小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 小説 都市銀行 江波戸 哲夫 (1988)

【あらすじ】

 大手の都市銀行に位置する東西銀行法人営業部の次長を務める大森四郎。39歳にして同期の中で何とか「第一選抜」の3割に残って、出世の階段を上っている。1回り年上の部長、宮島彰は部下に決して甘い顔は見せない厳しい姿勢で、次期役員の座を狙っていた。

 神田支店では、20億の融資の回収が危ぶまれて、支店長の松木は危機に陥っていた。立ち退きを拒否する住民、そして地上げ屋。欲が絡まり複雑な事案になって支店の業績を左右しかねない。

 そして上層部では、会長と頭取で権力争いが勃発して、役員もその渦に巻き込まれていく。

 

【感想】

 バブル前夜の都市銀行を描いた作品。それまでの銀行は「護送船団方式」の中で、銀行間の差別化が行われず、最終的には支店数の「スケールメリット」が業績や業界内の位置を決める状況にあった。ところがこの頃から世界標準を求められ、自己資本比率規制によって資産の総枠が制限されるようになり、従来の「薄利多売」の銀行経営から脱却する必要が出てきた。

 RM(リレーションマネージメント)により、顧客に対して専門の係が別々に対応してきた従来のやり方を改め、全てのサービスを1部門で提供するようになり、銀行経営はALM(資産負債総合管理)に基づく戦略が求められる。そしてROA総資産利益率:資産をいかに効率的に当期利益をあげたかを示す指標)等を重視する収益率中心の銀行経営に舵を切ることになる・・・・昔はこんな「略語」を覚えたもの。

 ある意味銀行経営の曲がり角でもあった時代で、経営陣は新たな経営方針を提示する必要があったのだが、どの時代にも過去の成功体験に固執する「守旧派」がいるもの。しかもその「守旧派」は成功体験により権力を握っているから始末が悪い。ここで大蔵省の意向などから、収益面を重視する経営方針に舵を切ろうとする頭取派と、スケールメリット固執する会長派で対立することになる。

*のちにテレビドラマ化された「集団左遷」の原作となりました。

 

 そしてその対立が「ミドル」にも波及する。役員を目の前にした部長は部下を「人身御供」にしてまで出世にはかろうとする。現場の支店長は、この対立下で大きな「失策」をするわけにはいかないと、強引な手段を使って情報を掴み、資金の回収を図ろうとする。地上げの実態も描かれて、バブル前夜の時代背景を感じさせる。

 そんな中、振り回される主人公はストレスで激しい嘔吐を繰り返し、家に戻ると妻は自分の苦しみをまるで他人事のように、自分の希望を通そうとする。本作品には結婚退職する女子行員も描かれ、「銀行員と結婚するなんて」と言わせている。当時まだ男女雇用機会均等法が施行された頃で、女性活躍は未定着の時代。妻と女子行員から、当時の「男社会」の理不尽さも描いている(それにしても、思わせ振りな女子行員の描き方は、これも銀行あるあるの「不倫」を予感させたが・・・・)。

 最終的に主人公は、部長の策略もあり第一選抜から「脱落」する。妻は転勤に不満をぶつけるが、結局は「ついて行く」だろうと主人公は楽観しているが、現在ならばそんな簡単に片付けられないだろう。

 昭和21年生まれの作者江波戸哲夫は、東大卒業後、三井銀行に就職するも1年で退職する。主人公は昭和46年に大学を卒業して就職した設定にしているので、作者よりも2~3歳ほど年下か。当時都市銀行は40歳頃から出向も含めた厳しい選抜が行われ、銀行生活の岐路に立たされる。主人公も結局はこの歳で第一選抜から脱落し「都落ち」となる。転勤に不満を持つ妻も、最終的には自分に従うと楽観的に思う主人公だが、この考えも男女雇用機会均等法の浸透を境に大きく変わった。改めて「バブル前」の金融機関の物語を読むと、所々にその後との違いが見えて、興味深い。

 

 前作の安田二郎の作品、そして本作品と、城山三郎清水一行の流れを汲んだ作風に感じる。しかしこの後、日本経済は「バブル」という未曾有の事態が訪れる。その渦の中に業界が、携わる人たちが、そして評論家や作家も巻き込まれていく。

 

  

*学園紛争のさ中、江波戸哲夫と同世代で東大を卒業した人たちの、その後を追ったノンフィクション。あとがきを担当した江波戸哲夫の文章が、印象に残っています(Amazonより)。