小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

17 天下の旗に叛いて(結城合戦) 南原 幹雄(1990)

   Amazonより

【あらすじ】

 足利尊氏の次男、基氏から始まった鎌倉公方は代々将軍家と対立が続いていた。鎌倉公方持氏は6代将軍就任を目論んでいたが、その座は「くじ引き」によって義教に奪われた。持氏は実力で将軍簒奪を図るも、幕府軍に敗れて長男もろとも自刃する結果に終る。将軍義教は逃げ落ちた持氏の二男春王丸と三男安王丸、そしてまだ幼児の四男栄寿丸に探索命令を出す。彼らは頼朝以来の名家で、下総国筑波山麓を拠点とする結城家に頼る。

 

 棟梁の子結城持朝は相模国の大山氏から美奈を嫁に貰い、子も宿したばかりで幸せに満ちた日常を送っていた。若い持朝は謀反人の子供は匿うべきではないと考える。しかし父氏朝は鎌倉公方の側近で、先の乱でも闘いに参加できなかった禍根があった。一族や家臣も遺児たちの為に立ち上がるべきとの意見が大勢を占め、氏朝は鎌倉公方の遺児3人をまとめて引き取り、幕府軍に叛旗を翻す決意する。時に1440年。

 

 遺児からの御教書を関東の豪族に配り、味方も現われて結城家の士気も上がる。1万ほどの兵で結城城に籠城するが、幕府軍は将軍義教の面目もかけて、10万を越える大軍で押し寄せてきた。善戦するも周囲の古川城、関宿城が落とされ、結城家の菩提寺である結城寺も責められて僧侶が全員亡くなるなど、劣勢に立たされる。そんな中、氏朝の弟氏義も風魔小太郎の誘いに乗り、幕府方に奔ってしまった。

 

  

 *結城氏朝(ウィキペディアより)

 

 結城軍の劣勢をひっくり返すには、美奈の実家である大山家が背後から幕府軍を突く「戦術」と、上方で将軍義教のクーデターを起こす「戦略」が必要になる。氏朝は重臣小山広朝に託して、幕府の実力者赤松満祐へと向かい策謀を促すが、逆に囚われてしまう。そして大山軍は幕府本陣の後方に陣取り動かない。

 

 1年経とうとしても決着がつかず和平交渉も決裂し、最後の決戦に挑む結城軍。皆が獅子奮迅の活躍をするも、幕府軍は新手を次々と繰り出して追い詰めていく。城の搦手が手薄になった時に、頼みの綱であった美奈の実家の大山軍が幕府側として攻め入り、結城軍の敗北は決定的になった。城から逃げ落ちた鎌倉公方の遺児たちは幕府軍に捉えられ、嫡子を生んだ美奈を始め城の女性たちも業火に包まれる。そして氏朝・持朝父子ら結城軍は、幕府本陣に最後の突撃を敢行するも大将を取り逃がし、全ての力を出し切って自刃した。

 

 春王丸と安王丸は京に送られる途中の美濃で、将軍義教から「即刻斬れ」との命令を受け、命を奪われる。その義教も、同じ年に赤松満祐の手によって暗殺された。

 

  *春王・安王の墓(岐阜県不破市:ウィキペディアより)

 

【感想】

 話は前後するが、本作品の時期は足利義教嘉吉の乱で亡くなる直前の出来事。ちなみに謀叛を起こした赤松満祐は将軍義教を邸宅に招く口実の1つに、「結城合戦」の戦勝祝いをあげていた。しかし当時は室町時代で戦国前夜。都の京都から離れた地域で起きた一豪族の反乱でもあり、私の知識も学生時代からしばらくは名前のみ。

 近くに香取神社鹿島神社、息栖神社と「東国三社」を控えて、大和朝廷の時代から相模や武蔵に先駆けて関東で栄えた下総国常陸の国の地域。平将門が生まれ、千葉氏を始めとする関東武士団発祥の地でもある。そして源頼朝の時代に奥羽征伐で功を挙げてこの土地を任された名門結城氏。「利」よりも「義」を求めて客観的に見てはとても勝てそうにない闘いに挑んだ結城氏朝。そんな気概は周囲の関東武士団にも波及して、日本全国を敵に回す闘いを始める。

 そのため「結城合戦」の結末は切ない。結城家の全てが失われ、足利持氏の遺児の2人も露と消えた。冒頭で描かれる結城持朝と美奈夫婦の幸せな光景が、無残にも引き裂かれていく様子が涙を誘う。そして本作品は、同じ年に赤松満祐の手によって将軍義教が暗殺されたところで終えている。

 結城氏朝・持朝ら戦いに敗れた人たちの想いは、物語の後を史実で追うと、少しは報われていることがわかる。当時4歳の幼児だった鎌倉公方の四男栄寿丸にはまだ殺害命令が出ていなかったため、赤松満祐が将軍暗殺を実行したことによって生き残ることができた。しばらく京で生活したのち、鎌倉5代公方足利成氏として関東の地に戻り、鎌倉府を再興する。父を殺害した上杉管領家及び堀越公方(伊豆)と対立するが、古河に拠を移して古河公方として幕府と和議(都鄙合体)して勢力を維持し、49歳まで長命する。

 結城合戦の時幼子だった氏朝の四子成朝は、落城の時に乳母の手で逃げ延びて、常陸国の名門佐竹氏に匿われて成長する。後に足利成氏鎌倉公方として復帰すると、結城家のお家再興を認められた。

 

  *結城家を再興した結城成朝ウィキペディアより)

 

 戦国時代に入ると結城家の勢力は衰えていくが、徳川家康の次男秀康が名門の家を継承するために養子となり、結城秀康として歴史に再浮上する。越前に移り徳川一門として松平姓となり結城姓は消滅するが、およそ70万石を擁する大大名に出世する。後に越前松平家は減封となりその後も転封が繰り返されたが、秀康の子孫は結城家の祭祀をその後長く務めた

 

 そして結城合戦はもう1つの「物語」を生む。結城城落城のとき落ち延びた、鎌倉公方の近臣だった犬塚番作。京に連れ去られる春王丸と安王丸の救出を目指すが叶わず、代わりに処刑後の首級を奪取する。そして鎌倉公方から預かった宝刀「村雨丸」を遺児である弟の栄寿丸こと足利成氏に返す使命を、自らの命を犠牲にして子の犬塚信乃に託す。信乃は父と同じく結城城から落ち延びて安房に拠点を構えた里見義実の娘、伏姫の魂が宿った「八犬士」の一員として、同士と共に様々な苦難を乗り越えていく・・・・

  南総里見八犬伝結城合戦からおよそ400年後、江戸期を誇る稀代のストーリーテラー滝沢(曲亭)馬琴に着想を与えて誕生した傑作は、結城氏朝・持朝ら愚直な決断をした人々の想いを乗せて、合戦からおよそ600年後の現在も読み継がれ、そして未来へと続いていく。

 

 

 *「ドラゴンボール」や「ワンピース」にも影響を与えたとされる八犬伝ですが、私の中での八犬伝NHKの人形劇です(1973~1975年放送)。