小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

アイルトン・セナが神を見た日

今週のお題「好きなスポーツ」

 

 「するスポーツ」では、野球、バドミントン、テニス、ラグビー、ゴルフなど「広く浅く」かじっていましたが、並行して「見るスポーツ」にも熱中しました。特に1980年の創刊で現在も続いている「Sports Graphic Number」は、知的好奇心をくすぐる雑誌で愛読しました。日本の、そして世界のスポーツを知る「窓」として、当時プロスポーツとして中心だった野球以外にも、数々のスポーツの息吹を感じることができました。そのため、1980年代のスポーツの光景が今でも強く記憶に残っています。

 以下、点描で1980年代を彩った印象的なスポーツシーンを記します。

 

プロ野球 最も視聴率を稼いだと言われる1983年の日本シリーズの激闘。巨人を破って日本一になった当時新興の西武ライオンズと、V8を記録した「王者」西武ライオンズに一矢報いた1985年の阪神タイガース

高校野球 高校野球はバントとの常識を排し、金属バットの威力を見せつけた「超攻撃野球」池田高校が全国を制し、更にそれを上回るチームの完成度、「KKコンビ」のPL学園が甲子園を席巻しました。

大相撲 千代の富士が全盛を迎え52連勝という記録を打ち立てます。その中でも大乃国との一戦で、大乃国がまわしを掴もうと左手を伸ばした僅かな動きを利用して、千代の富士が体を交わして「空気投げ」のような極意で破った一番が印象に残っています。

柔道 山下泰裕が連勝記録を続け王者として君臨していた時、最後の挑戦者として現われた斉藤仁。名勝負を繰り広げたが、いつも今一歩で敗れた。その斉藤がソウルオリンピックで日本柔道が金メダルゼロの崖っぷちで最後の砦として出場したとき、試合中にテレビ解説者の山下とアイコンタクトを取っていたシーンは印象的。

ラグビー 早明戦」華やかな頃の1984年の日本選手権。V7を狙う王者新日鉄釜石に、大学チームでは過去最高と言われた同志社大学が挑んだ試合。ここでラグビー人気は頂点に達し、また松尾雄治から平尾誠二へと主役の継承が行われました。

ゴルフ 当時はA(青木功)O(尾崎将司)N(中島常幸)の全盛期で数々の名勝負を繰り広げました。その中でも3週連続優勝を懸けた尾崎が、高橋勝成と闘った1987年の日本プロゴルフマッチプレー選手権決勝。パーオンを繰り返す両者の「ぶつかり合い」は、お互いのボールに魂が宿ったかのような印象を受けました。

アメリカンフットボール サンフランシスコ49ersのジョー・モンタナが現われ、大試合で見事な逆転劇を次々と披露して、スーパースターの道を歩みます。

海外サッカー 82年のスペイン、86年のメキシコと両W杯は素晴らしい試合が量産されました。マラドーナを筆頭に、ブラジルのジーコ、フランスのプラティニ、ドイツのルンメニゲ、イタリアのパウロ・ロッシ、イギリスのリネカーなど、サッカー界の「英雄」たちが華やかな競演と「死闘」と繰り返しました。

 

  そして同じ頃、1つの海外スポーツが日本に流入しました。F-1それまでニキ・ラウダやジャッキー・スチュアートなどの名は知られていましたが、ホンダがエンジン供給を再開して、1986年にコンストラクターズチャンピオンを獲得したことで人気に火がつきます。その時発刊されたナンバーの特別号は、スポーツ雑誌の枠を超えた質と量で、読み応え抜群でした。

 1987年に鈴鹿サーキット日本グランプリが開催されますが、その時はフェラーリが意地を見せました。そして1988年、ホンダは当時コンストラクターで最強のマクラーレン、そしてドライバーに、レースを支配する技量ではニキ・ラウダを彷彿とさせたアラン・プロストと、絶対的なスピードでは他を圧倒していたアイルトン・セナを擁して、破竹の連勝を続けました。

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            *ウィキペディアより

 

 絶対王者として鈴鹿に凱旋したマクラーレン・ホンダチーム。シーズン終盤で残るはプロストとセナのチャンピオン争い。私は社会人1年目の1988年10月30日(日)に行われる決勝だけでも観戦しようと、前日土曜日の半日勤務を終えた後、東京から鈴鹿に向い、そして当日130Rの立体交差付近に陣取りました。

 スタートで、ポールポジションを獲得したセナと地元の中島悟が共にエンジンストールを起こして順位を大きく落とします。ガックリすると共に「これでチャンピオンはプロストで決まりか」と思わせます。レース前半はセナに代わり「日本バブルの徒花」レイトンハウス・マーチが当時非力だった自然吸気のエンジンで、ターボエンジンのプロストを追い詰める展開でレースを盛り上げます。

 そこに時折雨が降る天候に変わります。観戦する側は大変でしたが、「雨のセナ」「雨の中島」からすると天佑の雨。順位をドンドンと上げて、観客を興奮させます。終盤でセナはプロストを捉えて、ホームストリートでスリップスリームに入りプロストを第1コーナーで抜き去ます。当然、私からは見えませんでしたが、ものすごい歓声が聞こえました。セナはそのままフィニッシュして1位とともに初の年間チャンピオンを獲得、そして中島も入賞します。

 セナはレース後、「最終週のスプーンカーブで神を見た」と語りました。そのスプーンカーブから出て130Rまでのバックストレートを観戦した私は、劇的な試合展開にある種の興奮に襲われました。そして観戦後、神を見たセナと違いましたが、雨が上がってメインスタンド越しに架かった虹を見ながら「歴史の目撃者」の感慨を抱えて帰路につきました。

 F-1は翌年から、セナとプロストの「因縁」が強調されてしまい、セナ・プロが純粋に争ったレースはこの鈴鹿が最後のような気がします。そんな中で最後までスピードとチャンピオン獲得にこだわったセナは、神に近づき過ぎたためか、「翼をもがれたイカロス」のように1994年のサンマリノGPで天に召されます。

 

 社会人1年生だった私は、この鈴鹿観戦を最後に「普通の」スポーツ観戦者に戻ります。モータースポーツでは、私より1年前に鈴鹿を観戦した当時10歳の佐藤琢磨が、F1参入からインディに転身し、インディに転身してインディ500で日本人初のタイトルを獲得します。

 21世紀になって、タイトルを獲得する日本人の選手やチームが現われることになりました。その萌芽は日本で多様性を見せた1980年代のスポーツ文化にあったと感じます。

 

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*セナのオンボードカメラによる鈴鹿の予選ラップの映像。画像が粗いけど迫力満点。