小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

14 家康の遺策 関東郡代記録に止めず 上田 秀人(2011)

【あらすじ】

 江戸幕府開府以来、関八州天領を支配する関東郡代を務める伊奈家。所領3,000石の旗本だが、管轄する土地は実に20万石以上で、表向き以上の実力を有している。そして伊奈家には、神君家康が伝えた百万両とも言われる真大な遺産を保有していると、幕閣内で信じられてきた。しかも伊那家初代の忠次三河譜代の家柄とはいえ、数度にわたって家康の下から出奔した人物。それがなぜこのような重責を代々担い、しかも家康から真大な遺産を託されたのか。

 

 その秘密を知った老中の田沼意は、危機に瀕した幕府財政建て直しのために百方両を狙い、幕府内の隠密を使って伊奈家に襲いかかる。対して伊奈家は、時の当主伊奈忠宥の下、鍛えられた家臣団が次々と忍びの襲撃を退けていく。江戸幕府当初は外様大名の内情を暴くために、命がけで蝦夷から薩摩まで派遣された忍びたち。しかし文治政治の世に移り、命がけの仕事を行う機会が失われたため、時代を追うごとに力の衰えは隠しようがない。そんな実態を見て田沼意次は苛立ちを隠せない。

 

 田沼意次はカづくでは叶わないと見ると、伊奈家に揺さぶりをかけていく。その一手として、名門柳沢家の子を伊奈家の養子に入れ込もうと動く。5代将軍徳川綱吉側用人として権勢を振るった柳沢吉保の子は、綱吉の落胤とも言われていた。しかし綱吉が亡くなったあと、柳沢家の威光は見る影もない。そのため昇竜の勢いにある田沼意次について家運を再興させようとして、田沼意次の画策に協力していた。

 

 但し田沼意次は柳沢家については、為政者として冷静に捉えていた。5代将軍綱吉に連なる徳川宗家の血統は既に途絶え、将軍家は田沼意次が仕える紀伊藩、徳川吉宗の血統に移っていた。柳沢家は名門とは言えるが、今さら5代将軍鋼吉を持ち出されても、示しがつかない時代に変わっていた。

 

 

 *「どうする家康」で伊奈家の家祖となる忠次を演じたなだき武(NHK)

 

 伊奈家当主の忠宥としては、伊奈家の血統から外れ幕閣の影響下にある者を、神君の「遺策」を引き継いだ伊奈家に継がせるわけにはいかない。意次でも従わざるを得ない朝廷や御三家の力を借りて意向を阻止しようとするが、急な話でもありなかなかまとまらず、ついに田沼意次と直接対決することになる。

 

 伊奈家の危機のため、忠宥は神君家康の「遺策」をついに意次に披露する。それは織田信長から始まる物語で、家康が信長に黙って、密かに巡らせた策。そして本能寺の変の際の「神君伊賀越えの危機」にまつわる真実を伝えるものだった。その話は壮大なストーリーをはらんでいるが、田沼意次が求める当面の経済危機を打開するものではなかった。

 

 田沼意次はやむを得ず貨幣改鋳や新田開発を行うが、成果が現れず失脚する。神君の遺策を引き継いだと言われた伊奈家もその存在意義を失われることになり、間もなく関東郡代の役職から離れることになる。

 

 

【感想】

 上田秀人の作品は先に「孤闘 立花宗茂」を取り上げたが、個人的には新井白石の正徳の治の時代を描く「勘定吟味役異聞シリーズ」、11代将軍家斉の時代を描く「奥右筆秘帖シリーズ」、そして加賀藩前田綱紀と家臣を描く「百万石の留守居役シリーズ」が大好物。但し主人公が架空の人物で、かつシリーズ1つで10巻前後を擁するボリュームのため、今回は取り上げなかった。

 本作品は田沼意次を中心に、関東郡代の伊奈家という地味な存在を、謎を膨らまして見事に描いた。家祖の伊奈忠次三河一向一揆と、仕えていた家康の嫡子信康が切腹に追い込まれたことで、2度も家康から出奔した人物。但し出奔先が堺で、本能寺の変の際に家康一行の逃走に手を貸すことで再度仕えることとなる。

 

  

伊奈忠次の子の忠治は、主に「暴れ川」利根川水系の治水と水運の整備を行い、関東一円の領民から慕われました(川口市役所にある銅像

 

 戦場での兵站をこなすとともに、新領地の駿河甲州、そして北条家滅亡後の関東入府に際して代官として領地支配を無難に行って家康の信頼を受ける。子孫は治水や玉川上水の施工で功績を上げ領民から慕われることで、200年余り伊奈家は関東郡代の重責を担った。

 この作品によって、関東郡代という存在を知ることができ、そこから江戸幕府開設前夜の家康の秘密に繋げている。特に「神君伊賀越え」にまつわる謎を、作者が独特の視点から光を当てているのが秀逸。この見方は上田秀人以外にはできないもの。

 そして私は、何故か忍びの立ち位置について興味を惹いた。服部半蔵以下、徳川家に忠誠を尽くしてきた伊賀者は、戦国の世では家康の下戦いの影で暗躍し、「神君伊賀越え」の際には命がけで家康を守った。

 甲賀の忍びたちも、関ケ原の前夜には家康の腹心だった鳥居元忠が守る伏見城に入るが、東西が激突する主戦場を豊臣秀頼が居住する大坂城から遠ざけるために、裏切り者の汚名まで着て落城に導き、西軍の軍勢を関ヶ原へと押し出した。それが江戸時代が下るにつれて、忍びの役割と存在感が次第に落ちていき、遂には旗本の家臣団からも軽くあしらわれるまでになってしまったのは、淋しい限りである。

 

  服部半蔵ウィキペディア

 

 江戸時代の初期から中期までを、関東郡代として支配し、治水などを行い領民からも慕われた伊奈家。伊奈忠宥は結局柳沢家から養子を受けるが、その後家督争いが起きて、伊奈家は断絶となってしまう

 江戸時代中期の、関東の農村事情や天領の支配体制など、余り触れられない題材。歴史小説の流れからするとスピンオフのような存在だが、興味深く拝読させて頂いた。

 

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