小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 平将門 海音寺 潮五郎 (1967)

【あらすじ】

 桓武天皇の五世で、父良将を鎮守府将軍に持つ平小次郎将門。筑波の山から程近い豊田の里が本拠だが、しばらく父に従って陸奥の胆沢城に滞在し、久しぶりに故郷に戻ることになった。いとこの平太郎貞盛と祭りにでかけるが、貞盛は実力者の源護の家来といざこざを起こし、その家来を殺してしまう。実力者に盾突いて困った貞盛は、将門に罪を擦り付けてしまう。

 

 将門は後の始末を伯父の平国香に任せ父の元に赴くが、その父が急死する。将門は葬儀を取り仕切り、その後親族が集まって将門がそのまま相続をすることで合意する。ところが父の土地は、既に一族のおじたちに奪われていた。

 

 祭りで一度見初めた娘、小督が源護の娘と知った将門は、伯父の国香を介して縁談を申し込むが、将門が無官であることを理由に断られる。国香は所領問題をそらす意図もあって、官位を貰うために上京を勧め、いとこの貞盛と上洛する。

 

 しかし宮仕えに向かない将門は腐敗した朝廷の体質に肌が合わず、結局官位は貰えなかった。そんな中、将門は落魄した身分の貴子という女性と知り合う。将門は貴子を支援し、互いを想うようになるが、いとこの貞盛が割り込んで貴子と結ばれることになり、将門は怒りと悔しさを抱えて坂東へ戻ることになった。

 

 将門が坂東に戻ると、おじ達は将門の所領を勝手に源護に寄贈していたことが判明し、一族と抜きがたい溝ができた。将門はおじ、良兼の娘・良子が源護の息子の嫁になる話を聞き、その良子を奪い取ってしまう。将門は源護をも敵に回すことになり、坂東では四面楚歌の状態となる。

 

 935年、源護は将門に兵を差し向けた。率いるのは源護の三人の息子たち。だが3人とも、寡兵だが奮然と戦う将門に討ち取られてしまう。伯父の国香は源護の味方をして将門に兵を向けたが、これも将門は退け、国香を討ち取ってしまう。こうして将門は、一族と全面的に争うことになる。

 

  平将門柏市HP)

 

 この戦い、兵力的には一族側が有利であったが、寡兵をものともせずに将門は戦に勝ち続ける。将門の周囲では昔馴染みの鹿島玄明がお膳立てをして、事態は将門の思惑を超えた方向へと進む。将門は神託を受け「新皇」を称することになった。

 

 将門謀反の報はただちに京都にもたらされ、また同時期に西国で藤原純友の乱の報告もあり、朝廷は驚愕する。その間将門は兵を解散して、恨み骨髄に達する平貞盛の行方を捜索して、いたずらに時を費やしてしまう。窮した貞盛は下野国神領使の藤原秀郷に庇護を頼んで、兵を解散させ手薄になった将門を攻撃することにした。数のカと軍略を併せ持った藤原秀郷軍に、将門は徐々に追い込まれていく。

 

 秀郷・貞盛軍と将門軍の最後の火蓋が切られた。兵力は少なくとも、戦端当初は北風を背に矢を放ち、追い風の中優勢に進む将門軍。

 

 だが突然、風向きが変わった。

  

 *ビジネス街のど真ん中にある平将門首塚関東大震災、空襲などで再開発の舞台となるも、立ち退きしようとする工事関係者が次々と謎の死を遂げたいわく付きのスポット。そして将門の首が京から飛んで戻った伝説から、地方に異動となったり危険地に出張に行くビジネスマンが、無事に帰るようにと祈るスポットにもなりました。

 

【感想】

 鎌倉幕府開府に遡ることおよそ25O年前、坂東の地に武土の世を築くことを夢見たとされる平将門を描いた作品。大河ドラマでも「風と雲と虹と」で放映された原作。荒俣宏の「帝都物語」では、東京に宿る大怨霊として描かれた平将門。乱の後も、武家政権の確立に合わせて朝廷側からは「東国を支配する」悪霊として描かれてきた。

 

 しかし本作品の内容は「定説」とだいぶ異なる。実直で素朴な若者が、周りの意地悪な親戚たちに騙されて黙っていられず、ついに怒りが爆発して反乱を起こした格好。一族を殺害した後は、本来ならばその勢いで敵の中心を突くべきだが、一旦兵を解散して「恨みある」平貞盛を延々と探すことに時を費やす。これでは「私怨を晴らす」としか見えず、海音寺潮五郎も「朝廷からの独立を考えた」説を採用しなかった。

 また平将門の乱は、藤原純友の反乱と合わせて「承平天慶の乱」と呼ばれているが、京で藤原純友との接触はあるものの、平将門藤原純友比叡山で共同謀議して起こしたという「伝説」を取っていない。本作品ではアクの強い藤原純友が「純情な」平将門をそそのかす設定とし、そして東国の独立の象徴である「新皇」という名称も、偶然がもたらしたものになっている。

 その代わり本作品で描かれる平将門は等身大。一族との争いも、最初は何とか穏便に片付けようと考える。世渡りが下手で、賄賂がまかり通る朝廷の体質にはついていけない。親友と思っていた人間からは何度も裏切られる。自分は何てついていない人間なのか・・・・

 少しずつ蓄積された怒りが爆発して、今まで「馬鹿にしていた」一族たちに力で立ち向かう。それは「私闘」であって朝廷への反逆ではない。しかし戦いは徐々に広がりを見せ、朝廷は「反乱」として扱い鎮圧を余儀なくされる。

 その展開は、何かボタンの掛け違いのようにも思える。現在に至るまで「大怨霊」として扱われる平将門だが、そのことは将門自身が、一番戸惑っているだろうと感じてくる。先の菅原道真の稿でも記したが、怨霊とは後ろめたい行動を取った人の心に宿るもの。そして幾重にも虐げられている民は、不条理な仕組みで出来上がっている社会を打ち壊す「怨霊」を待ち望んでいたのだろう

 中央で貴族が「我が世の春」を謳歌していた時代。朝廷の権威とはこんなにも脆いものかと、この「私闘」は物語っている。貴族たちはそのことを感じていたが、知らないそぶりをしていた。そして「武士」がそのことに気づくのは、およそ250年先になる

 

*こちらの大河ドラマを見たのは子供の頃。断片的な記憶ですが、戦よりも「人間ドラマ」の印象が残っています。