小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

5 わらの女 カトリーヌ・アルレー(1956)

 

【あらすじ】

 34歳のドイツ人女性ヒルデガルデは、ハンブルグ大爆撃で地位も財産も友人も、そして自身の出生証明書も全て失った。現在は友人も財産もないまま、翻訳の仕事で細々と生計を立てていた。しかし夢は財産家の男に嫁ぎ、不公平な世の中に復讐をすること。そして何年もの間、彼女は週末の新聞に掲載される求婚広告を見ることだけだった。

 そしてある日、ついにヒルデガルデは運命の求婚広告を見つける。ある億万長者がパートナーを求めているというものだった。その求婚にあえて野心を隠さず自分を売り込む手紙で応募した彼女は、老いた億万長者の秘書を務める男コルフとの面談に臨む。しかしその秘書は彼女に恐るべき犯罪計画を持ちかける。それからヒルデガルデの運命が転がりはじめる・・・。

  

【感想】

 「イヤミス」の元祖というべきか。それとも「他人(ひと)の不幸は蜜の味」というべきか。ちょうど前回取り上げた「死の接吻」が、大富豪の娘を狙う男の物語だが、今回は大富豪の妻の座を目指す女の物語になっている。

 運命に翻弄される女性を描くのが見事。そして読者が予想(期待)する着地を見事裏切ってくれる。フランス文学は一筋縄ではいかない・・・・ ちなみに作者アルレーは「大いなる幻影」で、思いがけずに遺産が転がり込む「男性」のアタフタ振りを描いている。

 まずヒロインのヒルデガルデの人物設定が絶妙。戦争で全てを失った運命には同情するが、そのため「楽して儲けよう」とする意図が明らかで、読者の共感は得にくい(あるいは共感は得やすい?)主人公像を設定している。ヒルデガルデは恵まれない境遇を戦争に起因させているが、その境遇は戦争でなくとも多くの人々が陥る境遇でもあり、日常にころがっている光景である。

 そしてヒルデガルデの意図は大抵の人間の心に潜む感情でもある。自分が同じ立場だとうまくいって欲しいと思うが、人様がそのような幸運に恵まれるとちょっと邪悪な、どろどろとした気持ちが顕在化するのも事実。週刊誌や情報番組で「鉄板の」テーマである。そして読者に高みの見物をさせて、ヒロインに作者は試練を与える。本作品に限らず、作者カトリーヌ・アルレーはこのように「上げて、落とす」のが得意。

 秘書コルフの計画は、ヒルデカルデを徐々に、そして巧妙に罠にはめていくのだが、 読み手は読み勧めるうちに、ヒロインに同情を寄せる気持ちはある一方、ヒロインがそのまま上手くいって欲しくないような、その後の悲劇を「期待」するような感情も共存することになる。そして作者アルレーは、読み手の「期待」に応えて、ヒロインであるヒルデカルデを徹底的に追い詰めることになる。

f:id:nmukkun:20210809063833j:plain

 

 女性ヒロインは、かつてのホームズ物では「事件に巻き込まれた教養ある女性」が多かった(「あの女」を除く)。その後クリスティーは、事件に巻き込まれる被害者や容疑者を描く一方で、「色」と「金」を求める野心的な女性も数を多く登場させた。但し時代的な制約もあるだろうが、男性から自立した、プロフェッショナルの要素を持つ女性像はなかなか描けなかった。本作品のヒロインであるヒルデカルデは、その流れを汲む「古い時代」に生きたヒロイン像の「最終形態」であるとも思える。

 そして物語が終ると、読者の心には再びヒロインに対しての同情の気持ちが芽生える。戦争から始まって運命を翻弄された「等身大」のヒロイン。自分の中に「ヒルデガルデ」の存在があることを見つけ、彼女の願望が本当に愚かだったのかを考えさせる。そうして読み手に感情移入させる作者の冴えは、見事というほかない。

 この後ミステリー界に登場する女性たちは、徐々に自我とプロフェッショナルとしてのプライドや技術を磨いていき、「自分の足で立つ」新たなヒロイン像を見せていくことになる。それは時代趨勢とも一致した動きを見せている。

 但し、ヒルデガルデのような女性は(当然「逆玉」を狙う男性も)現在も数多く存在する。本作品はそれこそクレオパトラの時代から続く、古くて新しい問題をテーマにしていて、現在もその賞味期限が切れることはない