小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

14 小説盛田昭夫学校 江波戸 哲夫 (2005)

【あらすじ】

 代々続いた造り酒屋に生まれた盛田昭夫は、大阪帝国大学理学部物理学科で技術を学ぶ一方、実家では経営手腕を父の教えで磨かれていた。戦争中、海軍の研究会で井深大と知り合う。終戦の翌年には井深とソニーの前身である東京通信工業を設立し、常務取締役に就任する。

 その後は自分が技術畑にもかかわらず、井深が研究に没頭できるように販売と経営に注力を注ぐ。最初は会社を、そして日本を、さらには世界を巻き込んでソニーを発展させた。会社人の枠にとらわれない、日本を代表するオピニオンリーダーの物語。

 

【感想】

 「ソニーを創った男、井深大」は井深1人に焦点を当てた物語で、それはそれで意義があったが、本作品は盛田昭夫を通してソニーの発展史も描いている。そしてソニーの発展史は戦後の電機業界の発展史に、大半が重なる。戦後間もなく井深が朝日新聞に投稿したコラムが盛田の目に留まり、即刻井深に合流する。これは運命とも言え、必然とも思える。

 

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 会社設立後の活躍は承知の通り。まずトランジスタの分野で自社生産をいち早く目指し、1955年にトランジスタラジオを開発。1959年にはトランジスタ(マイクロ)テレビを開発し、1967年にはカラーのトリニトロンテレビを世に出す。

 録音分野では1950年に日本最初のデープレコーダーの開発に成功し、1961年にはビデオテープレコーダーを販売。1975年には「ベータマックス」を世に出す。但しこの「ビデオ戦争」は規格かの関係でVHSに軍配が上がり、1988年にソニーはVHS製のビデオデッキも販売することで「軍門に下る」ことになる。

 反面、1979年には画期的な再生装置「ウオークマン」を開発して爆発的なヒットを飛ばし、ゲーム機のプレイステーションに広がっていく。

 駆け足で紹介したが、その背後にいて開発のアイディアを出し、資金や材料の調達に奔走し、そしてまだ外貨規制がある時代から海外への販売を進めていく。本来は技術屋で自身も開発業務に携わりたかったと思うが、経営面から井深を全面的にサポートした。

 特筆すべきは、目の前の利益を捨ててでも「ソニー」のブランドを維持したこと。まだ会社の基盤が脆弱な1955年、アメリカでトランジスタラジオを販売する交渉で、相手方が大型の販売契約の引き替えに、販売側のブランドを付ける条件が出された。会社側ではそれでも契約やむなしの方針を出したが、盛田は自分の判断で契約を断る。まだ日本製は「安かろう、悪かろう」と思われた時代で、将来を見据えてこれだけの判断を行えるのは恐れ入る。

 この井深大盛田昭夫の関係は、ホンダの本田宗一郎藤沢武夫の関係を思い出す。但し盛田は藤沢と違い、技術面でも造詣が深い上、積極的に発言をし、外国にも「No」と言い続けてソニーの社長にも就任した。但し「役割分担」を自ら意識して行い、サッカーで言う「スペースを埋める」作業を自然にできている見事なコンビネーションに見える

 ソニーが設立当初は資金繰りが厳しく、給料は盛田の実家から出ていたときもあり、「縁の下の力持ち」の役割も厭わなかった。その上明るく、アイディアマンで、タフ・ネゴシエイター。技術も専門家で法律面の係争に詳しく、そして販売面では海外への販路の先鞭を付け、経団連の副会長となり次期会長と思われていたが、21世紀を待たずに逝去した。改めて読むとこんなスーパーマンが日本に存在したことが驚きである。

 そして21世紀の日本の電機業界を見るとき、盛田はどのような感想を持っただろうか。