小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 メタル・トレーダー(「スクウィーズ」改題) 徳本 栄一郎 (1997)

【あらすじ】

 大手商社・住倉物産の上杉健二は「ミスター・ファイブ・パーセント」の異名を取り、国際銅市場に君臨していた。ところが簿外取引で2000億円は超えるであろう巨額の損失が発覚して会社を解雇、そして逮捕され実刑判決を受ける。この事件は日本でもセンセーショナルに報道され、世界的にも注目を浴びた。

 2年後、この事件について情報を得たグローブ通信社の記者・根本誠一は、果たして上杉1一人の事件だったのか疑問に抱く。周囲から「この事件について深追いはしないように」と止められるが、休職してこの事件を調べ始める。そうすると、さまざまな思惑が渦巻くマーケットの暗部を目の当たりにし、そして「シティの黒幕」と言われる人物に行き当たる。

 

【感想】

 モデルとなった事件は住友商事の銅取引における巨額損失事件。浜中泰男非鉄金属部長は国際銅市場で強きで巨額の取引から「ハンマー」と呼ばれ注目を浴びていた。1985年夏ごろから、ロンドン金属取引所で出した銅地金取引での損失を隠すため、帳簿外で投機的な取引を続け、損失を拡大させ続け、1996年6月に社内調査で不正が発覚。住友商事は最終的に約2850億円の損失を出したというもので、当時の秋山富一社長は損失公表後に辞任。浜中泰男は詐欺罪などで懲役8年の判決が確定して2003年に釈放されている。

 この時期には1000億円を超える巨額損失の事件が相次いだ。1995年には大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失事件が発覚、その後の銀行側(と、いうより「日本側」と言った方がいいか)による対応の不手際によりアメリカ側に巨額の罰金を支払い、かつアメリカから完全撤退せざるを得ない結果となった。同じ1995年にはイギリスの名門銀行・ベアリングズ銀行デリバティブの失敗によりやはり巨額の損失を出し破産、200年を超える名門の歴史に終止符を打つことになった。企業体質とリスク管理体制の不備、そして急速に巨大化した金融市場とデリバティブ商品などに対する認識の甘さなどの事情が重なり、この時期に巨額損失事件が次々と露呈、発覚したのだろう。

*ベアリングズ銀行の崩壊を描いた映画。

 

 だが「市場」では敗者がいれば必ず勝者がいる「ゼロサムゲーム」の世界。今回の「銅市場」という比較的狭い取引市場で、巨額損失に応じる「勝者」は誰だったのか。そして「上杉健二」はどうして泥沼に足を踏み入れてしまったのかを「小説」で描いた。第一章の冒頭は同窓会の風景が描かれている。その中で多忙な商社マンの上杉は同窓会の幹事を押しつけられても嫌な顔せず幹事役をこなしてからまた会社に戻る姿を、またゼミの先生が亡くなった際には奥様を励ます会を仕切ったエピソードも描かれている。

 そんな「人の好い」上杉だが、取引に失敗して損失を出し、上司の指示もあり損失が回復するまで隠蔽することになる。その情報をマーケットの「暗部」が探り当てて、やがて起きる壮大なディールでの「ルーザー」役に仕立てるために、長年かけて「成長」させていく。このアングロサクソン的な思考とトラップは、シェイクスピアアガサ・クリスティーの作品を読んでいるかのように感じる。そして最後に辿り着く「シティの黒幕」は私の愛著、広瀬隆の「赤い楯」を連想させる。

 巨額損失だけでなく、罪までも一人背負った上杉。エピローグで描かれる判決の場面は、苦しかった10年から解放される諦観を描かれている。但し作者徳本栄一郎は、それだけでこの事件を終らせたくなかったのだろう。自身を投影させたような通信社記者の根本に事件の「真相」を追求させた。

 但し翻るとやはり「上杉」本人及び会社側の責任は免れない。第一章の3では唐突に会社の経営戦略会議の場面を挿入し、ディーリング業務についての危険性とグループ内の「浮利を求めず」という社訓まで持ち出している。そして別子銅山から始まった住友グループ。その「銅」への世界的な信用が格好の「ルーザー」を生み出した。

 余りにも皮肉な、「住友」ではあってはならない事件だった