満の子二男・鶴若丸と三男・春寅が能舞台で「鶴亀」を演じている姿を見つめている。長兄義持は将軍家を継き、義満の寵愛を受ける次兄の鶴若丸は異例のスピードで昇進し「皇位簒奪」を目指す。一方鮮やかな舞を見せた春寅は延暦寺に入山し義円と名乗り、修行を積んで天台座主になる。しかし三宝満済は,子供ながら冷静に状況を分析する春寅の中に、将器が宿っていると感じていた。

 

 義満が亡くなり後を継いだ4代将軍義持は、義満とは違って朝廷との調和に心がけていた。義満の寵愛を受けていた鶴若丸こと義嗣は後ろ盾が無くなり、義父の上杉禅秀と連携して反乱を起こすが露見して殺害され、また5代将軍義量は早逝した。元将軍の義持は後継を自ら決めることを拒否して、候補者を選んでくじ引きで選出するように指示し、くじの作成は三宝満済に任される。満済にとって将軍に相応しい人物は義円しかいなかった。果たして源氏ゆかりの石清水八幡宮における「神託」は、義円と出た。

 

 天台座主として仏の道に精進していた義円だが「かりに予が将軍となれば、あくまで予は予の姿勢を貫き通すであろうぞ。さすれば守護大名や宿老たちが、予を将軍へ推したことを後悔するであろう」と宣言して運命を受け入れる。そして控えるのは三宝満済と義教の身辺警護をする市三郎や勝たち。

 

  

 *3代義満から6代義教まで信任の厚かった「黒衣の宰相」三宝満済ウィキペディアより)

 

 周囲の官僚たちを使って次々と政策を指示・実行する義教。米価安定のための政策を行い、世の中を落ち着けようとする。幕府の奉行に不正があり叡山の仏教徒が訴訟を起こした際も、幕府側は認めたにも関わらず「山法師」が焼き討ちに及んだことに激怒し、義教は比叡山を焼き討ちにする。元々天台座主でもある義教にためらいはない

 

 そして幕内の勢力にもそのメスは及ぶ。6代将軍を狙っていた鎌倉公方足利持氏は、その座を逃がしたことで面白くなく、いたるところで将軍に反抗する。関東管領の上杉憲実が公方に諌言していたが、反対に持氏から討伐を受ける。ここを好機と見た義教は上杉憲実と手を組んで持氏を朝敵として関東討伐を行い、鎌倉公方を滅亡に至らせた (永享の乱)。

 

  「万人恐怖」。些細なことで罰せられて、幕府のみならず朝廷でも将軍をおびえる日々が続く。義教は斯波氏、畠山氏、山名氏、京極氏、富樫氏、今川氏など有力守護大名に対して、その家督継承に積極的に干渉することにより、将軍の支配力を強める政策を行った。赤松家は主筋がないがしろにされ、義教の稚児とされた遠縁の者に肩入れした。身の危険を感じた赤松満祐は、慰労という名目で義教を館に招く。猿楽を観賞していた時、武者たちが宴の座敷に乱人し、瞬く間に義教の首をはねた。享年48歳。

    

*足利家系図。将軍家と鎌倉公方でも争いが絶えず、「源氏」の宿命を感じます(葛飾区HPより)。



【感想】 

  「くじ引き将軍」と言われて軽んじて語られることが多い6代将軍義教だが、歴史的に見ると石清水八幡宮の神託によって「神に選ばれた将軍」と言う大義を背景に独裁者として君臨する。元々天台座主として学問に秀でてかつ組織のリーダーも経験している。また父は「あの」義満である。将軍になったら周囲を顧みずに突き進んだ。

 ウィキペデイアに掲載されている「方人恐怖」の実例をいくつか要約する。

・儀式の途中で将軍に笑顔を送った家臣に対し「将軍を笑った」として所領没収の上蟄居。

・妻の兄に恨みを持っていた義教は、甥が生まれて訪れた祝賀の客を全員処罰した。

・酌の仕方が下手な侍女を激しく殴り、尼にさせられた。

・説教しようとした日蓮宗の僧日親は、灼熱の鍋を頭からかぶせられた上、舌を切られた。

 他にもたくさんの事例があり、被害に遭った者は数知れず。但しこれらの記載は敵対した公家の日記が多く悪意が含まれ、どこまでが本当かよくわからない点もある。事実のみを言うと、敵対勢力の勢威を削ぎ、将軍家の権威を向上させてその威勢を広げた「実績」はある。但しそのために将軍が満座の中で首をはねられる事態となり、義教就任時にも増して将軍の権威は失墜し、そのまま応仁の乱から戦国時代と突入していく。

 その酷薄な性格と比叡山を焼き討ちにした「実績」、そして家臣から裏切られた最後などから、織田信長に印象が重なると指摘する人は多い(井沢元彦と作者は、裏切った家臣の赤松満祐と明智光秀が「イニシヤル」が同じと指摘している)。但し私は天台座主まで登り詰めた学問の素養から見ると、徳川5代将軍の綱吉とも重ねてしまう。共通する点は、当初は将軍に就任する予定がなく精力的に学問を研鑽して成長し、運命の悪戯で突然将軍職に就任すること。そして将軍になると、突出した頭脳で周囲を黙らせ、独善的な政策を実行したこと。

 軽く見られがちな義教だが、作家の明石散人は昔から信長との共通点を指摘して、「実力派将軍」としての再評価を世に訴えてきた。その明石散人が著した「鳥玄坊」3部作は、地球誕生から生きている特殊ミュータントと思われる種族が、世界の森羅万象の謎を解き明かし支配するという、何とも不思議な物語。そんな特殊な種族の更に上を行き、全てをなぎ倒す絶対的な存在を、明石散人は「義円」と名付けた。

 

  


*明石散人2作品。義教と織田信長を比較した先駆的作品と、「義円」が登場する鳥玄坊三部作の最終刊(Amazonより)