【あらすじ】
投資信託会社の社長、レックス・フォテスキューが毒殺された。彼の上着の右ポケットには、なぜかライ麦の穀粒がいっぱい詰まっていた。ニール警部はフォテスキュー一家が住む水松(イチイ)荘に乗り込むが、さらにフォテスキュー夫人も毒殺され、小間使いのグラディスが洗濯バサミで鼻を挟まれた絞殺死体として発見された。
グラディスはミス・マープルがかつて行儀作法を教えた娘であったため犯人に言い知れぬ憤激を覚えながら現場に乗り込み、ニール警部にマザーグースの童謡「ポケットにライ麦を つめて歌うは街の唄」を口ずさみ、事件が童謡の歌詞どおりに起きていることを示唆する。
【感想】
ミス・マープルの作品では、本作品を最初に取り上げた(ポアロ物は8編と考えていたが、ずるずると10編に増えてしまい、あとがつかえてしまったww)。
本作はマザーグースの見立て殺人となっている。昔は「見立て」が好きで、それだけで喜んだが、今は単なる言葉遊びでは許さない(?)気持ちになっている。その点、本作品は重要な伏線にもなっていて、役割がきちんとしている。フォテスキュー一家に復讐心を燃やすマッケンジー夫人の構図が、物語の底流となっている。
但しそこにマープルが「手塩にかけて育てた」不遇な生い立ちのグラディスも被害者に加わることによって、物語が立体化する。連続殺人の中で、犯人からすれば「誰でもよかった」女性を利用したあげく、マザーグースの歌詞の1つに落とし込んむ理由で殺害した(と思われる)犯人に対してのマープルの怒りが、本作品に強烈なアクセントと「もうひとつのテーマ」を与えることになる(この辺の殺害動機は「ABC殺人事件」に通じるものがある)。
そのため、マープルの外観を「ふんわりとした感じの老婦人で、なんとも愛らしく、とても無邪気」と表現しているにも関わらず、登場シーンの最初は「老婦人」とあえて名前を使っていない。「悲嘆と憤懣(ふんまん)」の表情を浮かべさせ、今までの作品にない緊張感を出している。ただ、そこからまたちょっと控えめに、いつものセント・メアリ・リード村の人間関係に模した人物観察による推理が、ニール警部の捜査の合間に入ることになる。
マザーグースだけではない、物語のところどころに埋め込んだ「伏線だらけ」の合間を縫って、マープルは真相を捉え、そして真実が語られる。伏線が全て回収され、マープルはニール警部に「奨学金試験を受けに行く利口な甥を、おばが励ます(よくもまあ、こんな見事な比喩が使われること!)」ように捜査の仕上げを依頼する。ここで読者もほっと一息。ところがクリスティーは本作品をこれで終らせなかった。
マープルが自宅に帰った最終章。ここでマープルが登場した時に浮かべた「悲嘆と憤懣」が回収される。ここでの非常に切ない設定、努力する登場人物が見事なまでに報われない光景は、私が「後味の悪い小説を書かせたら日本一」として愛してやまない貫井徳郎の名作「灰色の虹」の最終章を思い浮かべた。物語の最後で、読者に「感動」を与える設定は余りにも見事。
「灰色の虹」は最終章で、読み手に救われない無常観を与えるが、本作品は本来の事件の姿であった「フォテスキュー家連続殺人事件」を、マープルが被害者の無念を晴らす「正義の鉄槌」の物語に一変させてしまった。事件の構図を反転させるのが得意なクリスティーが、本作品では「作品の主題」を見事にひっくり返した。
マープルが全ての「任務」を果たした後、本作品の最後の文章を締める比喩の文章は、非常に巧緻で軽口を挟めない内容になっている。
顎骨のかけらと数本の歯から絶滅動物を復元するのに成功した専門家が感じるのにも似た喜びだった。
非常に困難だった事件の解決と、グラディスの無念を少しでもはらせた気持ち。そしてマープルが自分の役割を「ネメシス(復讐の女神)」と認識した瞬間であろう。
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