小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 鉄のあけぼの 黒木 亮 (2012)

【あらすじ】

 「日本は貿易立国しかない。だから鉄をつくるのだ」川崎製鉄(現JFEスチール)創設者、西山弥太郎は、裏打ちされた技術と信念で経営を進める。銑鋼一貫工場を千葉に建設し、戦後日本企業が世界市場を席巻する礎を築いた。初の世界銀行によるを受け、夢の水島製鉄所を建造する。「世界をつくる火」が燃え上がる。

 「暴挙」「二重投資」「製鉄所にぺんぺん草が生える」…… 批判の嵐の中、信念を貫き、高炉メーカーへの脱皮を果たした川崎製鉄社長・西山弥太郎は、世界の鉄鋼需要拡大を見通し、さらなる巨額投資に踏み切る。

 

【感想】

 大正から昭和にかけて川崎造船所で働き、戦後川崎製鉄として独立、初代社長となった西山弥太郎を描く実名小説。鉄鋼業を軸に、戦後日本の経済発展も描写している。作者の黒木亮は松下幸之助土光敏夫、そして井深大本田宗一郎にも匹敵すると賞賛した経営者。その名が世に広まらなかったのは、自身が栄誉を求めず、「財界」の地位を固辞し続けたこともあるが、取扱い製品が一般消費者に直接届かないものを扱っていたために、前述した経営者ほどの知名度には至らなかったのだろう。

   *西山弥太郎(致知出版社より)

 

 西山は戦前に欧米を視察して鉄鋼一貫生産方式に感銘を受ける。その方式は銑鉄をつくり、銑鉄から鋼をつくる方式で、くず鉄を買い入れ、そこに若干の銑鉄を混ぜて鋼をつくるスクラップ製鋼方式と分かれていた。そして当時銑鋼一貫生産方式を採用していたのは、国防の観点からコストを度外視した官営八幡製鉄所の流れを汲む八幡製鉄、富士製鉄、そして新たに高炉を持った日本鋼管の大手三社のみ。

 但し戦後になり、世界情勢も変わり、外国との競争が待ち構えていた。その中で川崎製鉄が競争に勝つためには、鉄鋼一貫生産により品質を向上させ、同時にコストを世界水準に下げる必要があると、西山は考えた(ちなみに紙・パルプ業界も似たような状況に思える)。

 東京帝国大学冶金学科卒業で、鉄鋼業界でも一目置かれる優秀な技術者であった西山。徹底的な現場主義で、必要な設備は何がなんでも設置しなければならないと考え、妥協は許さない。そのために昭和25年当時、資本金5億の会社が163億円もの資金をかけて千葉に鉄鋼一貫生産方式の工場設立計画を行う。当時「法王」と呼ばれた一万田日本銀行総裁は、余りに過大な計画で「ペンペン草を生やしてやる」とまで言ったのは有名な話。当時の日本経済界における資金事情と、競合他社の様子から合理化が必要と思われた時に、まるで川崎製鉄の計画は、ロケットでも飛ばすかのように映っただろう。

 

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*無謀とも言える設備投資計画に、銀行側から応えた様子が描かれています。

 

 しかもすぐに第二期工事が必要となり、さらなる資金が必要になる。それを西山は、当時としては「身の程知らず」とも思えた世界銀行からの支援を求めて、金融、業界からの白い目を払拭しようとするが、この諦めない姿勢が凄い。世界銀行側も余りにも過大な計画に疑問を呈するが、西山は根拠や裏付け、そして情熱を持って計画を説明し、ついに翻意して世界銀行は融資を決定する。

 昭和30年代には岡山県水島市に新たに巨大なコンビナートを建設して、高度経済成長の牽引車となる。しかしその頃から鉄鋼業界はだんだんと斜陽産業になっていく。西山はその姿を見ることはない。

 1966年、会長職のまま死去。黒木亮は膨大な資料や取材を駆使して、ドキュメントとでもいうべき経済小説を多く著すが、全てにおいてその筆致は透徹している。本作品もその例に漏れず、専門用語も多数あり「取っ付きにくい」印象も多々受ける。

 ただその行間からは、西山への愛情が溢れだしている。