小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

18 器に非ず 清水 一行 (1988)

【あらすじ】

 知人の紹介で「浜松の発明王」と称された五十嵐繁哉と出会い、彼が経営する本州モーターズの経営を担うことになったブローカーあがりの神山辰男。五十嵐は車の開発、そして神山は経営及び財務と役割を分担して、いくつもの危機を乗り越えながら、会社を大企業に育て上げた。そのうちに自分は大企業の社長になりたいという願望を抱き、その布石を少しずつ打っていく。

 

【感想】

 戦後の産業史で特筆すべき成長を遂げた成功物語の1つ、本田技研工業。そして創業者の本田宗一郎藤沢武夫の引退劇(1973年)は当時「最高の引退」と呼ばれ、「さすがホンダ」と称賛されたが、清水一行はそれに疑念を持った。清水は10年以上に渡って取材活動を進め、藤沢が持つ巨額の預金をメインバンクから移した事実を知り、知られざる裏側があったと確信をもって本作品を著した。

 本田宗一郎の補佐役として、社内をガッチリと固めたイメージのある藤沢武夫だが、本作品の「神山辰男」は策略家で、かなり癖のある人物として描かれている。対して本田宗一郎をモデルとして「五十嵐繫哉」は天真爛漫な大人物として描き、両者の人物の「隈取り」を明瞭にしている。

  

 とは言え「夢を追い続ける」五十嵐に対して、経理面を中心に補佐をする神山の存在がなければ、当時雨後のタケノコのように生まれた何百ものメーカーの1つに過ぎなかった会社が、そして分不相応な巨額の資金を有する工場建設や、世界レースへの進出をするような会社が、存続・発展することはできなかったはず。本作品でも神山はその役割を果たして、「五十嵐」の夢を支え、そして会社を支えている姿が描かれている。そのため本作品の印象で藤沢武夫を評価するのは早計と思える。

 そして登場人物は仮名だが、物語は創業後間もなくの「町工場」から、大企業に成長するまでの本田技研工業をそのまま描いている。レース参戦による技術と知名度のアップを狙う戦略を見せる一方、エンジン開発に夢中になって口論して、時に社長に反発して姿とくらませてしまうエンジニア(将来の社長)。そして口より先に手が出て、夢中になって自分の家までも忘れてしまう「生粋の技術屋」五十嵐こと本田宗一郎など、実話も取り混ぜて物語は進んでいく。

 ミステリーも手掛ける清水一行本作品は純然たる経済小説にも関わらす、五十嵐と神山の描き方からして伏線の1つになっていて、最後に見事な「どんでん返し」を披露して、ミステリーの要素も味わえる。これでは「策略家」神山もぐうの音もでない。読み手にも鮮やかな印象を与え、それがもう一人の主人公「五十嵐繫哉」のイメージにも見事に重なる、小説として綺麗な「着地」を見せている。

 実際の藤沢武夫は、「マン島TTレース」の出場を発案し、副社長引退も藤沢の発案で本田に進言したといわれている。そして経営者として、「経営者とは、一歩先を照らし、二歩先を語り、三歩先を見つめるものだ」という含蓄のある言葉を残している。当時の若手経営者からも慕われ、勉強会やアドバイスも惜しみなく行ったという。本作品とは全く別の印象を受けるが、それは読み手がそれぞれ判断するしかない。

 ただ藤沢の死後、1989年に本田宗一郎が日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たした時に、本田は授賞式を終えた帰国したその足で藤沢邸に赴き、藤沢の位牌に受賞したメダルを架けて「これは俺がもらったんじゃねえ。お前さんと2人でもらったんだ」と語りかけたという

 財界活動も名誉も全く求めなかった藤沢武夫にとって、この言葉は一番の「勲章」だったのではないか。

 

  *画像は2枚ともホンダHPより