小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8-1 時宗① 高橋 克彦 (2000)

【あらすじ  巻の壱  乱星】

 北条家中興の祖、3代執権の祖父泰時から人物を見込まれた北条時頼。父が早逝し4代執権となった兄経時も病に臥した。経時には子がいたが、病床で時頼は「棟梁になれ」と告げられる。但し「北条を継ぐものに安寧はない、地獄の道だ」との言葉を添えられて。権力闘争の渦の中に巻き込まれ、修羅の道が待っている。

 

 執権の代替わりを狙って、有力御家人が次々と反旗を翻す。北条氏の一族であった名越光時(義時の孫)が摂家将軍藤原頼経と結託して、北条家の「得宗」から権力を争奪しようと軍車行動を起こすが、これを時頼は鎮圧して北条一族内の反得宗勢力を一掃し、将軍頼経は京都に強制送還させた。

 

 翌年には頼朝以来の有力御家人であった三浦泰村一族が、権力の座を狙い北条家と敵対したために、これを鎌倉で滅ぼした(宝治会戦)。続いて同じく有力御家人で執権に対しで抵抗する千葉秀胤に対しても追討の幕命を下し、上総国で滅ぼす。源氏の復権を狙う足利氏との対立などもあり、時頼は命を削る気持ちで毎日を過ごしながらも冷静に、かつ断固とした処置を行い、執権の地位を確立していく。

 

 まだ侵略者の姿は見えない。それを知ってか知らずか、日本が襲われる事態に間に合うように、時頼は日本をまとめ上げようとする。

  *北条時頼ウィキペディアより)

【あらすじ 巻の弐  連星】

 立て続けに起きる争いを鎮圧して執権政治を確立し、幕府の結束を固めた北条時頼。ここでようやく執権職の務めである政治に腕を振るうことになる。祖父泰時から連なる北条家得宗としての帝王学を胸に、私利私欲のない精神で、国全体の行く末を憂慮して政治にあたる。

 

一旦病にかかり執権職を義兄の北条長時に譲り出家してからも、時頼は後見人として実質的な差配を行い、政治的手腕に円熟味が増していく。全国行脚の旅の場面では、いざ鎌倉を誓う御家人から不満を聞き、政治に生かそうとする。

 

 大陸では巨大騎馬国家・蒙古の王クビライが、宋帝国を倒して中国本土を席捲し、西はヨ一ロッパ、東は高麗へと版図を広げる。そして海を越えて日本にも触手を伸ばそうとしていた。日本の存続にかかる、かつてない脅威が間近に追っていることに鎌倉幕府はまだ気づかない。

 

 天変地異が続く巷では、法華経を説く日蓮が民の熱狂を呼ぶ。日本に危機が迫る中、37歳という若さで時頼は逝去する。時に嫡男時宗は7歳。父は生前に異母兄の時輔の序列を時宗の下と明確にして、嫡男時宗が後継者争いに巻き込まれないように布石を打っていた。

 

   父の志を受け国をまとめるために、少年の時宗は若き棟梁として歩みだす。

 

【感想】

 「中央に対する東北の抵抗」をテーマに歴史小説を重ねてきた高橋克彦。ところが本作品は鎌倉幕府の中枢に焦点を当て、初読の時はテーマ選定に違和感が残った。

 但し再読したらテーマは「中華(元)に対する東夷(日本)の抵抗」だと思い至った。

 

 朝廷と対立した承久の乱に対して、武家政権の危機を訴えて切り抜けた鎌倉幕府と執権、北条家。義時の後を継いだ3代執権泰時は私欲のない心で善政を布き、また御成敗式目を完成させて武家政権を確立する。そして北条家が政権を担うに相応しい一族であることを御家人たちに示した。

   

 *武家政権の基礎を築いた3代執権北条「太郎」泰時(ウィキペディアより)

 

 しかし泰時が亡くなるとまた権力闘争が始まる。元々鎌倉幕府は東国武士の「利権団体」であり、御家人たちは自分の欲望を隠そうとせず、武家同士の血みどろの闘争が延々と繰り返される。執権として統率する北条家も元々は伊豆の小豪族で、頼朝以前からの有力豪族に対して支配する力も名分も乏しい。

 父は早く亡くなり、泰時のあと4代執権となった孫の経時も、権力闘争の中病に倒れる。まだ幼い子には到底北条家の「修羅」の座を任せられず、弟の時頼に後を託す。執権の力が弱まる所を見計らって、有力御家人たちは権力者の地位を奪おうと画策する。時に味方に引き入れ、時に敵として対峙しなければならない。常に敵に見張られて修羅の道を歩まなければならない北条家の棟梁の座は正に「地獄の道」。

 北条一族の中で、「執権」に対して「得宗」というのを、最初は足利将軍や徳川将軍のように、棟梁と役職は不可分なものと想像してしまい理解ができなかったが、例えば摂関家のように摂政・関白などの役職よりも、荘園などの財産を管理する「氏の長者」の方が権力を有すると考えると、ストンと腑に落ちた。同じように院政時代の皇室も、天皇よりその父で政治の実権を握る「治天の君」の存在とも近いのか。北条一族も次第に枝分かれして「うるさいおじさんたち」も増えてきた中で、おじさんたちに「執権職」は時に譲っても、嫡流たる「得宗」に力を集中させた時頼の功績は大きい。

 対抗する勢力を1つ1つ潰したあと、気がつくと「民」のために何も報いていないことに気づく時頼。丹精込めて育てた盆栽を、旅人のために火にくべる「鉢ノ木」の挿話は出さないが、それを彷彿とさせる場面を描いて時頼の為政者としての資質を描き出した。決して「修羅」だけではない為政者の道。それは政治家だけでなく宗教家の心境にも通じるところがあり、この時期に日蓮国難を叫び、民からの支持を受けるのは象徴的である。

 タイトル「時宗」は前半ではほとんど登場しない。しかし時宗のために、そして国のために時頼は思いをはせる。時頼の寿命も37歳と余りにも短かったが、若き時宗に少しでも「地獄の道」を軽減させようと、得宗の権力を確立して御家人たちの求心力を持たせる役割を果たした。

 

 

 *嫡流に対して、執権職は遠縁にまで広がる北条家の系図(本作品より)