特別お題「わたしの推し」
あけましておめでとうございます。今年もご愛顧よろしくお願いいたします。
以前はてなのお題「私の好きな10選」で考えたものですが、選出する際に「好きな」では軸がぶれるので、「後世の日本に影響を与えた」を基準として私なりに練り直しました。そうしたらお題から離れてしまい(笑)ボツとしましたが、新たな年明けにあたり、「温故知新」としてアップします(なお天皇、皇族からの選出は控えました)。
1 藤原不比等~藤原1000年王朝を実現させた 「公家の源流」
藤原家の祖、藤原(中臣)鎌足の長男ですが、天智天皇の落胤との噂もあります。鎌足は大化の改新で活躍したのは有名ですが、その後天武天皇が引き継いで、天智系の強い不比等は政権から遠ざけられます。
天武天皇が崩御すると妻の持続が女帝となり、持統の血統が皇統を継ぐ「執着」に不比等が尽力します。子が早く亡くなると、他の天武の皇子を差し置いて幼い孫(文武帝)を即位させ、更にその孫を即位させるために母の元明天皇に「遡る」皇位継承を行ない、古事記・日本書紀の編纂で女神の孫が皇位を継ぐ「天孫降臨」物語を作るまでの支援をします。そして権勢は天皇家を凌ぐほどになりますが、不比等は天皇家から権力を纂奪することをせず、天皇家に絡む 「藤」の枝のような立場で存続することを選び、独特の政治形態を形付けます。
2 最澄 (伝教大師)~現代につながる仏教各宗派の元になった
司馬遼太郎「空海の風景」を読むと、どうしても空海寄りになってしまいますが、後世に影響を残したと限定すると、最澄に軍配が上がります。空海がその卓越した能力で、1人で真言宗の体系を確立したのに対し、最澄は天台宗門を一代で確立できないまま終わりました。
しかしそのために後続に新たな学統を生み出す余地を与えることになり、約400年後に起きる鎌倉新仏教は、ほぼ天台宗から輩出することになります。日本独自の仏教が貴族だけでなく、武家や庶民にも広まる元にもなり、日本の仏教界に与えた影響は、他の宗教に比べ比較にならないほど大きいものになりました。
3 紫式部~世界最古の、現代にも通じる「長編恋愛小説」を創作する
「望月が欠けない」栄華を誇った藤原道長の妻、倫子付きの女官と言われていますが「源氏物語」を書き始めるとその評判から、道長が「パトロン」として援助して、54帖から成る物語を完成させます。
その内容は当時の政界を描いた政治小説でもあり、男女の細やかな心情を描いた恋愛物語でもあり、そして親子の輪廻に導かれた宗教的な内容もありと、その完成度は屈指。日本国内でもその後に大きな影響を及ぼしています。また「世界最古の長編小説」とも言われていますが、その真偽は置いても、この時代にこれだけ細やかな心情を描く小説が日本で生れたことは驚きの一言です。
4 源頼朝~武士を朝廷から解放して、明治まで続く武家社会を築き上げた
自ら統治しない天皇・貴族の形骸化した支配から武士を解放して武家政権を導きました。朝廷からの官職も、源頼朝は武家自らが軍政を行なうことができる征夷大将軍のみにこだわり「搾取階級」を打破して、武家独自の支配体制を確立しました。
平清盛が平家一門の繁栄を目的としてしまい、武家独自の体制まで至りませんでした。対して頼朝は清盛を見て、また流人として東国で武家の実態を見ることで、武家たちが本当に望むものは何かを知ることとなります。幕府の基礎を築いた北条義時、泰時などの尽力もありますが、その後明治まで続く武家社会を確立しました。
5 足利義政~現代につながる生活様式を作り上げた「東山文化」
将軍としての功績はなく、妻に振り回されて応仁の乱を引き起こすきっかけにもなり、乱を収める力もまた気持ちも全く持ちませんでした (さんざんな言い様です)。
しかし銀閣に見る書院造りを初めとする、現代にまで続く生活様式を確立させた影響は非常に大きく感じます。また文化の発信者として、花道や茶道、連歌や庭園などの文化が生まれています。全てが義政に起因するものではないが、この時代に(政道よりも)文化を優先して保護したために、現代に通じる文化が萌芽します。
6 織田信長~政教分離を断行して既得権益を排除させた「中世の破壊者」
自分が非合理と思うものは容赦なく破壊しました。特に矛先は宗教勢力に向かい、宗教活動とは関係のない領地支配や通行税の徴収、そして座による専売の権益など、平安時代から保持していた何重もの既得権益を破壊します。また「僧兵」などで代表される武力により、それまで日本でも宗派間による絶えなかった争いも解放させることに成功し、宗教団体を純粋に宗教行為に専念する団体へと導きます。
ヨーロッパの歴史に造形の深い堀野七生は、キリスト教やイスラム教の影響が現在もヨーロッパを始めとする国の政治に与えていてることに対して、「日本は織田信長が政教分離を成功させて、ヨ一ロッパに比べて恵まれている」と言わしています。
7 徳川家康~社会のみならず、日本人の性格をも「枠」づけた社会を作り上げた
織田信長から引き継いで、中世を終焉させて新たな近世社会を作り上げました。徹底的な現実主義者として、鎌倉幕府や室町幕府の知識や学者などの知恵も集め、大きな勢力は分断・監視させて、リスク回避を目的とした社会構造を作り上げます。士農工商の身分制度や宗門制度による宗教団体の支配を行い、また鎖国も実施し技術革新も防ぎ、競争や争いの原因を徹底的に排除して、250年間に渡る太平の世を築きました。
そのため外国から文明でかなりの遅れを取り、幕末から明治にかけての日本政府は苦労を強いられることになります。功罪相半はするところですが、現代にまで及ぶ日本人の精神的なバックボーンも含めて、後世に与えた影響は非常に大きいものと思われます。
8 平田篤胤~その思想は明治維新を呼び起こし、戦前の教育まで影響を与え続けた
江戸時代に幕府の政策として、中国を祖とする儒学が広めらますが、そこから日本独自の理論による「国学」が生まれます。その中でも平田篤胤は、神学とも結びつけて1つの宗派として大成させます。その中に含まれる天皇を中心とする思想は、尊王接夷の思想へと繋がり、明治維新を成し遂げる原動カとなりました。
そして明治以降も、天皇中心の政体を作るバックボーンとなり、太平洋戦争にまで導くことになります。その反動から、戦後になってからは全く顧みことがなくなりましたが、平田篤胤は他にも様々な学究を行っていて、評価すべき内容も多くあります。時流に合わせて都合のよい所を使われて、そして本質を評価されずに捨てられた、何とも不幸な道を歩んだ思想とも言えます。
9 大久保利通~明治の太政官制度を「体現」し、その官僚支配は現在にまで及ぶ
明治維新の三傑として、倒幕の原動カともなりましたが、その後新しい国家を作る上でも比較にならないほど突出した力を発揮します。元々薩摩の小さな武家の子でしたが、武力ではなく存在感で他を圧倒、大蔵省から内務省へと担当は移り、総理(Prime Minister) として官僚を、そして役所を支配しました。
内務省では大久保内務卿の靴音が鳴ると、役所全体が緊張に包んだと言われるほどの威厳を持ち、倒幕後の混乱した新政府を軌道に乗せて、現在に通じる官僚組織を築き上げます。存在そのものが明治政府と言え、そのために士族から反感を買い暗殺の憂き目に遭いました。
10 手塚治虫~世界に通用する文化を発信した 「クールジヤパン」の先駆者
理系から文系まで、歴史、宗教、SF、音楽、古典、科学そして医学と満遍なく豊富な知識を持つ少年が、絵を描く才能にも恵まれて、マンガという世界で作品を「量産」します。マンガにストーリーと知識と文化を組み入れて、日本独特のマンガ文化を築き上げました。
先駆者の名に甘えず、旺盛な創作活動を最後まで続けた姿勢は、後続の多数の漫画家たちにも影響を与え、貪欲な創作能力が伝播して日本で独特の「週刊誌」を始めとするマンガ文化を築きあげます。そしてそのエネルギーは日本を超えて世界へと広がり、アニメやゲームを含めた新たな「クールジャパン」の文化を作り上げる原動力となりました。
(全ての画像はウィキペディアから引用しました)
しかし、更にお題から離れていったような気が・・・・