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【あらすじ】
晏弱の葬儀が終わると、子の晏嬰(あんえい:晏子)は3年の喪に服す。そのころ斉は超大国の晋との戦いを余儀なくされて劣勢に立たされていた上に、後継者争いが激しさを増していた。頃王に愛されていた公子牙が優勢だったが、太子光は死の床の霊王から後継の指名を受けたと強弁して、結局は太子光が荘公として君主となる。
晏嬰は晋との戦にも後継者争いの政争にも与しなかった。粛々と古式に乗っ取った服喪を続け、荘公が君主になる頃ようやく完遂させる。その姿勢に、上夫たちは尊敬の目を向けた。また荘公を推した崔杼(さいちょ)だが、その後の強権な手法によって人心が離れてしまうと懸念していた。人心をつなぎ止めるには、国内で尊敬される晏嬰を近くに置く必要がある。
荘公の政道により、国内は殺伐とした雰囲気になっていくが、晏嬰は自分の信念をもって荘公にも堂々と諫言を続ける。それは荘公のためを思ってのものだったが、思いは荘公には通じない。反対に荘公の狼籍は更に重なり、崔杼の愛妻を寝取るという行為をしてしまう。これによって崔杼の心は完全に荘公から離れ、殺意が芽生えていった。
荘公が即位して6年経過した頃、晏嬰は度重なる諫言苦言のために、荘公の不興を買って大夫の座を追われた。そんな折に崔杼が荘公を誅する。人心は既に荘公から離反し、その遺骸に別れを告げたのは晏嬰ただ1人であった。
荘公の後継として公子杵臼が景公となり、崔杼はその下で実権を握った。崔杼は政権を安定させるために、従わぬ者は殺すという強い態度で迫るが、これに晏嬰は真っ向から反論する。だが崔杼は、既に国内で大きな存在と化した晏嬰を殺すことはできない。
崔杼から「主殺し」という汚名を消すことはできない。やがて反対勢力が巻き返して政争が起きると、崔一族の中にも広がって崔杼は自害に追い込まれた。こうした政争の中でも晏嬰は一定の距離を置いて、常に社稜(しゃしょく:国家)を最優先に置いて行動していた。景公は、信じるに足るのは晏嬰しかいないとの結論を得、宰相に任命する。
*景公(ウィキペディア)
晏嬰はその後も景公に対して諫言を行い続けて年を重ね、80歳を超えようかとする紀元前500年に、妻に対して家法を変えぬようにと遺言して死去した。景公は遊びに行っていたが、そこに晏嬰が危篤との報が届くと、馬車に飛び乗って晏嬰の元へ向かった。
景公は馬車の速度が遅いと、御者から手綱を奪い取り自ら御を執り、それでも遅いのでついには自分の足で走ったが、結局死に目には間に合わなかった。晏嬰の邸に着くと、景公は遺体にすがって人目に憚らずに泣いた。近臣が「非礼でございます」と諫めるも、景公は「むかし晏嬰に従って公阜に遊んだ時、1日に3度わしを責めた。いま誰が私を責めようか」と言い泣き続けた。
【感想】
身長がわずか135㎝と言われる晏嬰(=晏子)。しかし胆力は父晏弱を凌ぐものがあった。他国との外交儀礼で小さな身がないがしろにされると、自国の名誉をかけて堂々と非難してその礼を改めさせる。自国の名誉を守り、引いては自身の評判も高めていった。更に自国の国王に対しても諫言を繰り返して、遠さげられることに対して恐れない。
それは父から受け継いだ斉への思い、即ち社稜 (国家)を最優先に置いて行動する規範であり、その考えは最後まで揺がなかった。それは厳格な服喪に取り組んだことで現われ周囲の晏嬰を見る目につながり、晏嬰に信頼と安定感を覚えるようになる。
晏嬰が最後に使えた景公は器量が足りず、暗愚の王と呼ばれる場合が多い。しかし政道を晏嬰に任せることで、斉の国威を保つことができた。最後の場面でも現れているが、王が家臣の諫言を受け入れ続ける例は決して多くない。景公の兄の荘公が晏子を遠ざけたように、失職させられて虐げられる場合の方が多い。そんな中で景公は最後まで晏嬰を信用し続け、失うことの大きさを知っていたことは、決して暗愚の王ではない。晏嬰の思いによって、そんな王が育ったのかもしれない。
物語の後半は、晏嬰よりも権力闘争の渦中にある崔杼に紙面を割いているが、そのことで晏嬰の人物が浮き出るような構成になっている。たびたび斉の先人である管仲や、同時の名宰相と言われる子産や叔向(短篇「鳳凰の冠」の主人公)などと比較している。特に叔向は大国晋を背景として政治家のため人物も大きく感じられるが、晏嬰は国の器の大小にかかわらず人物は変わらないとしている。「為政者を堂々と批判し、世論をつくりあげてしまう。・・・・みずから死地をもとめて、主義主張をつらぬくことによって、死地を抜けてきている」。
*晋の宰相、叔向を主人公とする物語(鳳凰の冠)が収録されています。
政争には背を向けて自らの出世などを図ることなく、自分の信念を貫き通すことで、政争に踊って生涯を終えた者と違って、長い生涯を生き抜いた。それは斉の先人の名宰相、管仲にも通じるところがある。そして斉は「第2の興隆期」を迎えた。
「静かに行くものは健やかに行く 健やかに行くものは遠くまで行く(Chi va piano, va sano e va lontano)」。このイタリアのことわざを、晏弱と晏子による親子の物語を読んで思い出した。
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